いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

日本の民主主義はいまだ12歳以下なのか?

2010-05-16 17:39:47 | 日記

 前回は「検察の横暴を許す日本の民主主義は根付いていない」と題して検察の横暴について書いた。真の民主主義社会の再構築が必要である

 小沢幹事長は先月(4/18)、両親の法要に集まった人たちのまえで、「日本に民主主義を定着させたい。残りの人生頑張る」と言ったという。彼は多くを語ったわけではないし詳しい説明をしたわけでもないが、私には妙にこの短い言葉がひっかかった日本は民主主義の国である、そんなこと当たり前じゃないかと誰もが思っている。その誰もがあたりまえと思っていることに、彼が敢えて「日本に民主主義を定着させたい」と語った真意は何か?

 一連の小沢氏と秘書を巡る検察の捜査は「主権は国民にあり」とする民主主義の規範に反している。小沢氏に関連する捜査は、具体的な事件(例えば殺人事件)が発生したわけでもなければ、具体的な被害者がいたわけでもない。具体的な証拠があっての捜査でもなかった。昨年3月3日の大久保秘書逮捕そのものが憲法に定める基本的人権に反している(形式的な手続きはあったにしても、司法当局がグルになればどんな取調べでも可能な状況を創り出している、それが冤罪を生んでいる)。
 民主主義の基本は国民主権であり、たとえ検察と言えども、予断に基づく捜査は許されるべきではない。しかしそれが現実には、まかり通っているのが今の日本の社会状況である。このような状況は戦前の特高警察となんら変わりない。

 はっきり言えば検察の小沢氏に関連する一連の捜査は明らかに検察の政治への介入であり、間違っている。昨年3月3日の大久保秘書逮捕で、一時国策捜査ではないかと疑われた。取調べの可視化が叫ばれる時代である、国策捜査であるかどうかは別にして、政府は彼の逮捕が正当なものかどうか「具体的な証拠は何か、逮捕根拠を明らかにするよう」検察に説明責任を求めるべきであった。結局、司法への介入などと非難されることを恐れて鳩山首相が一歩も二歩も引いたがために、大久保氏の長期拘留(2ヶ月半以上)という非人道的扱いがまかり通った。司法の独立性の乱用を許せば、官僚(検察)がこの国を支配することになり、日本は民主主義国家とは言えなくなる。

 一方のマスコミが糺すべきは、「小沢氏の政治と金」ではなく民主主義の根本が問われる検察の不当介入であるにもかかわらず、検察とねんごろになっている。
 こんな極めて当たり前のことを、日本人全体が自覚していないところに、この問題の根深さがあるように思う。
 しかも、この問題は自公の議員は勿論、民主党の議員とりわけ鳩山首相でさえも充分わきまえていないように思われる。ましてや、検察の手先になって扇動するマスゴミ・ジャーナリスト、そしてマスコミに洗脳されている大衆も、まさに国民一億総白痴化現象? 何故こんなことになったのだろうか

 戦後の新制中学になったばかりの頃に、私は中学生になった。その頃できたばかりの社会科の授業でのおぼろげな記憶ながら・・・、

これからは民主主義の世の中になる、民主主義というのは、天皇主権でもなく、軍に主権があるのでもない、これからは国民に主権があるのだということを強調して教えられた。戦前の特高警察の横暴による反省から、民主主義が強調されていたように思う。

 実は一昨日、中学で長年社会科を担当し校長も務めたこともある年金暮らしの知人に電話して聞いてみた。「最近の中学生の社会科では民主主義についてどのように教えているのだろうか」と。民主主義について、社会科ではわざわざ民主主義をとりあげて説明していない、そもそも社会科の授業そのものが非常に軽んじられ、主体は受験に備えた授業になっているとのこと。案外、こんなところに日本人の総白痴化現象があるのかも知れない。
 民主主義とは何かを問い直し、真の民主主義社会の再構築が必要であると改めて思う。