今回もしつこく前回の続きを書きます。
日銀が10月5日に発表した""「包括的な金融緩和政策」の実施について""は、冒頭に、
1.日本銀行は、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、金融緩和を一段と強力に推進するため、以下の3つの措置からなる包括的な金融緩和政策を実施することとした。
その目的を ""金融緩和を一段と強力に推進するため""としている。
3つの措置とは、
(1)金利誘導目標の変更(全員一致)
無担保コールレート(オーバーナイト物)を、0~0.1%程度で推移するよ
う促す。
(2)「中長期的な物価安定の理解」に基づく時間軸の明確化
日本銀行は、「中長期的な物価安定の理解」に基づき、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで、実質ゼロ金利政策を継続していく。
(3)資産買入等の基金の創設
国債、CP、社債、指数連動型上場投資信託(ETF)、不動産投資信託
(J-REIT)など多様な金融資産の買入れと固定金利方式・共通担保資金供給オペレーションを行うため、臨時の措置として、バランスシート上に基金を創設することを検討する。
上記三つを注意深く読むと、日銀の企み?が透けてみえる。勘ぐりだが超円高の下、米隷属内閣の菅政権下では日本経済は最早当分回復しないことを先読みして、それでは今後どういうことが起きるかを想定すると、上記(3)に書いている””国債、CP、社債、指数連動型上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(J-REIT)など””を保有する外資を含めた機関投資家や金持ちに売り込まれる恐れがある。その暴落防止のために「日銀はその受け皿になりましょう」ということではないかと推測する。
(2)では、わざわざ””「中長期的な物価安定の理解」に基づき、物価の安定が展
望できる情勢になったと判断するまで、実質ゼロ金利政策を継続していく””としている。
””物価の安定””ってどういうことですかね?つまり、菅政権下では、デフレは克服できないので、「超低金利は続きますよ」ということでしょ? ””外資の皆さん、「円」は円安にもなりませんから、「超低金利の日本円」を安心確実な利殖用にお使いください””と言っているようなものではないか。
バブルの頃、銀行員たちは、普通のサラリーマン宅まで訪問して、「金を貸すからとあちこちの土地・不動産買い」を煽った。その背後に日銀の政策があったからに違いない。バブルはそれが継続している間は、大きな問題ではない。問題は膨らんだバブルを急激に破裂させたことである。バブルを潰したのは日銀だけではない、当時の大蔵省が日銀と共謀?して「総量規制」なるものを実施して、地価を暴落させた。
日銀の頭(当時は三重野総裁)には、ソフトランディングということは毛頭なく、金利を急速に上げていった(当時、公定歩合2.5%→6%)。バブルの頃一時、株価(日経平均)は約39000円にもなったが、低落した株価は2003年4月には五分の一の7800円台になった。2007年7月には18000台をつけたが、リーマンショック後、一時7100円台に急落、現在は9500円前後(バブル時高値の四分の一、リーマン・ショック前の約二分の一)である。
一方、アメリカは日本のバブルの頃D/J(NYダウ)は2500~2700ドルだった。米国のバブルと言われるサブプライム問題発生前の2007年10月には1万4,000ドル台(5倍以上)をつけたが、現在は1万1000ドル付近(米国バブル時の四分の三)である。
株価は経済を映す鏡である。日経平均は、現在バブル時の最高値の四分の一である。現在のNYダウ平均は、米国バブル時の四分の三である。
通貨はその国の信用力であり経済力を反映するものである。米国はバブルの頃(2007年代)NYダウ1万4000ドル→現在約1万1000ドル、日経平均高値は18000円台→現在9500円前後、当時為替は1usドル115円~120円→現在81円である。経済力を映すもう一つの鏡はGDPである、既述したが米GDPは1995年当時より現在約2倍、日本は約0.95倍である。
米国経済力より遥かに経済力の低下した日本の通貨「円」がUSドルに対して高くなる理由はないのである。逆に円安にぶれるほうが合理的であり、150円~160円になっても決しておかしくはない。にもかかわらず、超円高とは・・・・つくられた円高と言わねばならない。日銀は、円高に手を貸す「日本経済の貧乏神?」である。
蛇足: 日銀はバブルを、高金利によって「これでもかこれでもか」と徹底的に日本経済を叩き潰した。もうこれで大丈夫と思って、円高の下1995年以降今度は、全く逆に超低金利政策と量的緩和策を採った。すべては日本経済のためではなくアメリカのため外資のためだったのだと思われる。やはり、アメリカの言う通りにならない小沢氏が邪魔だ、どうしても小沢を排除しておかねばならない。そのための執拗な小沢攻撃が続くのだろうか?
私が今回シリ-ズものとして書いた「為替によって首を絞められていくニッポン」について、反論や批判はありませんか?
