なのにオイラは京都へゆくの?

大阪の中年男が、京都の山に登った際の赤裸々(?)な公式日記帳やねん。
のはずが……京都・自己満足ブログとなりにけれ。

ウクレレって良いかもね。(^O^)

2011-06-30 06:27:53 | 音楽

 暑うなると鰻を食べたくなりますなあ。

 ここ数年は近くのスーパーで通常価格500円ほどの鰻丼を半額時間に訪れて、250円という超リーズナブル価格で購入して食しておりますオイラですが、幼少の頃は今は亡きじいちゃんとばあちゃんに先斗町のいづもやへ連れって行ってもろたなあ。(遠い目)

 などと思いながら退屈な昼下がり、Youtubeを見ていた。

 亀岡山田木材経営団地(よいしょ!)、西村のエイセイボーロ(ウチ大好きどすねん)、岩田呉服店(♪そいつぁ岩田だよ)などの懐かし関西ローカルCMを関連動画から辿っていったら、いつのまにかイギリスのウクレレお姉ちゃん(Sophie Madeleine(ソフィー・マドレーヌ)というインディーズでCDを出しているシンガー・ソングライターのようです)の動画にたどり着いてしまった。
 ↓

 大勢でウクレレを弾いているのが楽しそうじゃないか。今さらながら、オイラもウクレレを弾きたくなってきたなりよ。

                    ○

 ウクレレって小さいから持ち運びは簡単そうだし、(ギターが弦6本なのに対し)弦は4本だからコードを押さえやすそう。

 諸君、ウクレレの夜明けぜよ!

 だが、調べてみるとウクレレって大きさが4種類あったり、チューニング方法も何種類かあってややこしそうだにゃ。それに値段が(ピンキリだが)意外と高い。

 そういえば、つじあやのさんが先生になってウクレレ教室を開いてたんだっけ。開講スケジュールを見ると、あらりゃ大阪教室も京都教室も、もう終わっとりまんがな。
 それにオイラが今住んでいるマンションは、近隣住民への迷惑防止のために楽器演奏が一切禁止なのだ。
 オイラのウクレレへの道はまだまだ遠いのであった。

 ♪あ~ぁ、やんなっちゃうな。あ~ぁ、驚いたぁ。

                    ○

 ソフィー・マドレーヌさんの他の動画を見ていると、一人で多重録音してマスタリングするのがお得意なようです。

 

 いろんな楽器を奏でられる人は、一人で全部やっちゃうんですなあ~。

 ↓ のCMを思い出しました。

 googleクロームって軽いんですか? オイラもPCに入れた方がよいのかにゃ。だけどオイラのPCはPen4のしょぼいヤツなので、劇的変化は期待できそうもないのかもね……。


左京といえば……。(ちょこっとR-18あり)

2011-06-27 04:24:57 | 

 最近の若い衆は、星新一筒井康隆は知っていても小松左京を知らんようじゃ。日本SF界の御三家といえばこのお三方なのに、実に嘆かわしいことよのお。

 事実、本屋へ行ってみても前者2名の本はあったとしても、小松親分の本は見当たらないことの方が多いのう。かつては書店にいっぱいあったのに(ハヤカワ、角川、新潮、文春、講談社、集英社、徳間etcの文庫本)いつのまにか絶版になってしまっておる。
 数年前に主だった作品がハルキ文庫に収められたのじゃが、大型書店に行かないとハルキ文庫が手に入らないことの方が多いし、あったとしても品揃えが悪かったりするのじゃて。

                    ○

 SF小説でベストセラーになったのは、後にも先にも(先はわからぬが)小松親分の『日本沈没』しかないのではなかろうか? 

 元々は、祖国を失い放浪の民となった日本民族はどのように生きていくのか? というテーマで書かれた小説なのであるが、祖国を失う経緯が膨大な原稿枚数になってしまい、とりあえず沈没したまでの部分を第一部として1973年に上梓されたのだが、当時のオイルショックやらの社会不安な情勢にシンクロして瞬く間に売れてしまい、映画化され、ドラマ化され、漫画化され、まだ第一部なのに既に完結してしまったかのような扱いをされてしまった不幸な作品でもありまする。(2006年に第二部が出版されましたが……ワクワクドキドキ感がなく、オイラは読むのが苦痛でした)

 1974年、東宝の正月映画として『日本沈没』は公開され、映画は興行的に大成功を収めたのであるが、小学生だったオイラは親に頼めど映画館へ連れて行ってもらえず、観に行った友人T君から「めっちゃ面白かったで」という話を聞くしかなかったのである。(哀しき想い出

 数年後、テレビで映画がオンエアーされたときはしっかりと観ました。今ではDVDも持ってます。丹波哲郎内閣総理大臣が、「避難民を皇居に入れさせてください」と宮内庁に電話するシーンは、何度観ても涙が出てくらぁ。 (某国の総理よ、この映画を観てちっとは国民のために行動しろ!)

