いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

ずるいぞ!『バカの壁』の著者、養老孟司氏・・・原発問題はイデオロギー?

2011-04-29 12:05:00 | 日記


 『バカの壁』の著者、養老孟司氏が、東京電力の「ECO対談」や、日本原子力文化振興財団の「原子力文化」の対談に登場していたことを知り、原発推進派であったというのは、ショックだった。「バカの壁」や「死の壁」を読んだ筆者としては、彼が原発の推進派だったとは信じ難い。彼もまた、東京電力や原発推進派のプロパガンダ役に引っ張り出された口だろうなあ、お気の毒なことやと思っていた。ところが、週刊誌AERAの記事をみて驚いた。

週刊誌AERA アエラ臨時増刊 2011/4/10号、「東日本大震災 私たちはどう生きていけばいいのか-27人の提言-その1、解剖学者・養老孟司氏の言葉より)。

このなかで、彼が述べている事柄は「ずっこけるほどひどすぎる内容」ではないか。本日はこの「バカの壁」の著者をバカにしてみることにしました

彼はその冒頭で次のように述べている。

”” 「答え」はいつも目の前にある
見えていないのは「問い」の方だ

 地震や津波は自然災害だが、福島第一原発の事故は完全な人災だ。
 
携帯電話には防水機能があるのに、原発の電源装置はなぜ水に浸かると使い物にならなくなるのか。その根本が私にはまったく理解できない。東京電力は電気が専門の「電力会社」だ。これは、ものすごい手抜きである。

原発が安全か危険かの議論をしている間に、本当の意味での安全性が「嘘」になっていたのではないか。議論そのものが肝心な作業を妨げていたと言ってもいい。もっと悪く言うと、原発の反対派も推進派も、結果的に両者が共同して手を抜いていたということ。私が政治を嫌うのは、そういうところである。われわれの生活に関係があることは、賛成か反対かというイデオロギーで考えてはいけない。”” 

 養老氏はいきなり、”” 「答え」はいつも目の前にある 見えていないのは「問い」の方だ””と決め付けている。反原発派の人たちは、絶えず ”原発は安全なのか?”と問い続けてきた。その「問い」をご存じなかったとは恐れ入るしかない。その反原発派の「問い」に推進派は「安全神話」は口にしても、正しい「答え」を出してこなかった。「安全神話」ではなく、「安全」が担保されているなら、「夢のエネルギー原発」に反対する理由はないではないか。

 彼は「福島第一原発の事故は完全な人災だ」というが、今回の福島原発に限らずあらゆる事故というのは人災である。また、彼の言う「手抜き」であれ「手抜き」でなかったにしても、人間のやることに、ヒューマン・エラーはつきものである。養老氏は又、「本当の意味での安全性が「嘘」になっていたのではないか」と述べている。まるで電力会社の言う「安全性」が『嘘』だった、だから俺(養老氏)らは電力会社に騙されていたとでも言いた気な文章である。
 
””もっと悪く言うと、原発の反対派も推進派も、結果的に両者が共同して手を抜いていたということ。私が政治を嫌うのは、そういうところである。われわれの生活に関係があることは、賛成か反対かというイデオロギーで考えてはいけない。””

「結果的に両者が共同して手を抜いていた」? 反原発を主張してきた者からすれば、「ふざけんじゃねーぞ!」と噛み付かれるだろう。「手をぬいていたのは、養老さん、貴方方推進派の人たちではないか」。原発問題の賛成か反対かが、どうしてイデオロギーなの? 普通のおじさんやおばさんの反対がイデオロギー問題であるわけがないではないか。問題をすりかえたらあきまへん。

「私が政治を嫌うのは、そういうところである」? 政治を嫌うのは勝手だが、政治は我々の生活に直結していることをご存じないのでしょうか。養老氏のように東京大学という国立大学の教授という超めぐまれ、且つ、生活が保障された人だから「浮世離れ」したことを言ってすませるだろう。だが、福島原発事故で、20km圏内から追い出された人の気持ちはさらさらわからないし、わかろうともしない。バカの壁の向こうでセレブな生活をしていれば・・・天上天下 唯我独尊になるのでしょうか。

