烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

「かわいい」論

2007-09-12 19:54:58 | 本:社会

 『「かわいい」論』(四方田犬彦著、ちくま新書)を読む。日本で、特に女性がしばしば口にする「かわいい」という表現の意味をさぐりながら日本文化を考察した本である。まずはこのことばが「かはゆし」から「かほはゆし」という古語に遡ることができ、今昔物語に初出があること、そしてその変遷を辿りつつ印欧語やその他の言語においての差異をみると定石を踏む。その後に大学生に対してとったアンケートを紹介する。実はこの結果が面白い。月並みな(これが大学生かという)回答もある(のはもちろんだ)が、中にはなるほどというものもある。「かわいい」という言葉には両義性があるのだ。



彼(女)は「かわいい」という言葉がもつ魔術的な牽引力に魅惑されながらも、同時にそれに反撥や嫌悪をも感じている。「かわいい」ものに取り囲まれている日常を送りながらも、この言葉が意味もなく万事において濫用されていることに不快感を感じている。自分を「かわいい」とは思えないにもかかわらず、人から「かわいい」と呼ばれたいと思い、また不用意に「かわいい」と呼ばれることに当惑と不快感を感じもしている。


また「かわいい」の反対語を聞く設問に対する回答から、「美しい」との相違が浮かび上がる。「かわいい」は、「美しい」と違って、



神聖さや完全さ、永遠と対立し、どこまでも表層的ではかなげに移ろいやすく、世俗的で不完全、未成熟な何物かである。だがそうした一見欠点と思われる要素を逆方向から眺めてみると、親しげでわかりやすく、容易に手に取ることのできる心理的近さが構造化されている。「美しい」はしばしば触れることの禁忌と不可能性と結びついているが、「かわいい」は人をして触れたい、庇護してあげたいという欲求を引き起こす。それは言葉を換えて言うならば、支配したいという欲求と同義であり、対象を自分よりも下の、劣等な存在と見なすことにも通じている。


さらに「きもかわ」という新語によって「かわいい」のより深層が明らかにされるところが興味深い。これはなかなか理解に苦しむ単語という感じを受けるのは、「きもい」から「かわいい」か、「きもい」けれども「かわいい」かという論理的関係で解釈しようとするからで、実は「かわいい」という言葉の中にはグロテスクなものが内在しているのだ。「かわいい」という表現することによって無意識の底に抑圧されるものがあり、それが回帰してくるときに「きもかわ」として現れるというわけだ。