                    ○

 『日本沈没』のヒットに気をよくした(?)東宝は、翌年の正月映画にまたしても小松親分原作の『エスパイ』を公開。エスパイとは超能力を持ったスパイのこと。海外ロケでお金がかかったのか、特撮部分ははチープでB級SF映画この上ない一品。唯一、由美かおるさんの拷問お色気シーンだけが救いだったりする映画です。

                    ○

 それから数年後、アメリカでSF映画『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』が大ヒット。日本では『宇宙戦艦ヤマト』が大ヒットし、世はSFブームとなったのであります。
 ブームに乗ろうとした邦画界は『宇宙からのメッセージ』『惑星大戦争』なるチープなSF映画を次々作り、興行的に失敗。そんなダメダメな日本で、小松親分が「『2001年宇宙の旅』に匹敵するSF映画を作りたい」と発表したもんだから、その時、全国のSFファンは涙を流しながら拍手喝采したのだった。

 しかも当時の若手SF作家ら数名でブレーン・ストーミングを行ってストーリーを練り、小松親分が自費を投入して映画作りするというではないか。それにNASAのボイジャーが探査した木星の最新データが取り入れられるというし、モーション・コントロール・カメラを導入して特撮合成が精緻になるという。メカニックデザインはスタジオぬえだ。いやが上にも期待は銀河の遙か彼方まで高まるのであった。

                    ○

 1980年6月、角川映画の超大作『復活の日』公開。(映画館に行きました)

                    ○

 そしてその日はやって来た。1984年の春。
 早々に観に行った友人Y君がひと言、「あれではアカン。失敗作!」。そのひと言でオイラは映画館に足を運ばなかったのでした。
 小松親分が制作・原作・脚本・総監督までしたその映画の名は『さよならジュピター』。

 巨費を投じた大作の怪作・迷作として未だにカルト的人気はあると思う。オイラはテレビで何回か観たけど、もう一度観たいと思ってもTUTAYAにDVDが置いていないのが残念である。

 失笑と失望で物議を醸した例のシーンが、↓のレベルぐらいの出来だったら映画の評価も上がり、オイラたちも溜飲を下げることができたのにな~。

 小松親分なら『バーバレラ』は観ているハズなのだが……。

                    ○

 1987年、『首都消失』公開。(友人N君と試写会へ行ったねぇ)

                    ○

 2006年、東宝が『日本沈没』をリメイク。CGがふんだんに使われ情景はリアルになっているのだが、昭和版のミニチュア特撮の方が作り手の情熱が強く感じられるのはどうしてだ? それにストーリーが改悪されていただけない。あんなのはテレビの2時間ドラマでよい。『アルマゲドン』の亜流映画と成り下がってしまった。

                    ○

 とゆーように、小松親分の原作は数多く映画化されているのだが、(映画を作った人には悪いけれど)原作小説の面白さを越えることはできていないようだ。脳内妄想力には、いかなる映像も勝てまへん。

  まだ映画化されていない長編小説はまだまだあります。『日本アパッチ族』、『見知らぬ明日』、『継ぐのは誰か?』、『こちらニッポン…』etc、そして日本SF小説の金字塔であり、そのことに誰も異論を唱える余地がないであろう『果しなき流れの果に』。

果しなき流れの果に (ハルキ文庫)
小松 左京
角川春樹事務所

 この『果しなき~』と光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』を越えるSF小説を読んだことがない。両書とも40年以上も前に発表された作品なのであるが、未だに越えられない壁として厳然とそびえ立っているのである。なんたってスケールがデカすぎ。何十億年単位でストーリーが展開するのだ。それ故に映像化は不可能だろうし、生半可に映像化するべきではない聖なる書とも言えるであろうぞ。心せよ、映像作家の皆の衆よ!