貴兄の忌憚ない意見を聞かせてもらえればありがたい。
あれから25年、今でも答えがみつからないのは、あのキチガイのような為替介入を誰が日銀に命じたのかという問いです。建前上、財界・経済界が政府・日銀に要求したということになっていますが、これが怪しい。折に触れ考えてみるのですが、今でも謎なのです。バブルに関する本を様々読んでみたのですが、「経済界の要請で」と判で押したように一言で片付けられていました。
思うに、○○と××が誰々に要請した、という具体名が出ずに「経済界」などという曖昧な言葉が広く使われる場合は、今回の「政治と金」と同じく真相が別のところにあると考えています。
もう一つ、不思議なのは、現在の保守論壇の主流をなす評論家の方々が、こぞってバブルを礼賛し(いつぞや酷評した渡部昇一氏の何かの本を読んで心底腹を立てた記憶がある)、またバブル崩壊の原因を大蔵省の「総量規制」に求めた(あれは切欠に過ぎないくらい実社会にいれば分かりそうなもの)点でした。更に驚くべきことに、この大蔵省攻撃が、官僚攻撃→公務員攻撃→官から民へ→郵政民営化とゆっくり繋がっていったことでした。また、この「バブル崩壊・総量規制説」を唱えた方々は同時に郵便局を盛んに攻撃していました。
余談になりますが、総量規制が出た後、ノンバンクから金をひっぱるための接待役が何の因果か私に回ってきて、女性のいる酒場で酒を飲むのが大嫌いな私が、連日、そういうところへ通わねばならなかったのは、苦役以外の何物でもありませんでした。
貴重なご意見に感謝します。今日の不況の原点は平成バブルにあると思います、小生ももう一度振り返ってみたいと思います。
とり急ぎお礼まで・・・。
あの狂気の時代に冷静な判断をして行動するのは難しい。N氏にそれをさせたのは、これまた狂気の時代であった太平洋戦争をくぐりぬけてきた経験なのか、軍人出身の胆力だったのか、それがしなぞに解るはずもない。
井伏鱒二の小説に「遥拝隊長」という短編がある。戦争が終わったあともまだ戦争が続いていると思っている気の狂った隊長が中国地方の山村で起こす様々な出来事をコミカルに描いたものである。
あの作品の中で井伏鱒二が主張したかったのは「今でこそ、あの隊長のことをキチガイだと呼んでいるけど、戦時中はお前さんたちも皆、気が狂っていたんだよ」ということだろう。「宴のあと」に読むと考えさせられる苦い作品である。
日比谷線東銀座駅下車して、集合場所に向かって歩いた積りでしたが、場所をみつけることができませんでした。
通りがかりの人に聞きましたが、集合場所の水谷橋公園を知っている人はいませんでいした。
よくよく自分の居場所を確認したら、東銀座駅から目的地とは真逆の方向(集合場所から遠ざかる)に歩いていることがわかった(汗)、やっと水谷橋公園らしきをみつけましたが、もうもぬけの空(12時40分ころ)でした。
やむを得ず急いで駅にもどり、地下鉄にのって日比谷公園に先回りして園内をウロウロして、デモ隊を待ちうけました。
デモ先頭の人に、「ごくろうさまです」と声をかけました(ほんとうのところは、小生のほうが、さんざん苦労したのだけれど・・・笑)。
主催者(スタッフの腕章をつけていた人)が言うには、600人近くの人が、集まったとのことでした。疲れました・・・。
本人は本人なりに別の方法を模索しているつもり(米百表のこと)でも、行動するのが横着だっただけなのかもしれません。俺は駄目だな。
実際に調べてみると株式もまた土地と同様に急落しても、今の基準からすれば「あっという間」に値を戻している(たとえば「スターリン暴落」)。株式も土地も同じstockの値段なのですからflowによって決定されるはずで、考えてみれば当然の話ではあるのですが。
従って大蔵省が意図的に「総量規制」を出したとは考えにくい。国民、あるいは無知なマスコミが嫉妬と自己の利益だけ考えて、これを出さしめたのである。その後に三重野総裁を「平成の鬼平」などと大いに持ち上げて喝采を送ったのも同根だと思う。
実は一ヶ月前から、10月23日(土)好天なら、丹沢に山登り(と言ってもハイキング程度ですが)する約束していました。
ということで昨日は丹沢に行きましたので、本日は昨日の丹沢ハイキングの疲労で、身体と足の調子が悪ければ、デモには参加できないかもしれないと思っていました。
夜中に左足がひきつり心配でしたが、多少は痛みがあるものの、何とか歩けそうなので急遽出かけることにしたのです。
主催者の話によると、次回11月2日(火)18時~を考えているとか・・・これに参加できるようでしたら、声をかけます。