なのにオイラは京都へゆくの?

大阪の中年男が、京都の山に登った際の赤裸々(?)な公式日記帳やねん。
のはずが……京都・自己満足ブログとなりにけれ。

テンペスト/ボブ・ディラン71歳

2012-09-29 13:46:33 | ディラン御大
テンペスト・デラックス・エディション(初回生産限定盤)
ボブ・ディラン
SMJ

 京都市出身みうらじゅん氏も大好きなボブ・ディランの新譜アルバム『テンペスト』(日本盤)が、9月26日に発売されました。
 初回生産限定盤のみスペシャル・ブックレット付(ファン垂涎? 世界各国の超レアな雑誌の表紙を集めた60ページにも渡るブックレット! メモ付きの手のひらサイズ手帳です。所持しなくてもこれからの人生に何ら影響はありませんが、持ってないよりは持っていた方がよいかも)

 【CD帯裏・紹介文】
 デビュー50周年、今もなお走り続けるロックの神様ボブ・ディラン。通算35作目となるオリジナル・ニュー・アルバムには71歳にして衰えを知らないエネルギーがつまっている。タイタニック号の悲劇を紐解く14分間の大作「テンペスト」。「カム・トゥゲザー」や「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」などの歌詞の断片をいくつか引き合いに出しながら、ジョン・レノンに捧げた7分半に渡る感動の「ロール・オン・ジョン」他全10曲のディラン書き下ろし新曲を収録。

 ▼ アルバムの冒頭を飾る「デューケイン・ホイッスル」のPV。

 ふーむ……、今回のアルバムもアメリカン・ルーツ・ミュージックを基調とするオールド・タイム・サウンドである。砂っぽいアメリカの片田舎の場末のハンバーガー・ショップで、壊れかけたAMラジオからノイズ混じりに流れてきそうな音楽なのである。オールディーズもたまには聴くが、純日本人のオイラにとっちゃもうお腹いっぱいいっぱいなのだが、ファンのサガで毎回CDは買ってしまうのであるなあ。(T_T)

 しかしながら、古き良き時代のアメリカを彷彿とさせるディラン御大の最近の一連のアルバムは、輝かしく懐かしい過去に回帰したいという欧米人の心理が働いているのか、本国では凄いセールスを上げているのだった。
 1997年の『タイム・アウト・オブ・マインド』はビルボード10位、プラチナ・ディスク獲得、グラミー賞で最優秀アルバム、ベスト・コンテンポラリー・フォーク・アルバム、男性ロック・ボーカルを受賞。2001年の『ラヴ・アンド・セフト』はビルボード5位、ゴールド・ディスク獲得、グラミー賞で最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバムを受賞。2006年の『モダン・タイムズ』はビルボード1位、世界中で250万枚以上を売り上げたほか、グラミー賞で最優秀コンテンポラリー・フォーク/アメリカーナ・アルバムを受賞し、最優秀ソロ・ロック・ボーカルも受賞。2009年の『トゥゲザー・スルー・ライフ』は御大にとって初めての全米・全英アルバム・チャート初登場1位を記録。
 今回の『テンペスト』もビルボード初登場3位で好調なすべり出しである。

 オイラにはアメリカ人の知人が一人もいないのでわからないのだが、そんなに御大はアメリカで人気者なのかい? アジアの片隅にいると、まったく実感が湧かないのである。今年5月にはアメリカ市民に与えられる最高位な勲章「大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)」までもらってはるのである。
 歌詞が評価されて毎年ノミネートされては落選しているノーベル文学賞も、今年は英ブックメーカーのオッズで1位と2位を村上春樹と争っているようだ。
 ▼ 近年使いはじめたこのマークは、人気と引き替えに魂を売り渡したことの表明なのか?

