「いちご公園」の隅に3基の石造物があり道しるべになっている。大橋・松戸の道と市川・金ヶ作の道の交わる処にあったのが、二十世紀が丘の区画整理の際道が無くなりここに移されたと説明がある。
公園の名前「いちご」とは地名であり「市後」と書く。市川の後と考えるならば、市川・金ヶ作の道は、下総の国府(市川の国府台あたり)から市境を通り松戸新田、日暮、金が作、栗ヶ沢を抜け遠く常陸の国府(石岡あたり)に通じた古代の道ではないかと、松戸市の地図を広げてその道筋を想像してみると面白いと思う。(二十世紀が丘萩町)
公園の名前「いちご」とは地名であり「市後」と書く。市川の後と考えるならば、市川・金ヶ作の道は、下総の国府(市川の国府台あたり)から市境を通り松戸新田、日暮、金が作、栗ヶ沢を抜け遠く常陸の国府(石岡あたり)に通じた古代の道ではないかと、松戸市の地図を広げてその道筋を想像してみると面白いと思う。(二十世紀が丘萩町)
この石造物が実際にあった場所を知りたいです。