 国を挙げて原発を推進し、巨額な原子力マネーを使って学者、文化芸能人を取り込み、マスコミを巻き込み、批判する者たちを封じ込めてきた。そのPRのための巨額の費用は、電力料金から捻出されている。そして今回、東電は事故を起こした。事故の補償の費用はきっと電力料金の値上げとして我々が負担することになるに違いない。原発推進に踊らされた人間から、いまさら「お前たちの反対は手抜きだ」と言われて納得するバカはいないだろう。

 養老先生ともあろう方が、原発問題の本質がわかっていないのは驚きである、そこには、「バカの壁」がありますね。まさか「チェルノブイル原発事故」のことをご存じないとは言わせませんぞ。チェルノブイル事故から、明らかになったことは、『人類は未だ放射能をコントロールする技術を持っていないことです。多分、今後未来永劫、放射能をコントロールする技術は持ち得ないだろう』、放射能をエネルギー源として使うことは、人類とっては「禁断の果実」みたいなものです。 いったん暴走をはじめた原子炉から、放射能を取り除くことも消すこともできない。これが原発問題の本質ではないですか?

 上記養老氏のアエラの記事の続きは、下記の通りです。これ以上は論評しない、読者のみなさまが考えてください。多様な考え方や意見があることは、いいことだ。


 ”” 大切なのはトータルで物を見る総合的な合理性である。そういう意味での「安心感」がない人が、非常に増えた。福島で起きたことは、部分合理性にしか目が向かなかった結果である。
 
この震災が自分に問いかけているものは何なのか。最後は、教育に行き着く。長い間、アメリカ式の問題解決型の教育になっていた。自然を見るということが理解されなくなってきた。
 
葉っぱはなぜ重なることなく配列されているのかと言えば、最大限の日照を得るためだ。その効率性はコンピューターで計算すれば何通りも答えは出るのかもしれないが、ともかく葉っぱは重なっていない。自然は初めから「答え」を出している。見えていないのは、なぜかという「問い」のほうだ。
 
人生は何のためにあるのかという質問に意味がないのは、人生はいろいろな問題に対する答えだからだ。頭で「自分の人生は何なのだ」と考えても、絶対に答えは出てこない。
 
震災をふまえた提言と言われると、ああすればいい、こうすればいいという話になる。それも、私からすれば根本から意見が違ってくる。千年に1度の大地震が起きた。その結果が目の前にある。けれども、被災者たち、われわれは、これからも生きていく。そのことに何ら変わりはない。
 
探すべきものは、「答え」ではない。この震災から「問われているもの」は何かということだ。 ””

蛇足:金子みすずの詩から・・・

こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、養老孟司です。

最後に一言、

原発に反対する奴は、しょせんバカな庶民だ、「バカの壁」でも書いて庶民に売れば金持ちになれる、庶民はほんとうにバカなんだね(笑)。

 

作業員たちの苦労、

トッペイ:
養老教授も真性のばかであることが証明されましたね。かたや、定年退職された元エンジニアが福島原発での決死隊を志願されました。現場は場所によっては900ミリシーベルトもあるため、あっという間に被爆基準を上回るため、長時間作業ができないようです。このかたは若者に行かせるわけにはゆかないといって同志を募っているようです。どこかの教授とは偉い違いです。日本では有名人ほどゲスな人間が多いです。
又これとは別に元オウム真理教の野田成人も決死隊に志願したようです。

いかりや:
放射能の被爆と戦いながらの危険な作業に従事する現場の人たち、彼らは作業を終えたら自宅に帰って、くつろいでいるわけではない。

事故を起こした第1原発で作業を終えた人は除染し、第2原発の敷地内にある500人収容の体育館で雑魚寝。畳を敷き詰め、その上に防寒シートを敷き、毛布と寝袋にくるまって寝るそうです。「通気性のない防護服は大量の汗をかく、だが、「4勤2休」のシフトで、4日間は入浴できないという。

現場の作業員の苦労も知らず、高みの見物しながら、屁理屈こいてる場合じゃない。養老先生が、これほどバカだとは思わなかった。

通りがけ:
 
決死隊が行く前に、行けば行っただけの効果が挙がるような無人操縦機械による前処置が必要ではないか。
人材の人命の無用な損失を避けてすべて機械で綿密に行った上で、最後の最後に機械ではどうしても難しい精密作業だけを重装備の決死隊で最大限迅速に被曝を最小限にして行う。
これが絶対の常識であるが、東電はそこまで準備しているのか?
もし準備不足のまま決死隊を作業に行かせると、東電に未必の故意の傷害殺人容疑がかかることを忘れてはならない。