 オイラがディラン御大の音楽をリアル・タイムで聴くようになったのは、1981年にリリースされたアルバム『インフィデル』からだった。
 御大50年のキャリアの中で最も低迷期だった頃で、やることなすこと裏目裏目の絶不調期に聴きはじめているので、今のように脚光を浴びているのが嘘のようである。80年代ですでに過去の人扱いだったからな~。

 ▼ パンクっぽいアレンジで一生懸命歌ってはるのは伝わってくるのだが、ハーモニカで放送事故!

 ▼ ミキサーにアーサー・ベイカーを起用して時代に乗っかろうとしたが……。極秘来日して撮ったPVも不評を買う。

 ▼ 「ウィ・アー・ザ・ワールド」レコーディング中は終始居心地悪そうだった。スティーヴィー・ワンダーから歌唱指導を受ける。一生懸命さはわかります。

 ▼ 世界中に中継されたライヴ・エイドで幕前の幅1mの最悪なステージ。ギターの弦も切っちゃうし。でも汗びっしょりで一生懸命ですよね。

 ▼ 主演映画「ハーツ・オブ・ファイア」。不評のためにアメリカでは1週間だったか2週間だったかで公開打ち切りだったっけ? 日本では劇場未公開。テレビの深夜映画枠で一度観たきり。

 ▼ 低迷期でも決めるときは決める。カッコいいっス!

 人は御大のことを「ロックの神様」とか「フォークの神様」と呼んだりするが、非常に人間味溢れる愛すべきドジでマヌケなシンガーソング・ライターなのである。

 音楽評論家からの評価が著しく低い80年代のアルバムであるが、秘かに名曲が散りばめられていてオイラは好きである。逆に著しく評価が高い1997年の『タイム・アウト・オブ・マインド』は、オイラからすれば幽冥界から聞こえてくるような陰鬱で退屈なサウンドのアルバムで、まったく聴く気がしないのでどーすりゃいいんだろう。
 みうらじゅん氏はディラン初心者に対して、自分の年齢とアルバム・リリース時のディラン御大の年齢が同じアルバムを聴くことを推奨している。その説に則れば、オイラも55歳を超えれば、最近の御大のシブさがグッと心に入ってくるのであろうか? ディラン道は長くて深い。それまで待とうホトトギス。
 『タイム・アウト・オブ・マインド』(御大55歳)
 『ラヴ・アンド・セフト』(御大59歳)
 『モダン・タイムズ』(御大65歳)
 『トゥゲザー・スルー・ライフ』(御大68歳)

 ところで、ビートルズの中で最も御大と親交があったのはジョージ・ハリスンである。

 はたしてジョン・レノンとはどのぐらい近しい仲だったのか? 互いに時代を転がせ合った盟友であったことは確かなことだ。
 「ディランなんか信じない」と歌っておきながら、ずっとジョンは御大のファンだったようである。生前、自宅録音された物まね音源が1998年に発表されている。

 アルバム『テンペスト』のトリを飾るのは亡きジョンに捧げた「ロール・オン・ジョン」。合掌。
 死後30年を経てなんで今さらジョン・レノンなんだろうか? と思うけれど、御大もジョンのファンだったのかもしれないねえ。

 御大の作品は、聴けば聴くほど味が出るスルメみたいなもんなのだ。しばらく『テンペスト』はヘビロテなのである。

 【2012-10-05 追記】
 御大のダミ声をまったく受け付けない人にとっては苦痛以外の何者でもないアルバムであろうが、聴き慣れているオイラにとっちゃ久々の良盤(5段階評価で★★★にしておこう)でありました。
 お気に入り曲は、クレジットにはないけれどキース・リチャーズがギターを弾いてるのではないかと思ってしまう「ペイ・イン・ブラッド」と、ジョン・レノンに対して真摯に、そして慈しむように切々と唄う「ロール・オン・ジョン」。
 50年間転がり続けている人のシブい大人のロック、ここにあり! である。


