烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

パリ五段活用

2007-09-10 07:09:25 | 本:歴史

 『パリ五段活用』(鹿島茂著、中公文庫)を読む。19世紀の世界都市パリを「食べる・飲む」、「かぐ」、「歩く」、「しのぶ」、「見る」、「買う」、「くらべる」の七部構成で解剖し、複眼的に再構成する都市エッセイである。最初手にしたとき、この目次でどうして五段活用なのかとはなはだ疑問だった。巻末をみるとさまざまなメディアに掲載されたエッセイを主題ごとに再構成したもので、「飲む」、「かぐ」、「歩く」、「しのぶ」、「買う」が五段活用だからと著者が言ったのを編集者が即座に応じて決まったという。なんとなくわかりやすいタイトルだけどやっぱり気になるな。
 それはさておき、随所にパリの歴史についての薀蓄が書かれてある。ネタ本は翻訳されている本も多いので、飛び切り珍しいという話題があるわけではないが、通読すると19世紀末というのは消費者としての大衆が出現するという歴史的な時期だったのだと改めて感じる。そしてそれを支えていたものが鉄道などの大量輸送機関であり、鉄骨による建築技術であり、工場による大量生産の技術であり、電信などの遠隔地への情報伝達技術であった。科学技術が社会基盤を激変させた革命的な時代だったのだ。そしてそれらが人々の意識を変えていった。進歩と回顧という相反する眼差しがこれほど鮮明に際立った時代もないのではないだろうか。
 たとえば海辺のリゾートというものがこの時期に誕生したことが紹介されているが、最初健康法として紹介された海水浴が、リゾートへと発展していくためには海辺の地への移動手段である鉄道の発達が不可欠だったことが指摘されている。最初に海辺のリゾートが生まれたのはディエップという地であったが、ブームにはならなかった。なぜなら、



「海辺のリゾート」というもののイマジネールを現実化するだけの社会的な基盤が整備されていなかったからである。すなわち、当時はまだ、鉄道が開通せず、また海辺の町への乗合馬車の便もごくわずかだったので、いかにスノッブといえども、これだけの距離を走破してまで、流行を追う気にはなれなかったのである。だが、一八四二年に鉄道がルーアンまで開通し、一八六三年にトゥルーヴィルへの直通列車が設けられると、ようやくこの問題もクリアーされる。
 こうして、風俗習慣の歴史の舞台に、「リゾート地の女王、トゥルーヴィル」が登場してくる。


あとは一寒村地が有名な避暑地へと様変わりしていくお決まりのコースであるが、面白いのは少年の時期にその地を訪れた将来の小説家がひと夏の素晴らしい経験を刷り込まれていることである。



 彼女はぼくを見つめた。ぼくは目を伏せて、赤くなってしまった。まったくなんという眼差しだろう! このひとは、なんて美しい女性だろう。(中略)毎朝、ぼくは彼女が水にはいるのを見にいった。水のなかの彼女を遠くから眺めては、やわらかなしずかな波をうらやましがったものだ。


このときの経験はのちに『感情教育』のアルヌー夫人として造形されるという。「避暑地の出来事」というなんとも誘惑的で甘美なイメージはこのようにして生まれていったのだ。そしてそのイメージができるためには鉄道が必要だったし、そのことを伝え拡げていくメディアが必要だった。このことを考えると、本書でも引用されているベンヤミンの洞察



モードも建築も、それが生きられている瞬間の暗闇の中に身を置いており、集団の夢の意識に属している。その意識が目覚めるのは-たとえば広告においてである。


も何となく合点がいくのである。
 インターネットで全世界と瞬時に結ばれ、世界中のあらゆる広告を目にすることが今や可能となっているが、それでも注入された欲望をもった頭は見られるショーウインドウや触れられる商品、歩かれる歩道を必要としている。それを実現できるのがまさに「都市」という聖地である。休日ともなると一斉に人は地方から鉄道などを利用して都市へと集まる。インターネットでたいていのものは手に入るにも関わらず、欲望の集積回路を実現するものとして都市という基盤がいまだに必要なのだ。