 博覧強記とまで称された小松親分の名作は長編だけではない。中編・短編にも幅広い知識、教養、アイデア、風刺、ユーモアが満載で、ときには恐怖で背筋が凍ってしまうのだ。

霧が晴れた時 (角川ホラー文庫―自選恐怖小説集)
小松 左京
角川書店

 ↑ の文庫本に収録されている『くだんのはは』はリアリティーがありすぎ、今でいう実録(風)怪談の先駆け的作品ではあるまいか。事実、兵庫県芦屋付近では○を見たという話が残っており、その辺のことは、

新耳袋―現代百物語〈第1夜〉 (角川文庫)
木原 浩勝,中山 市朗
角川書店

に記載されているので、興味を持った方は合わせて読むがよろしい。

                    ○

 小松左京はペンネーム。由来は「左がかった大学生で、学生時代に左京区に住んでいたから」という理由で付けた。と、小松親分が何かの「あとがき」で書いていたような、なかったような。


京都のホテル(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル#1

2011-06-25 08:03:01 | 魔界めぐり?

 大阪は梅雨の中休みのようで、日中はギンギンギラギラの太陽なんです。

 暑い午後の昼下がり、家の中にいても熱中症になることがあるのです。

 ですからオイラは涼を求めるのです。

                   ○

 ▼ ほな初めに、桜金造氏のお話で涼んでおくれやす。

 このホテルがどこのホテルなのかは明らかにされていない。

 2chでは、K川沿いにあったホテルFだったのではないかと、まことしやかに囁かれていた。
 何年も昔、ホテルFの新館建設中に前を通りかかった人の話によると、工事現場の隙間から卒塔婆やら墓石の破片が見えたと言うし、噂に寄ればその場所は古戦場跡であり死体安置所だったという。

 残念ながらホテルFは今年1月に閉館してしまったが、諸君、落胆することなかれ。2014年春から外資系ホテルRCが同場所で営業を始めるという。富裕層をターゲットになんと一泊6万円~也。開業してもオイラには手が出まへん。

 だが本当に落ち武者の幽霊が出るホテルは、ホテルFだったのであろうか?
http://youtu.be/yosDvFRz2jE

 ↑の雲谷斎氏の話に寄れば、堀川の某一流ホテルとまで言い切ってしまっている。
 堀川通沿いにある一流ホテルといえば……何軒かあるが、霊感ゼロのオイラでさえ、夜、通りかかった際、あのホテルはヤバイんとちゃうか? と感じたホテルがあったんどす。せやから多分あそこやろうと思います。間違いおへん。ほな、そういうことにしときまひょ。

 では、話に出てくる浮かばれない落ち武者の幽霊は、はたして同一人物なのであろうか?

 女優の高橋ひとみさんも京都のホテルで落ち武者の霊に首を絞められたと言うし、ある歴史研究者の枕元に現れたときは、研究者が中世史専門だったので、「お前は応仁のころか?」「何という武将の家臣か?」とマジマジ観察され、しまいには「お前のその甲冑はしょぼいな。足軽か?」と失礼な質問を浴びせたために落ち武者は無言で消えていったという。

                    ○

 落ち武者ではおへんけど、河原町の有名な老舗ホテルで女子プロレスラーNさんに起こった怪奇譚が、

北野誠怪異体験集 続 おまえら行くな。
北野 誠,加藤 一
マイクロマガジン社

↑ の本に書かれておました。

                    ○

 ネイティブ京都人に「前の戦争は?」と問えば、太平洋戦争ではなく「応仁の乱」と答えはるんですえ。
 応仁の乱ではほぼ京都市街地が全焼となっているので、現在ある京都のホテルのどこに泊まっても幽霊が出てきておかしゅうないおすなあ。


京都市路上喫煙等の禁止等に関する条例について #2

2011-06-21 12:24:46 | 雑記

 6月20日の京都新聞から抜粋。
      ↓
 【京都市は20日、違反者に千円の罰則(過料)を課す路上喫煙禁止区域に清水・祇園地域(東山区)と、京都駅周辺(下京区、南区)を来年2月1日から追加指定すると発表した。観光地を指定するのは珍しいという。

スゥッ・・・(ーoー)y゜゜

 平成19年から始まった京都市内の路上喫煙禁止区域。
 どんどんどんどんエリアを拡大しとるの~。

 近い将来、平安神宮、金閣寺、銀閣寺、嵐山周辺も路上喫煙禁止区域になるんどすやろね~。
 禁煙ファシズムが蔓延る世知辛い京都になったもんや。
 嘆かわしいことどすなあ。