時は今 雨が下しる 九月哉

2012-09-22 16:03:35 | 愛宕山&周辺

 今さらながら愛宕山の魅力というか魔力というか、強力な磁力に取り憑かれてしまったオイラは、今月に入って二度現地に赴き、二度雨に祟られてしまっているのだ。
 よっ、雨男! (出かける前にちゃんと「晴れ」もしくは「曇り」の天気予報は見ているのだが、現地に行くとなぜか「雨」になるのであるなあ(T_T))

 元々、愛宕山は愛宕山大権現(勝軍地蔵)なる地蔵菩薩を祀っていたためなのか、近辺にはやたら多くのお地蔵さんが点在している。
 ふと気まぐれにお地蔵さんめぐりをはじめてしまったのだけれど、この行脚まだまだ終わりそうにもないのである。

 「京都一周トレイル・北山西部」の地図を見ていると、首無地蔵から北東1.2km離れた場所に松尾峠地蔵菩薩が鎮座している。行ってみたい。ヘ(^o^)/
 それに先達のブログを呼んでいると、首無地蔵のほかに、別の場所にも首のないお地蔵さんがおられるというのである。

 とりあえず9月23日は松尾峠に行ってみようと予定していたのであるが、天気予報はハナから「雨」なので、登山準備することなく今こうして長々と駄文をしたためているのであった。〆(°°)カキカキ..

 http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20120919-1019384.html

 日刊スポーツの記事によると、2014年のNHK大河ドラマの主人公を明智光秀にする案が有力候補として上がっているという。
 また別のウワサでは主人公が誰になろうが、演じるのはの誰かに決まっているらしい。

 光秀といえば「敵は本能寺にあり!」で有名な本能寺の変であるが、ドラマ化された暁には、この回が一番の視聴率を稼ぐことになるであろう。

 さあ、お立ち会い。
 諸君、本能寺の変のプロローグとなるのが我が鍛える聖地・愛宕山なのであるねぇ!

 変の直前に光秀は、威徳院(現在、愛宕神社の社務所がある辺り。建物は現存せず)で連歌会を開催している。光秀が詠んだ「時は今 雨が下しる 五月(さつきかな)」という発句が本能寺の変を起こす決意を表しているという説があるだ。(愛宕百韻

 これからクーデターを起こして天下を取ろうとしているテンション高めであろう人間が、優雅(?)に歌などを詠むのがこの時代の感覚なんだろうかね? とゆーか、表面上、信長から備中高松城の毛利攻めしている秀吉の援軍に行けと命令が出ている最中なのである。悠長に愛宕山で必勝祈願している場合なのかい? 

 【本能寺の変までの光秀の行動 1582年(天正10年)】
 5月15日 安土城で家康の接待中、秀吉から援軍要請。
 5月17日 居城である坂本城に入る。
 5月26日 亀山城入りし、軍装を整える。
 5月27~28日 愛宕神社に必勝参拝(勝軍地蔵は武神)。おみくじを引いて三度の凶の後、四度目に吉を引く。愛宕百韻。

 6月1日 亀山城を出発。備中(岡山県)へ行くはずが京へ。
 6月2日 未明、桂川にて「敵は本能寺にあり」宣言→本能寺を襲撃。

 備中とは反対方向の京をめざす際に、光秀は家臣に軍の陣容を信長にまず見せに行くといったらしい。それを真に受ける家臣も家臣だが、そもそもこれから戦さへ行くというのに、寄り道を苦にしないこのスピード感のなさはいかがなものか? もし戦国の世の人が現代にタイムスリップしてきたら、その驚くべき行動のトロさに我々は怒り心頭、「遅いことなら牛でもすんねん!」と罵声を連呼して止まないであろうぞ。

 光秀が、なぜ主君の信長に謀反を起こして本能寺を襲撃したのか? 日本史の謎のひとつであり、理由も諸説ある。
 その内のひとつに信長が朝廷を潰す、もしくは信長自身が皇族になろうとしていたからだという説がある。
 面白いことに愛宕神社の前身、白雲寺を建立したのが和気清麻呂(わけのきよまろ)であり、清麻呂は弓削道鏡が皇族になろうとしたことを阻止した人物である。(宇佐八幡宮神託事件
 もし清麻呂と光秀がいなかったら、万世一系の天皇制は今はなかったかもしれないのである。偶然であろうとも、ロマンティストなオイラは(←ここ重要)不思議な因縁を感じてしまうのであるなあ。