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21 コメント

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決死隊 (トッペイ)
2011-04-29 19:53:52
養老教授も真性のばかであることが証明されましたね。かたや、定年退職された元エンジニアが福島原発での決死隊を志願されました。現場は場所によっては900ミリシーベルトもあるため、あっという間に被爆基準を上回るため、長時間作業ができないようです。このかたは若者に行かせるわけにはゆかないといって同志を募っているようです。どこかの教授とは偉い違いです。日本では有名人ほどゲスな人間が多いです。
又これとは別に元オウム真理教の野田成人も決死隊に志願したようです。

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東電はいかなる前処置を施しているのか明らかにせよ。 (通りがけ)
2011-04-29 22:01:02
決死隊が行く前に、行けば行っただけの効果が挙がるような無人操縦機械による前処置が必要ではないか。
機械でできる準備は人材の人命の無用な損失を避けてすべて機械で綿密に行った上で、最後の最後に機械ではどうしても難しい精密作業だけを重装備の決死隊で最大限迅速に被曝を最小限にして行う。
これが絶対の常識であるが、東電はそこまで準備しているのか?
もし準備不足のまま決死隊を作業に行かせると、東電に未必の故意の傷害殺人容疑がかかることを忘れてはならない。
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思想と私怨 (明け烏)
2011-04-30 08:06:36
視野が狭くケツの穴の小さな人間であるから、すべての思想・信条の源は私怨(ルサンチマン)であると勝手に思い込んでいる。人はいわれなき屈辱を受けたときにこそ頭の芯が痺れるほど考え、己の私怨と屈辱を与えた対象に明瞭な姿形を与えんとする。そしてこの深い思考に基づいて発せられる言葉や文章だけが他人をして心を動かされるものとなると愚かな小者である私は信じている。

1970年代の学生運動が東大医学部から始まったことはご存知の方も多いことだろう。当時、東大医学部の助手を勤めていた養老孟氏は突如、黒雲のごとく湧き上がった学生運動の運動家たちによって理由なき吊るし上げを受けたり、屈辱を与えられたことが何遍もあったことだろう。
人は肉体的な苦痛は忘れることもあるが精神的な屈辱は絶対に忘れない。学生運動が沈静化したあとも養老氏は、あの忌々しい疾風のような学生運動の正体は何であったのだろうと、ずっと考えていたに違いない。
その養老氏が司馬遼太郎氏の「人間の集団について」の中の一章、NYの黒人青年たちの話から日本の学生運動について論じた文章を読んだときの衝撃を私は、さながら自分のことのように感じたものである。「バカの壁」一冊はこのとき成ったのである。30年にも及ぶ思考の末に出てきた書物であれば売れないはずはない。しかもその淵源は強いルサンチマンなのだ。

「エコエコ運動」を推進せんとしている者たちの文章は読むにたえない。それどころか常に胡散臭さや偽善を感じてしまうのは、エコエコ運動家たちがエネルギーの浪費によって何らかの苦痛や屈辱を受けたことがまったくないからなのである。つまり彼らは「反エコ運動」に対してルサンチマンをまったく抱いていない。それどころか盛大な電力の浪費によって支えられているマスコミによって恩恵を受け、結構な金銭を得ているのである。こんな人間たちのエコ推進の言葉や著作によって、誰が感動などするものか。
原子力発電所に関しても、観念的にこれが危険だとはわかっても、現実にこれから被害を受けた人間は少数であるし、またそれらの者の声は告げられることは無い。したがって原発によって利益を受けたものだけの発言だけが取り上げられることに難しさがある。

最近、やっとお目にすることが出来るようになった京都大学の小出裕章氏や広瀬隆氏の発言や著作が、ズンと腹に響いてくるのは、およそ以上のようなことに拠るのであろう。

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養老先生の言っている趣旨 (とおりすがり)
2011-05-29 00:39:53
こんにちは。
まず、記事について、リンクの方が詳しいので読んでみてください。

養老先生が言ってるのは、
「安全性」という言葉の意味は一体なんなのか、ということなんだと思います。

原発は危ない。そんなことは推進派も分かっている。100%安全なんてことは世の中に存在しない。だけど、その制約の中で「できるだけ安全にする」という方向は考えることができたはずだ。

