読売新聞(yomiuri online)によれば、「代表選当日の小沢氏審査、「議論煮詰まり議決」と題して、次のように締め括っている。
””議決の後、「こんな日になっちゃったね」と漏らす審査員もいたという。多数決の結果、起訴議決が出たのは午後3時頃。代表選で開票の結果、小沢氏の落選が決まったのは、その約30分後だった。 ””
産経新聞によれば、
「なぜ代表選の日に議決? 補助員は「影響ない」 小沢氏強制起訴」と題して、
”” 議決が下されたのは折しも民主党代表選が行われ、小沢氏が菅直人首相に敗れた「9月14日」だった。「なぜこの日か」と憶測を呼ぶ中、法的に助言する審査補助員を務めた吉田繁実弁護士は「重なったのはたまたま。当日は一日中審議しており、影響はなかった」との見方を示した。””
反小沢の代表格の両新聞でさえ、民主党代表選挙当日の議決に注目しているのである。9月14日代表選挙の結果が最終確定するのは午後4時頃であることは、当初から言われていたことであり、新聞やTVでもそのように報じられていた。
9月14日午後4時~、もし小沢氏が代表に選出されていたならば、代表が決まった直後の午後4時過ぎに狙いを定めて、この「強制起訴」のロケット弾をぶっ放せばその劇的効果ははかりしれなかった。当日の夕刻~夜のTVは上を下への大騒ぎだったに違いない。
「検察審査会議決、小沢氏強制起訴確定」「起訴された被告人が総理大臣でよいのか」という類の号外が飛び交ったことだろう。TVや新聞は、小沢氏酷評のキャンペインが張られたことだろう。
言い方は悪いが、小沢氏を狙い撃ちとしたテロ決行(発表)の日時が9月14日午後4時~だった・・・が、標的が先に墜落したために、決行をとりやめたのと違いますか。そして、その決議日時が問題視されることを恐れたため、そのほとぼりが冷めた今頃になって発表したのだろう。
法的に助言する審査補助員を務めた吉田繁実弁護士は「全くの偶然。影響はなかった」との見方を示したと言うが、素人目にみても「この決議は計算し尽くされた議決日時」だったに違いないと疑わざるを得ない。
吉田弁護士は法的な助言をする審査補助員であるという立場上、恣意的な誘導をすればその結果は当然予測できるし、また僅か11人の審査員であり各審査員の考えが「起訴相当か否か」どちらにあるのかくらいは、予めわかるだろう。
ということは、吉田弁護士は、事前に「起訴相当」という議決が出されることを知っていたか、もしくはそれを確信して予見できていたはずである。何人も完全中立ということはあり得ない。そういう意味では、補助審査員を務める弁護士は、「起訴相当」の立場の弁護士と「不起訴相当」の立場の、少なくとも二人以上の審査補助員でなされるべきである。この制度の最大の欠陥である。
そうでなければ、最低でも審議過程の可視化が必要であるのは言うまでもない。(刑事事件の場合は、容疑者の逆恨みということもあり得るので、審議過程をオープンに出来ない場合もあるだろうが、本件の場合そういう心配もないし、むしろオープンにするべきだった)。
検察審査会の決議に疑惑を抱くのは、筆者ばかりではない。
Drジョーの見方:
本日ネット配信された以下の記事を眺めて愚考いたしました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101006-00000087-yom-soci
この記事が事実と仮定すれば、
>東京第5検察審査会が小沢氏を「起訴すべきだ」と議決するまでの経緯が、審査会関係者の話で明らかになった。
この関係者とは?このような情報を公開するのであれば、立場を明らかにして欲しいものです。
>9月上旬には、「起訴議決」を出す場合に義務付けられている検察官の意見聴取を行った。意見聴取では、東京地検特捜部の斎藤隆博副部長が1時間以上にわたって説明。斎藤副部長は「元秘書らの供述だけでは、小沢氏と元秘書らとの共謀の成立を認めるのは難しい。有罪を取るには、慎重に証拠を検討することが必要です」などと、審査員らに訴えたという。
悪質な誘導があったことは想像に難くありません。地検副部長の語ったとされる内容は、「小沢氏は極めて疑わしいが、検察の集めた証拠だけでは起訴にもちこめなかった。審査員の方々が起訴相当の判断をすれば、法廷に判断を委ねることが出来る」というようにも受け取れる。
このような誘導が、マスコミ情報に毒された審査員の判断を狂わせたのではないでしょうか。
>審査員に法律的な助言をする審査補助員を務めた吉田繁実弁護士は、暴力団内部の共謀の成否が争点となった判例や、犯罪の実行行為者でなくても謀議に参加すれば共犯として有罪になるなどと認定した1958年の最高裁大法廷判決を審査員に示し、「暴力団や政治家という違いは考えずに、上下関係で判断して下さい」と説明した。
本当に弁護士がこのような説明をしたとするならば唖然とするばかりです。「上下関係で判断して下さい」=「上位の立場にいる小沢氏が、実体を知らないまま秘書の言葉に従うのは不自然」と言わんばかり。
過去を振り返ってみれば、
この国の司法(警察、検察、裁判官)は、決して分かるはずのない人の心に踏み込んで、曖昧な状況証拠から「このように考えていたものと認められる」と非科学的な判断を下し、冤罪をもたらしてきました。
いかりや:
検察審査会の審議は、「起訴相当」派の弁護士と「不起訴相当」派の弁護士の双方からの助言でない限り、公正さは保てない。最初から起訴ありきを前提とした極めて疑惑に満ちた結論と疑われても仕方がない。現在の日本は「魔女狩り」までやる国に落ちぶれた。
レンホーが、150万円もするブランド服で着飾ってファッション雑誌の撮影をしたことにはあきれかえって言葉もありません。この女は政治をなめている。思い上がった勘違い女は国会から出てゆけ!
(幕末に盛り上がった)攘夷運動を実行してたとえ外国に勝ったところでどうなるのか。どうなるかなどとは(攘夷家)は考えていなかった。それは興奮状態にある婦人に似ている。それをなだめる男性の論理というものは、常に感情的になりやすい日本の政治では通用しにくかった。
ここ2年近い「小沢一郎たたき」と「政治と金」の報道の嵐を見るにつけ、やはり国民性というのは易々とは変わらないのではないかと感じる。どれほど女との修羅場に慣れていたとしても、これを持て余さない男はいないだろう。心中、嘆息と怒鳴り声を堪えながら泣き喚く女性をなだめるほど徒労感に襲われる行為も珍しい。
回数を積んで多少上手に扱える男性はともかく、私のように初心な男は尚更である。そして今度の「小沢一郎騒動」は多くの国民にとって、初めての経験なのである(ロッキード事件を覚えている方でようやく2回目)。
つぎのようなメッセージが出ます。
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自分の方からはアクセスできます。