 ▼ 世間が明智ブームになる前に、機会があれば亀山城から愛宕神社参拝に使われた道、明智越も歩いてみたい。

 江戸川乱歩が名探偵の名前を明智にしていなかったら、明智姓は「三日天下」で「謀反人」という悪いイメージでしか扱われなかったのかもしれない。
 「明智小五郎」なる名前の由来はなんだったのだろうか? 日本探偵小説史上のひとつの謎である、とは誰も言わない。


モウイチドお地蔵さんめぐりで道ロスト(T_T)@愛宕山とその周辺

2012-09-17 19:40:17 | 愛宕山&周辺

 2週間前、愛宕山のお地蔵さんめぐりをして、首無地蔵を忘れて行けていなかったのでワン・モア・タイム!
 それに、地図を見ると愛宕山の北側に地蔵山っていうお山もある。行ってみよう。

 9月16日(日)ところにより芦見峠で

 ▼ 7:16 JR保津峡駅に降り立つ。むむ、愛宕山山頂が曇っているが……。

 ▼ 保津峡橋を渡ったところで。おわかり頂けるだろうか?

 ▼ ゆっくり迂回しながら、お猿さんと目を合わせないようにして水尾方向に進む。

 ▼ 7:56 水尾に到着。今日はここから愛宕山を攻略だ。

 ▼ 町中のお地蔵さんのロウソク立てがコップ状になっていた。

 ▼ 清和天皇社に寄り道し道中安全祈願。重い空気漂う趣のある神社であった。

 ▼ 拝殿へ行く石段の途中、奥まった場所にあった向寺(むかいでら)のお地蔵さん。

 ▼ 8:41 愛宕山参道(水尾ルート)に突入。

 保津峡駅から水尾までの間では、まだセミが鳴いていたが、愛宕山にはいるとセミの鳴き声はなくなった。涼しい強い風が吹き付けてくる。
 以前、下山でこのルートを使ったことがあって、急坂の下りが続き苦労した記憶があったのだが、さすがに登りはハードである。100mごとに水尾からの距離を示す標識があるのはありがたかったが、水尾別れまで残り何mあるのかわからない。
 ▼ 9:37 水尾別れに到着。休憩所でしばし休む。

 ▼ 黒門前はガスっていた。

 ▼ 亀岡の街が見えた。

 ▼ 10:22 愛宕神社の拝殿に到着。

 参拝後、境内広場に戻っておにぎりを食し、オイラは地蔵山に向かった。
 ▼ 11:12 地蔵辻。進路を左に取る。

 ▼ 11:21 旧愛宕スキー場跡方向の道にはいる。

 ▼ スキー場跡はシダで覆われていた。

 枝に付けられたカラーテープを頼りに進む。愛宕神社の参道とは打って変わって人通りがない。静かである。それでも地蔵山までに対向者6人とすれちがった。
 ▼ 振り向けば愛宕山。緑の海に浮かぶ島のようである。

 ▼ 遠くに大文字山も見える。

 ▼ 11:47 JRの電波反射板に到着。

 ▼ 11:56 地蔵山(947.57m・一等三角点)山頂に到着。ここからの展望はない。

 ▼ 山頂を通り過ぎ、しばらく行くと西向宝庫地蔵尊が鎮座している。

 さあ、次の目的地は首無地蔵だ。Uターンして同じ道を歩くのは面白くない。
 ▼ 芦見峠の道標が目に入る。行ってみよう。

 薄暗いヒノキの植林帯をくぐり抜ける。途中、若い男性1名とすれ違う。もう一人出会った男性は山中の坂でなぜか座り込んでいた。単なる休憩だったのか? 不気味であった。 
 ▼ 12:30 スキー小屋跡に到着。ミッション・コーラとは何だ? 看板がほとんどジェイソン化していて怖い。

