いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

「史観論争」とアメリカの対日政策

2010-06-30 17:32:48 | 日記

け烏

 藤原正彦氏の文芸春秋掲載「日本人に告ぐ」を読んだ。東京裁判による日本人悪玉説の刷り込みが余りに凄まじかったので、日本人は自分たちが悪いことをしたと思い込み、戦後の自虐史観、または対米従属一辺倒になって今や民族の誇りすら喪われてしまおうとしている。しからば日本人よ、自信を取り戻せ、というどこかで見たような論調であった。また明らかにユン・チアンの「マオ」のコミンテルン観が用いられている。

では、現在のような一億徹総洗脳愚民化による米国の言いなり状態は、東京裁判における贖罪史観からのみ発生したものであろうか? 私は違うと思う。

第一にマスコミを支配下に置くことにより、情報を寸断し自国(アメリカ)の都合の良いように誘導していった米国の支配政策が非常に巧妙であったこと。しかもこれは日本人の苦手な五十年単位の長期計画であった。

第二に日本人の明治以来の欧米コンプレックスが、これを受け入れやすいものにしたためアメリカの政策が齟齬なく、運んでしまったこと。この二点を忘れてはならない。民族の意識が一朝一夕に変わることはないはずだ。僅かずつ僅かずつ、情報を刷り込んで何十年という歳月をかけねば不可能だろうと思う。

 実は、これを無視した田母神氏のエッセイや藤原正彦氏の論文の弱点がここにある。東京裁判史観が完全なる間違いであったとの主張をするためには、戦前の日本の完全善玉説、そしてコミンテルンと米国の完全悪玉説の両方を証明する必要があるのだ。

 歴史的事実など甲論あり乙論ありで皆が勝手に唱え始めたら切りがない。誰も史実を実際に見たわけではないし、資料といえども捏造したものあり、意識的に不都合な部分を削ったものありで、何が嘘やら真やら判別できないと考えるのが、正確なところだろう。

そして東京裁判史観完全否定論は戦前の陸軍を中心とした軍部独裁政治を肯定せざるを得ないため、ここに似非右翼、暴力団系右翼、ネット右翼、宗教団体系右翼などを巻き込み収拾のつかない事態となっている。そしてこれらの者を嫌悪する同じ「独立派」の心ある人々の分裂を惹起しているのだ。これでは米国の思う壷ではないか

 我々が今、せねばならないのは「東京裁判史観」と「米国隷属」との直結を暫く忘れて、つまり戦前の歴史的事実を口角泡を飛ばしながらの正否論争に熱を入れるのではなく、次の事実を確認することである。

第一に、首都東京の完全制圧と、日本軍の瞬時殲滅可能な米国軍が常駐している以上、日本は真の意味での独立国ではない。植民地である。だからこそ米国は好き放題に日本の富を収奪しているということ。

第二に、上記のような事態を招いたのは、戦後五十年、たゆむことなく継続されてきたアメリカの情報工作によるところが大きいこと

第三に、現在の日本の政治家たちも、飴とムチを使って米国情報機関に完全にコントロールされていること。無論、マスコミは米国に利する情報だけを流しているのも忘れてはなるまい。

第四に、しからば、このアメリカの頚木を少しでも軽くして畳みの目一つずつ離れてゆくためには、どのような政策を採っていけばよいかを「独立派」が小異を捨てて大同について考えること。

 購読を止めた「文芸春秋」を750円で買ってしまったことを後悔して書いた。

いかりや:

 私は終戦のとき満十歳だった、米軍の空爆で逃げ惑い左足に火傷した。父は軍需工場に勤め、家の裏山には探照灯の基地があった、その先の山には高射砲台が並んでいた。従って、戦争中の庶民生活の雰囲気は子供ながらに実体験している。

 私の乏しい体験から申し上げれば、終戦のころには公に口に出して言えなかったものの厭戦気分があったように思う。その厭戦気分は、満州事変、日中戦争そして太平洋戦争と続いた長い戦時下で軍部の横暴(憲兵などの民間人の監視)による重苦しい雰囲気と庶民生活は耐乏生活を強いられ、困窮を極めたことも原因にあったと思う。