スゥッ・・・(ーoー)y゜゜


寄り道しながら東山コース(伏見稲荷大社→戒光寺→豊国廟→東山トンネル→清水寺)

2011-06-17 23:15:27 | 京都一周トレイル

 ブログ開設2周年を迎えることができました。

 この辺で、もう一度原点に立ち返って京都一周トレイルをもう一度歩きなおそう、なんて殊勝な気持ちはさらさらなく、今回東山コースを歩いたのは「TV見仏記8」で述べた我がご先祖の菩提寺に行くのが目的で、たまたますぐそばをトレイルコースが走っているので、ついでにトレイルしておこうか、っていうことなのでした。

                    ○

 6月15日。

 6:40 京阪・伏見稲荷駅に到着。

 前回(2年前)来たときはまったく気付かなかった京都一周トレイル・東の起点である東山コース『標識No1』は、踏切・大阪方面線路の横にさりげなく立っていました。

 ここから夢多き老若男女が、西の終着、阪急・上桂駅まで全長約70kmの旅へと出発しているのだ。
 商店の軒には夢多き子ツバメたちが親鳥を待っていた。

 JR稲荷駅の横に現存している日本最古のランプ小屋があるので行ってみたが、ロープと柵が張られていて中には入れまへん。

 JR稲荷駅の正面が伏見稲荷大社

 ただ今ご本殿は改修工事中であります。お参りは仮本殿で。

 7:07 千本鳥居へ突入。

 諸君、「世界征服」を願いながら奥社奉拝所にあるおもかる石を持ち上げたら意外に軽かったので、オイラの天下統一の日は近いと確信したなりよ。

 もう稲荷山の山中なので下界に比べりゃ涼しいのだが、長い石段を登っているうちに汗ばんでくる。
 7:27 ようやくたどり着いた四つ辻で服を脱ぎ捨てTシャツ姿に変身。

 一旦トレイルコースを離脱し、稲荷山の最高峰一ノ峰(標高233m)をめざす。

 7:40 一ノ峰到着。

 前回来たときは参道にネコがいっぱいいてたのに、今日はまったく姿が見えないぞ。

 それに境内全域が禁煙エリアになってしまっていた。前回は四つ辻で京都の街並みを見ながら気持ちよくスゥッ・・・(ーoー)y゜゜とできたのになあ。

 お山をぐるりと回りふたたび四つ辻へ。
 階段を駆けのぼり荒神峰の後方へ回りこむと、四つ辻よりも展望がよい場所に出れまっせ。

 しばし景色を満喫したあとはトレイルコースに戻り、緑の中で女の子たちを愛でながら一気呵成に坂道を下る。

 『標識No4』で右折し、畦道の中へ入っていくと、

京都一周トレイルの中で最大級の難所(遭難者多数あり)と呼ばれている、今熊野の住宅街に。
 山中ならほぼ一本道なので迷うことはないが、町中は道が入り組んでいるのでコースを誤って進んでしまう可能性が高いのだ。オイラは2回目の道なので無問題。

                    ○

 8:18 皇室とゆかりが深い泉涌寺(せんにゅうじ)前に到着。まだ閉門中。

 トレイルコースは泉涌寺前を通過後、『標識No7』で右折し今熊野観音方向へ進むのだが、オイラはここで寄り道して左折。

 登校中の月輪中学校の生徒たちを愛でながら、泉涌寺の塔頭であり我がご先祖様の菩提寺でもある戒光寺(かいこうじ)に到着。

 「TV見仏記」のロケでみうらじゅん氏、いとうせいこう氏が訪れるほど、仏像マニア垂涎の丈六釈迦如来像が安置されている。運慶湛慶親子の合作で国の重要文化財。約10mもありデカい。

 丈六釈迦如来像の写真撮影は禁止されていたので、ぜひ現地へ行って「大きくて、立派」なのを体感してくだされ。

 この境内から少し離れたところにある墓地へ行く。

 新撰組からイデオロギーの違い(佐幕と倒幕)で袂を分かち御陵衛士となった伊東甲子太郎(かしたろう)・藤堂平助らが眠っているお墓がある。

 かつては御陵衛士墓所の周りに柵はなかったのだが、今はセキュリティーが行き届いている。
 墓地は関係者以外立ち入り禁止であるが、オイラは御陵衛士墓所の裏手にご先祖のお墓があるので100%関係者なのである。堂々と墓地内に侵入し、御陵衛士墓所を近撮させてもらったなり。

 ご先祖さんにあいさつし、オイラはトレイルコースに戻ることにした。

                    ○

↓ 住宅街の歩道でのんびり寝ていたネコ。近付いたら起こしてしまった。

↓ 屋根の上に家。地震が来ても大丈夫なの?