 突然、雨が降りはじめる。道はすぐさまぬかるみはじめ、オイラのズボン裾は泥だらけである。
 ▼ 12:43 芦見峠に到着。

 近くを流れる芦見谷川沿いに林道があるはずなので先を急ぐ。
 ▼ 12::55 林道に出た。ここから愛宕方向に南下。

 ▼ 13:09 雨上がる。

 ▼ いつしか林道が途切れ、芦見谷川沿いの道なき道を進むハメに。カラーテープが頼りです。

 ▼ 石をつたいながら何回か川を横断しなければならないので、冬場はこの道は適してなさそう。

 ▼ 13:57 龍の小屋という山小屋に到着。

 男性二人が休憩中だったので、しばし三人で談笑。
 京都の方らしいのだが、まだ京都一周トレイルを歩いていないということだったので宣伝しておきましたよ(笑)。
 「これから首無地蔵を通って梨ノ木谷で下山して清滝に行く予定です」とオイラが言うと、「首無地蔵から直下の道は豪雨の影響で荒れていて歩けないから、駐車場の先のアスファルト道をちょっと行ったところから迂回路があるから、それを使えば大丈夫。先週、その道を歩いたから」とご親切にアドバイスをいただきました。
 ▼ 14:22 首無地蔵に到着。

 このお地蔵さんは「首無地蔵」という名で定着しているが、どうして頭部を新規作製して付けないのだろうか? それだと「首無」にならないから……?
 ▼ 首無地蔵の前も見晴らしがイイ。

 ▼ 梨ノ木谷の荒れた様子。

 さっき龍の小屋で会った人は「うーん……梨ノ木谷迂回路を示す表示はあったように思うけど……」とおっしゃってたので、道標を探しながらアスファルト道(雲心寺林道)を下る。
 進行方向に右下から鋭角に入ってくる山道は発見したが、道標がない。←たぶんココだった。(T_T)
 さらに雲心寺林道を下ると進行方向に右真横から入ってくる山道を発見。←たぶん八丁山に続いている?
 今日はここまでかなり歩いているので、ヘタにワケのわからん道に入って迷うよりも、舗装道路を歩いている方が気楽である。若い男性一名がオイラを追い抜かしていった。このまま下れば高雄まで行けるハズである。

 ▼ 15:00 雲心寺林道・西ノ谷林道分岐。

 西ノ谷林道は神護寺に至ると書いてある。そっちに行こう。若い男性も神護寺方面に向かって歩いて行った。

 15:10 いつしか若い男性を追い抜かしたオイラは、新たな分岐ポイントで立ち止まった。
 道が二手に分かれている。左は車も通れる林道。右は人一人しか歩けない細い山道。
 左の林道入口には消えかかった文字で「この先行き止まり」と書かれている。右の山道にも、これまた消えかかった文字で「右 神護寺」と書かれた道標があるのだった。
 とりあえず右の細い山道を50mほど入ったのだがクモの巣だらけなのだ。つまり人の行き来がない道だ。
 ここでオイラは考えた。さっきの分岐の看板で西ノ谷林道が神護寺に至ると書いてあったからには、広くて歩きやすい道があるはずだ。
 直前の分岐まで戻る。
 ここでまたオイラは考えた。追い抜いた若い男性がまだやって来ない。この分岐の100mほど手前にも林道があったぞ。彼はその道を行ったに違いない。
 ▼ 15:15 若い男性に追いつくべくオイラはこの道に入っていく。

 ▼ 15:37 快調に下山していたら道が登りになり、杉木立で林道が行き止まりに! orz

 ヤバイ(*_*)。太陽が落ちるまでに町まで下りないと遭難じゃないか。LEDライトは念のために持参してはいたが、歩いたことがない夜の山道を歩ききる自信はまったくない。あとは残った時間との戦いである。杉木立を突っ切るか? 直前の分岐まで戻るか?

