いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

騙される側の責任について、

2013-03-21 19:58:56 | 日記

 本来なら、人を騙した方が悪いに決まっている。それでも、「騙される側の責任をひしひしと感ずる(孫崎氏)」とは、いささか理不尽過ぎではないだろうか。

昨日(3/21)は、イラク戦争開戦から10年でした。

東京新聞(3/20)によれば、
”イラク開戦10年の全国で検証イベント 戦争を検証するイベントが全国で開かれている。日本にとっては「人道復興支援」の名の下、戦闘が続く外国領土に初めて自衛隊を派遣した戦争。その検証は、日本の進むべき道を問い直すことにもつながる。・・・”などとしている。

 イラク戦争と言っても、仕掛けたのはアメリカ側であった。ペルシャ湾岸地域に展開していた28万人の米英軍が、イラクの首都バグダッドに向けて侵攻、一方的に空爆をはじめた。2011年の米軍完全撤退までに、米兵死者は4500人。イラク側犠牲者は、非政府組織(NGO)のイラク・ボディ・カウントによると、米軍撤収までの死者は約16万2千人、8割が民間人で、約4千人は子供の犠牲者だった(2013.3.17 東京新聞)。ブッシュ前大統領の開戦宣言はイラクが「大量殺人兵器による差し迫った脅威」なるものであったが、大量破壊兵器は存在しなかった。

「大量破壊兵器は存在しなかった」というより、最初から、大量破壊兵器をイラクが保有していることそのものが疑問視されていた。それどころか、ブッシュ大統領もイラクには「大量破壊兵器は存在しない」ことを最初から知っていたはずである。ブッシュは「大量破壊兵器の有無よりも、先ずイラク攻撃ありき」を優先していたので、時間が経過するとともに「大量破壊兵器が存在しないこと」が明白になることを恐れて(戦争開始の大義を失うので)、さっさと攻撃に踏み切ったのだろう。極めて汚いやり方だが、それがアメリカの戦争というものだ。

 常識的にみれば、もし戦う相手が「大量破壊兵器」を保有しているなら、危なくて大量の軍隊を派遣して戦争なんかやってられないのだ。

 アメリカは南北戦争以来、数々の戦争を経験しているが、戦争に負けたのは、ベトナム戦争くらいである。しかしそのベトナム戦争の敗北でさえも、米本土の攻撃を受けての敗北ではなかった。

 アメリカは、負ける戦争、或いは負けるかもしれない戦争は最初からしないのである。
イラク戦争を検証するのであれば、この事実をよく踏まえてアメリカの野蛮性を理解することが重要である。そうでなければ、騙される側の責任を問うのはおかしいと思う。

 太平洋戦争では、日本はルーズベルトの策略に乗って戦争にひきずりこまれた。表向きは日本が真珠湾攻撃したことから始まったことになっているが・・・。日本は戦争に敗北して、東京裁判において当時の責任者らは「平和の罪」を問われて断罪された。

 イラク戦争は、アメリカが偽りの大義をでっちあげて戦争を始めたが、無論戦争責任は問われないし、ましてや「平和の罪」みたいな甘っちょろい論議もなし。

蛇足ですが、孫崎氏の「日米同盟の正体」(2009.3.20 講談社現代新書)から、以下のように、

アメリカ側関係者の安全保障に関する日本人に対する見方は、

「日本人に戦略思考ができるか。答えは多分ノーだ・・・」
「・・・日本人は安全保証の問題に無知だから、われわれがガイドラインを作ってやらなければならない気分になる」

こうした米国安全保障関係者の話をまとめると、
(1)日本人は安全保障問題を戦略、軍事の視点で十分に理解できない。
(2)日本の安全保障政策は米国人がシナリオを書く必要がある
(3)日本人を説得するには安全保障で述べてもわからないから、経済を絡ませて説得するとよい。

日本では、国際政治の分野では神様のような扱いをうけてきたキッシンジャーは、「日本はいまだに、戦略的な思考をしません。経済的な観点からものを考えます」とか、「日本人は論理的ではなく、長期的な視野もなく、彼らと関係を持つのは難しい。日本人は単調で、頭が鈍く、自分が関心を払うに値する連中ではない。ソニーのセールスマンのようなものだ・・・」