それをしなかった(技術の議論をおろそかにした)のは、あなたのような方が「安全じゃなかったら反対だ」と思考停止したこと、そして賛成派がそれに対して「100%安全だ」と強弁して切り抜けた。つまりお互いの意見に耳を傾け、歩み寄ろうとすることが無かった。だから、今回の失敗が起きた、ということなんだと思います。 、
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Unknown (madmax)
2011-06-23 16:50:38
あなたの意見も、通りがかりの意見も、なぜか私には納得いかない。もちろん、養老さんの「答えは問いの中にある」というトンチがけは頭にくるのだが。。。
やはり一つ一つ考えねばならんでしょう。まずあなたの意見、はじめのところで私は躓いた。『反原発派の人たちは、絶えず ”原発は安全なのか?”と問い続けてきた。』って貴方が決め付けてないか?安全というのにも程度があって、しかし彼らはゼロか百かだけで考えていた。そして結局かれらも現実的な細かい反論と実行的な圧力をなしえなかったからこそ、今回の大量被爆が起こった。被爆された方から言えば、おそらくそうだろうと思う。結局、原発のエネルギーで生活してて、活動家きどりで反原発と言ってただけなら、お前ら同罪じゃないか?と。反体制、活動といえど、結局政治行動なら、結果責任ですよ。それを逃れたいなら、はじめからするなってことだけど・・・ま、それは個人の活動・職業倫理だから強くは言わない。
もうひとつは問い。おそらく人類の長きに渡る最大の問いは、「なぜ生きてんの?」でしょう。生きるということは、ご存知のように、清濁併せ呑むことですよね。われわれ日本人が普通に生活するだけでも、どんくらいの発展途上国の人を苦しめてるか、それをちゃんと計算式で出した人はいませんね。そんな高等な計算なんてするのは余裕のある「先進国」の人くらいですから、あんまりしたくもありませんわね。で、原発。これも実際その恩恵を享受する人たちはその危険を考えたくありませんわね。そこのところに養老さんは、メスを入れたかったはずです。彼は実際本が売れたし、もう余生は虫だけで生きたかったんだし、ほっといてくれ、というのが本音でしょう。それにしたって、そんな人の文章に八つ当たりして、本筋の原発とエネルギーに目を向けないって、変じゃない?パソコンは電気で動くんですよ?
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原発の電気押し売りですかw (通りがけ)
2011-06-25 08:16:07
>パソコンは電気で動くんですよ?

太陽電池充電で十分動くけどねw
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原発文化人、東電御用学者を斬ろう! (時間よ止まれ)
2011-09-14 10:31:03
養老氏への批判はおっしゃる通りだと思います。
佐高信氏も『原発文化人50人斬り』で批判していますね。
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誰が馬鹿なのか (Totty)
2011-11-24 02:05:51
養老氏への考えだけを馬鹿にすれば良いのに、
養老氏の地位、生い立ちまでもを何かそれだけで悪いかのように語っていて不愉快でした。
『庶民』の視点から考えると、養老氏の地位や生い立ち(履歴)は羨ましい。
そういった点を抜きに考えられませんか。(無理ですね)

「福島原発事故で、20km圏内から追い出された人の気持ちはさらさらわからないし、わかろうともしない。バカの壁の向こうでセレブな生活をしていれば・・・天上天下 唯我独尊になるのでしょうか。」
少なくとも福島原発事故を体験していない人が、追い出された人の気持ちを理解することはできないでしょう。
しかし、養老氏のような「浮世離れ」している人には分かるはずがないと言いつつも、「庶民」である自分はその気持ちを理解できるかのように、養老氏を馬鹿にしている(ように聞こえた)。

あぁ、人はわかりあえない。
そういった思いを感じたことがありませんか。

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Unknown (私も通りすがり)
2012-02-29 23:19:06
まあ貴方が事故が起こる前から原発に反対していて、様々な活動に参加していたとは余り思えませんけれどね(笑)

批判するだけのゴミは、だいたい圧力がかかると戦わない。自分の名を隠してネットでブツクサ言ってるだけで、日常生活では駄目出しばっかりされている無能者で、そのはけ口に他人を批判するって奴ですかね?。

そういう奴が日本を駄目にしている。

以上
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Unknown (私も通りすがりへ)
2012-03-01 03:29:19
そういうあんたは原発賛成のデモをやっていたのか。
上から目線で何様?あんたも名前を隠してぶつくさ言ってんじゃん。
そういうお前のようなB層が日本をダメにしてる。以上(大爆笑)
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