 ▼ 西ノ谷林道は行き止まりの枝道林道が多数あるので要注意。左右に緑色の鉄柱がある林道によい子は絶対入っちゃダメ! (クリックでオイラが歩いた軌跡にズーム・イン)

 15:59 安全策をとり、直前の分岐まで急いで戻る。
 そこにオイラが追い抜かした若い男性がいた。聞くと彼も道に迷ったという。
 「神護寺行きの山道に入るしかないでしょう」ということで旅は道連れ作戦始動。
 途中、倒れた木がスッポリと細い山道にはまり込んで、行く手を阻んでいるのが見えた。「この道、行き止まりみたい(゜_゜;)」と思ったが、近くに行くと迂回路が設けられていた。ならば、いざ進め!
 ▼ 町が見えてきて、ちょこっと安堵する。

 ▼ 16:36 神護寺の多宝塔裏に無事到着。

 高雄からバスで帰るという方法もあったが、同行した若い男性が清滝まで行くというのでオイラも一緒に。
 ▼ 17:29 京都一周トレイルの「北山93」。ホントなら梨ノ木谷林道を下ってここまで来る予定だったのになあ。

 若い男性もオイラと同プランだったようだ。梨ノ木谷迂回路がわからなかったばかりにエライ遠回りと冒険をしてしまった二人なのであった。
 「北山94」で「また愛宕で会いましょう」と約束して若い男性と別れた。彼は金鈴橋へ。オイラは二の鳥居へ。
 ▼ 17:40 二の鳥居に到着。

 ▼ 鳥居前に設置されている自動販売機は、汗だくだくのイッキ飲みする者にとっちゃポカリスエットのロング缶が120円也で安くてうれしい。

 閉店した茶店の床机に座って、しばしまったり。スゥッ・・・(ーoー)y゜゜
 ▼ 渡猿橋ネコに今日も会えた。

 京都バスの清滝バス停で、さっき別れた若い男性とバッタリ。
 18:20のバスで彼は阪急・嵐山駅から大阪へ帰るという。オイラはおけいはん三条駅から大阪へ。
 名前を聞いておくべきだったか。若い女子ならすぐさま名前を聞いていたのだが。
 それと国土地理院の2万5千分1地形図は必携やね。歩行困難な山道も多く記載されているのだが、家に帰って調べると、今回まちがって入った林道は、最後に道が途切れた状態でちゃんと記載されておりました。

 本日の歩行距離=42.6km←マラソンを越えちゃった\(^_^)/


第4回フォーラム 挑戦する私学 in つじあやの@きらっ都プラザ8階シルクホール

2012-09-10 08:33:47 | 音楽

 9月7日~9日の間、四条烏丸にあるきらっ都プラザ(京都産業会館)4階で、「第26回京都私立中学・高校展」という催しがありました。会場内に各参加校のブースを設け、学校の入試担当者が小学生・中学生、保護者を対象として、入試・入学についての相談および説明を行うというものであります。

 その最終日、「中・高展」関連のイベントで同館8階のシルクホールにて、元高校教師で現エッセイストの宮本延春(みやもとまさはる)氏の教育講演があり、第二部のライヴ・コンサートにつじあやのさんが出演するという。

 「京都」「入場無料」「つじあやの」と三つもフラグが立ってしまったからには、オイラは行かねばならぬのだ!

