なのにオイラは京都へゆくの?

大阪の中年男が、京都の山に登った際の赤裸々(?)な公式日記帳やねん。
のはずが……京都・自己満足ブログとなりにけれ。

フォーク・クルセダーズの聖地を巡るの巻

2015-09-22 01:23:43 | 音楽

 時は1965(昭和40)年。
 ビートルズは「イエスタディ」、ボブ・ディランは「ライク・ア・ローリング・ストーン」、ローリング・ストーンズは「サティスファクション」を発表する洋楽にとっても熱い重要な年。

 日本では、当時、龍谷大の学生だった加藤和彦青年が雑誌「MEN'S CLUB」9月号の読者欄で「フォーク・コーラスを作ろう」と呼びかけたことによって、ザ・フォーク・クルセダーズが結成されたのであった。

 まだ無名だった加藤青年の実家の住所が掲載されている。一度行ってみたい。
 ところが、伏見「市」は「区」の誤植やとわかるんですけど、現在の町名に「深草伊達町」は存在していないのである。深草「東」伊達町あるいは深草「西」伊達町ならあるのだ……。

 行ってみたいけど実家を限定できないとなるとなあ……、と今まで二の足を踏んでいたのであるが、この前フォークル主演の映画を見てしまった勢いで、思い立ったが吉日。

 今回は山中ではなく、ひたすら街中を歩きます。

 9月21日(月)

 ▼ 7:50 やって来ました京阪・藤森駅(ふじのもりえき)。

 ▼ まずは深草西伊達町に行ってみる。


 ▼ 伊達町交差点を通過。

 ▼ 8:10 深草東伊達町47番地に到着。現在は介護施設が建っているのだが、ココを加藤和彦氏の実家跡に比定しておきます。


 ▼ 大岩山にほど近い場所でありました。

 ▼ ちょっと歩けば稲荷山もあるし、遠く愛宕山も見えるエエ所です。のどかで静かな地域なんで、楽器演奏したら近所迷惑やったんかもしれませんねえ。


 ▼ 8:48 加藤和彦氏の母校・龍谷大学深草キャンパスを通過。

 ▼ 北山修氏の実家跡をめざして京都駅方面に進行。鴨川をわたる。

 ▼ 9:34 JR京都駅に到着。人多し。


 ▼ 9:57 西洞院通を上って北山修氏の実家跡(下京区七条通油小路東入ル大黒町253)に到着。現在は外観も変わり別の病院になっていますが、「帰って来たヨッパライ」は北山医院の2階応接室でレコーディングされたようなので、ココに「J-POP誕生之地」と記念碑を建ててもエエんとちゃいます?

 ▼ 10:35 西洞院通をひたすら上って上って、オイラの欲深さゆえに御金神社(みかねじんじゃ)へ寄り道。

 ▼ 11:06 西洞院通から釜座通を経由して新町通を上って上って、カトリック西陣聖ヨゼフ教会(上京区新町通一条上ル一条殿町502-1)に到着。アマチュア時代のフォークルが初ライブを行った場所なのだ。


 ▼ ふと、幸神社(さいのかみのやしろ)に立ち寄ろうとしたら「ちょいと、お兄さん」と声をかけられた。「野菜の配達で余ってしまったので買って下さい」と言う。丁重にお断りしましたが、美人お姉さんでした。買ったげたら良かったと今さら後悔。

 ▼ 出町ふたばで豆餅を買おうと思ったが人が多すぎ。あきらめる。

 ▼ 加藤和彦氏が映画音楽を担当した「パッチギ!」で乱闘シーンの撮影があった鴨川デルタ。

 ▼ 12:00 聖地巡礼終了。帰阪。

 ▼ 本日の歩行距離=14.5km。(↓クリックしよし)

 



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