↓ 『標識No9-1』。

「約300m先の(標識9-2)の30m先を左折し約100m先の階段を登る」と注意書きされている。
 初回来たときは『標識No9-2』にたどり着くまで、この道でいいのか? と少々不安になったものだったが、信じて直進すれば9-2にたどり着くのだ。

↓ 左折する場所に親切な矢印あり。

↓ 9:05 今熊野ポンプ所横の『標識No11』から階段を数歩のぼれば、

やっと本格的な山道が現れる。

 京女鳥部の森とトレイルコースの一部がかぶっております。

 はたしてこの森の中に京女はいるのか? 

 9:20 残念ながらトレイル・ランの男性一名とすれちがっただけで、京女に出会わずじまいで『標識No12』の分岐に到着。

↑ 右の道がトレイルコース。オイラは豊臣秀吉の墓所・豊国廟(ほうこくびょう)へ寄り道するために左の道へ進んだのだが、

獣の体毛のようなものが落ちているではないか! なんなんだこれは?
 街角や公園でたまに愛犬をブラッシングしている飼い主さんを見かけることがあるが、ここは言っても山の中なのである。
 京都府警の科捜研に連絡して沢口靖子さんに鑑定してもらいたい気分だったが、そんな悠長なことをやっている場合ではない。

 道を進んでいくと途中2ヶ所ほど分岐ポイントがあったのだが、「豊国廟」への道案内がないので無視して直進していくと、どんどん下り道となっていき、

 プリンセスラインバスのバス駐車場に出てしまった。

 この場所から正攻法で門をくぐって豊国廟へ行くと、登拝料として大人50円もかかるのだ、諸君!

 そんな無駄金は断固として拒否すべし。
 オイラは再度、京女鳥部の森に行くべく山の中へと舞い戻り、さっき通り過ぎた分岐ポイント(『京女鳥部の森』の案内板が立っています)から豊国廟をめざした。

 9:50 豊国廟に到着。

 10:00 再度『標識No12』へ行きトレイルコースに合流。
 5分ほど歩くと国道1号線が見える場所にたどり着いた。

 国道1号線の下をもぐる小さなトンネルを通り抜け、

前回、疲労&困憊のために行けなかった心霊スポッとして有名な東山トンネル(花山トンネル)へ寄り道してみた。

 諸君、こりゃいいわ。
 これから暑い夏場にトレイルするなら一度立ちよってみることをお薦めしたい。
 トンネルの20m前に立つだけでガンガン霊気が……もとい、ヒンヤリ心地よい冷気が吹き付けてくるのだ。天然のクーラーやね。

 トンネル内に入れば、天井のひび割れから水滴がポタンポタンと落ちてきて、それが身体に当たると冷たくてなお気持ちがいいぞ。

 東山トンネルを堪能したあと、トレイルコースに戻り清水寺へ。

 2月13日に清水寺の子安塔へ行ったときはまだ改修工事中だったので、現在の状況を確かめるべく子安塔へ行ってみた。
 10:35 まだ工事中だったが人慣れしたネコが出迎えてくれたにゃ~。

 子安塔から清水の舞台を見ると、修学旅行生たちで満員御礼状態。

 清水寺を離れ、霊によって霊のごとく大谷墓地へ寄ってみると、

またしてもコンデジのバッテリーランプが赤く点滅するという怪現象に見舞われた。まもなくバッテリー切れになる警告表示なのだが、このエリアを抜けると正常に戻るのである。
 一度、諸君も現地に行ってこの怪異を体験するがよい。

                    ○

 五条大橋の鴨川べりでしばし涼んだあと、
 
ウガちゃん(テレビ朝日の宇賀なつみアナウンサー)が先週食したという夏おたべ(8月末までの夏季限定商品)を買いに四条へと上がった。

 この界隈は祇園が近いので、舞妓はん、芸妓はんがようけ歩いてはりますなあ。

                    ○

 夏おたべ、ゲットだぜ!

 冷蔵庫で冷やします。プルプルしたわらび餅仕立てで、あっさりとした程よい甘さが美味しかったです。

                    ○

 本日の歩行距離=20.5km