 9月9日(日)たり

 ▼ 14:07 祇園祭以来の久しぶりの四条烏丸交差点に到着。

 ▼ その交差点のすぐそばにきらっ都プラザ(京都産業会館)は建っていた。

 シルクホールにはいると、第一部の宮本延春氏の講演の真っ只中であった。予定では第二部開演は14時40分頃だと聞いていたのだが、その時刻を過ぎても講演は終わりそうもない。

 フツーなら「講演、早く終われよ」と思うところであるが、宮本氏の話は実にわかりやすく、面白く、氏の実体験による教訓が込められており、そのタメになる話についつい集中して聞き入ってしまうのであった。

 ええ話はすぐに忘れてしまうのが常のオイラであるので、講演内容はもう忘れちゃいましたー。(o^^o)

 講演内容が気になる方は、日本一小さな出版社から出した著書にも書かれているそうなのでご購入を。(氏曰く、小さい出版社なので営業力も小さく、書店には置いてないらしい)

宇宙を感じる七日間
宮本延春
プレアデス出版

 15時過ぎに宮本氏の講演が終了。 

 キタ━━━━━(T_T)━━━━━ !!
 ステージに司会者の元KBS京都アナウンサー山崎弘士氏が登場し、10分間の休憩をはさんであやの嬢のライヴが始まることを告げる。初めて生であの一・九分けの頭髪を見れたことにオイラは感動を禁じ得ない。

 15:15 あやの嬢とピアノ担当の坂和也氏がステージに登場。
 本日のあやの嬢のイデタチは、シックなグレー系ミニのワンピ-スである。

 オイラはステージから15mほど離れた正面席を陣取っていたのであるが、ステージと客席はすり鉢状になっていたので、あやの嬢がステージ上のイスに座ると、オイラの視線の真正面はあやの嬢のスカート裾の▼部分になってしまうのであるなあ。
 いやはや、どないしても視線がそっちへ行ってしまうのは(女子にゃ~わからんだろうが)哀しい男のサガであるよね~、男子諸君。あやの嬢も何回か裾直ししていたのでバレてましたかな? でもトレンカを履いてらしたので全然見えてませんでしたよ、大丈夫。

【セットリスト】
1.クローバー
2.ルージュの伝言(荒井由美cover曲)
3.京都アイラブユー

 <山崎氏とMC>

4.Oh, My Friend(ウクレレonly)
5.陽のあたる教室
6.パレード(山下達郎cover曲)

 <山崎氏とMC>

7.愛する人へ
8.風になる
9.花よ花よ(ピアノonly)

(encore)
10.丘を越えて(藤山一郎cover曲)

 半ばエロ親父モードになっていたので(笑)若干曲順が違っているかもしれませんが、記憶が正しければセットリストは上記のような感じでした。

 座席がスピーカーに近かったためなのか、今日は音が大きいように感じましたが、内容はほのぼの、うららかな楽しいいつものライヴでありました。あっという間の一時間でしたな。

 しかしながら、中学・高校と公立に通っていたあやの嬢が、ナゼ私学のイベントでコンサートをしたのかがようわからん? 主催者の意図不明瞭なライヴなのでありました。でも、来年もやって下さいね。

 最後に私事であります。
 8日に突然、拙ブログの閲覧数が普段の倍以上に増えたのである。

 gooのサーバーが壊れてカウントをミスしてるんとちゃうか? と思っていたのでありますが、オイラが足しげく通う2chの某スレッドに、どこかの底名無し沼さんが拙ブログのリンクを貼り付けて下さっていたのでした。オイラはそれを偶然発見してしまいました。

 どこかの底名無し沼さん、乙です。ありがトン。

 匿名性ゆえにあることないことが日常的に書き込まれる2chであります。
 書き込み時には実名を記せ、という意見もありますが、匿名性があるゆえに真実を書き込めるということだってあるのです。ヤツらが裏でどんなに悪辣なことを行っているか! 表向きは平然と社会性のある正義の味方ぶった大人の振りをしていても、裏に回れば自分のことは棚に上げ、他人の足を引っぱり、重箱の隅をつついているだけの輩が実に多いのでありまするよ。
 2chはあくまでも氷山の一角に過ぎないでしょう。書き込みたくても書き込めない小心者の人がたくさんおりますねん。その一人がオイラだっりするのです~。