 戦争が終わってみれば、かっては鬼畜米英と憎しみを叩き込まれた米兵が、チョコレートやチュウイングガムをばらまいてくれた。食糧・メリケン粉なども配給されて、戦時中の軍部・憲兵の横暴よりもアメリカ軍は意外にもやさしかった。すっかりアメリカの巧妙な政策に騙された? 私は高校生のころは、日本は負けてよかったのではないかと思うようになった、無論周囲の大人たちも公然とそのように話していた。

 私の独断と偏見かも知れませんが、アメリカは幕末のペリーの黒船来航の頃より、あわよくば日本を植民地化したいと狙っていたのではないでしょうか。太平洋戦争は日本の真珠湾攻撃で始まったことになっていますが、実のところ、アメリカは日本を巧妙に戦争に巻き込んだ。アメリカは日本に勝って日本を植民地化したかった、だが第二次大戦後は既に欧米列強の植民地政策は時代錯誤になって公然と植民地扱いはできなくなっていた

しかし、アメリカの戦後の占領政策は、あらゆる面で精緻を極めたもので、決して俄仕立ての占領政策ではなかったその政策の流れは今日まで脈々と受け継がれています。特に1970年代以降の日本経済の目覚しい発展に脅威を感じたアメリカは、日本経済の押さえ込み対策として、「為替の変動相場制」の導入と「プラザ合意」で日本経済を巧妙に押さえこみに成功した。

 そして最近は「日本政府への米国政府の年次改革要望書」、「郵政民営化」などかなり露骨に従米化政策を進めている。アメリカに隷従しない政治家やアメリカにとって危険視する経済学者を桧舞台に立たせないように企んであるようにみえる。



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2 コメント

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井上ひさしさん・・・ (明け烏)
2010-07-02 04:56:05
文芸春秋七月号には、井上ひさし氏の「絶筆ノート」も掲載されていた。読んでみると、前の奥様とのことで苦悩ひとかたならなかった氏が再婚によって心安らかな死を迎えられたことは大ファンである私にとっては嬉しいことであった。

さて若い頃愛読した井上氏の中で、私が一番笑ったのは次の下りである。若き井上氏をモデルとした主人公にバンドマンの知り合いがいたのだが、この方、言葉をバンドマン風に何でもひっくり返す。すると

「バーの女とホテルで情事をしたあと飯を食っていたら、女に子供が出来たから金をくれと脅かされ、断ったら電話で女房に暴露され血の雨が降った。腹が立ったので糞をして寝た」
という文章は、
「アーバのナオンとテルホでカケシをした後、シーメを食っていたらナオンにドモコキーデしたからネーカをくれとカシオドされ、ワリコトしたらワデンでチャンカーにレーバされイーチのメーアが降った。ラーハがチータしたのでソクばらして寝た」
となってしまうというもので、私は腹を抱えて笑い、この馬鹿々々しい例文を作った氏の言語感覚は比類がないものだと思った。

# 記憶だけで書いたものなので少し違っていたらお許しのほどを。
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人脈は続く・・・ (明け烏)
2010-07-05 14:07:51
高校1年か2年の時であったから、もう40年近く前のことである。父親の机の上に置いてあった「月刊現代」を読んでいると、右翼・田中清玄氏と評論家・大井廣介氏との対談が載っていた。徒然なるままに読んでゆくと「戦前の特高の拷問で死んだ人間は一人もいない」という田中氏の発言に驚いたことがある。しかし国士として名高い田中清玄氏の言葉に嘘はなかろうと漠然と信じた。

ここから暫くして坂口安吾のエッセイを読んでいると、坂口安吾が徴兵逃れのために大井廣介氏(本名は麻生某といい、実家は九州の炭鉱王であるという注があった)に頼んで炭鉱で働かせてもらうように頼もうとしたという記述があり、「へ~、大井廣介は吉田茂の親戚なんだ」とこれまた漠然と記憶した。

50歳を目前にして、「下山事件」と「松川事件」の首謀者が田中清玄氏であることを知った。氏が米国の情報機関(キャノン機関、またはガーゲット機関)に依頼して実行してもらったというのが事実だった。

思い返せば、現在行われている情報操作は相当昔から連綿と続けられており、しかもそれを行っている日本人の主流がそのままの人脈であることに口をあんぐりと開けるしかない。
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