2003年10月に政界を引退して既に6年以上が経過し、もう過去の人だと思っていた。彼は今年10月には85歳になるという、政治のことから離れて悠々自適の老後を送っているはずの男が突如、官房長官時代の「官房機密費」の使い道を暴露して世間の耳目を集めることとなった。
しかも、TBSでの放送後も、4月30日、共同通信や朝日新聞などの記者たちにも同様の内容を話し、その前に4月23日那覇市内で開かれたフォーラムの基調講演の中でも話していたことがわかった。彼の度重なる暴露は、かなり用意周到に準備していたものと思われ、彼の執念さえ感じさせる。
彼のバクロは、少なくとも自民党にとって有利に働く証言ではない。そのことは彼自身が百も承知の上のはずである。
野中氏はインタビューの後半では、言論活動で立派な評論をしている人たちのところに盆暮れに~百万の官房機密費を配ったことを明らかにし、「日本の政治のむなしさを思う」「私にすべての責任がある」と認めた上で「新しい政権の下でも続けていくことがないように」と述べたという。だがそんなに綺麗ごとではない、引退後5年以上も経過したこの機の暴露の真意は、別のところにある。
それは彼自身が受けた被差別との戦いが、例えば松本サリン事件の被害者でありながら被疑者扱いされた河野義行氏に対して「人間として政治家として心から申し訳なくお詫びしたい」と謝罪したことや、ハンセン病患者や重度身体障害者療養施設や重度身体障害者授産施設を自ら設立・運営していること、沖縄米軍基地に苦しむ沖縄県民への思いやりなどから、「野中氏の弱者への姿勢」は、単なるパフォーマンスだけでないことを示している。
過去における小沢氏との確執があっても、そんなことよりもやはりマスコミのいわれなき非難に晒される小沢氏へのやむにやまれぬ強力な援護射撃だったに違いないと思う。
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