 ▼ 今日のオチ。某年某月某日に見つけた京都市内にある某トイレの落書き。


『視えるんです。3』伊藤三巳華

2012-09-08 09:53:27 | 
視えるんです。3 (幽BOOKS)
伊藤三巳華
メディアファクトリー

 実話ホラーコミックエッセイのシリーズ三作目。

 一作目、二作目は未読なオイラが、なぜ三作目を手にとってレジに持って行ったかというと。

 【カバー帯・内容紹介文】
 旦那さんと訪れたスリランカで視たものは? 友人の亡くしたペットを霊視したり、京都の有名な桜と交流したり、鹿児島・知覧で特攻隊員を視たり。「やばい」おばぁちゃんとの思い出もたっぷり! すべて実体験、新感覚ホラーコミックエッセイ。

 京都で有名な桜とな? あそこの桜のことか? それともあの桜のことなのか? 小心者の京都魔界ハンターのオイラとしては、是非とも知りたい情報なのであった。

 東京都在住の伊藤三巳華(いとうみみか)さんは、ホラーマンガ家という肩書きを持つのに数珠ひとつ持っていなかったので、スピリチュアルカウンセラー&霊感占い師のコザクラさんとともにパワーストーンをもとめて京都へやって来るのだった。

 大阪人のヨーダ氏と合流して向かった先は、京都屈指の心霊スポット「K・トンネル」(原文ママ)! そばには○念仏寺(原文ママ)の羅漢石像がある。
 わざわざ本文がイニシャルと伏せ字になっているので、オイラも伊藤さんの意思を尊重して場所をあからさまに書かないけれど、ここは明らかにオイラがいつも歩くあのトンネルなのであるな~。

 霊を視える人が視ると、トンネル内部はこのようになっていたのか!

 ふーむ、車やバイクがすぐ真横をすり抜けていく物理的恐怖を常に感じるのだが、それが反面、何かが闇に引き込もうとしているのを阻止し、気持ちを現実に引き戻してくれる効果を発揮しているように思う。
 足早に歩いても、入口から出口まで5分以上も闇の中を歩いていかなければならないトンネルなのだ。一心不乱に歩いているようでも、頭の片隅に「ここは心霊スポット」なる意識が微かによぎると、足先が微妙に震えはじめる。
 このトンネルは途中でカーブしているので出口が見えない。瞬間、抜け出せなかったらどうしようと本気で焦る。ずっと閉塞した暗闇を歩いていると、闇の世界に引き込まれていくようなヤバイ感覚に陥ってしまうのだ。
 そんな時、ゴォ~というエンジン音を反響させながら近づいてくる車やバイクが、ブレたような意識を我に戻してくれるのである。

 今年の初め、京都で車による不幸な人身事故が相次いで起こったことは記憶に新しい。
 このトンネルで車が暴走することがあれば、逃げ場所はないので死亡事故となるのは確実なのだが、過去、このトンネルの人身事故で死亡に至ったというニュースを聞いたことがないのも不思議といえば不思議である。歩行者もドライバーもこのトンネルに入れば、たぶん自然に、多方面な意味において細心の注意を払わざるを得ないシフトにギア・チェンジしているのであるねぇ~。

 次いで、三十三間堂の不可思議。

 そして京都の有名な桜とは、円山公園にある枝垂桜のことであった。
 昭和2年(1927年)生まれの桜なので今年で満85歳。大きな木だと意思疎通ができるという伊藤さんは、深夜零時の円山公園で枝垂桜の声を聞き、なんとも摩訶不思議な恐怖体験をするのであった。

 木と会話できる能力があれば、おひとり山歩きも淋しくはないかもしれないが、どーも木と人間とでは思考回路がちょっと違っているようなので、逆に振り回されてしまうかも……である。

 友人の亡くなったネコを霊視するエピソードはよい話である。
 我が歴代の愛猫・愛犬たちも天国で元気にしているのかニャ? ペットは気ままに飼い主に会いに来ているらしいので、ペット・ロスで落ち込んでいる方、心配無用でござるよ。