烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

プラスチック・ワード

2007-09-25 19:20:57 | 本:社会

 『プラスチック・ワード』(ウヴェ・ペルクゼン著、糟谷啓介訳、藤原書店刊)を読む。
 内容が空虚でありながら政治や社会に蔓延し、日常言語の姿を歪曲している言葉を「プラスチック・ワード」として、その警鐘を鳴らす本である。著者はこの語の30にのぼる特徴を列記している(p68)。

 A1 話し手にはその語を定義する力がない
    2 その語は表面的には科学用語に似かよっている。それはステレオタイプである。
   3 それは科学に起源をもつ。
   4 ある領域から別の領域へと移し変えることができる。その限りではそれはメタファーデである。
   5 科学と日常世界の間の目に見えない結び目をつくる。
 B6 きわめて広い応用範囲(使用領域)をもつ。
  ・・・・

全部列記するのは控えるが、著者は一見科学的に見えながら歪曲されたコノテーションをもつ言語が無批判に流通する現状を憂えている。単純な科学批判ではなく、科学の領域で定義された用語がいい加減な形で日常生活で使われること、すなわち科学的用語の勝手な転用を問題としているようだ。ことばを「階層化し植民地化する」と批判していることからハーバマスに影響を受けているようだ。
 日本で言えば政策を提言するときの官僚の作文のなかに鏤められている外来語や専門用語がまさにこれにあたるだろう。政策を実行する側が知を握っており、無知な民衆を従わせ、家畜化するための衒学的な用語である。
 著者は、科学の概念自体ではなく、その転用において、それを担当するエキスパートたちを批判している(p188)。

 科学はこれからもますます専門化していくし、専門用語はさらに増えるだろう。それを理解しやすいように簡約化することと、誤りやすい比喩によってわかったかのようにすることとは全く違うのだということを抑えておくことが必要だろう。著者は、「アイデンティティ」、「セクシュアリティ」、「エネルギー」、「インフォメーション」、「コミュニケーション」などのカタカナ語や「発展」、「輸送」、「近代化」などをあげている。
 自然を制御するという欲望が続くかぎり科学の営みは終わることはないだろう。そしてそのことによって偶然によって弄ばれることが少なくならば、科学への要請は止むことはないだろう。著者がこの中でトクヴィル(『アメリカのデモクラシー』)を引用して指摘しているところは、重要だと思われる(それにしてもトクヴィルの洞察力には敬服する)。

 民主的な国民は、類を表わす用語や抽象的な単語を熱烈に好むものである。なぜなら、これらの表現は思考を広げてくれるからであり、少ししかない空間に多くの事物を封じこめることによって、知性のはたらきを助けてくれるからである。(中略)

 民主的な言語のなかにあるふれている抽象語、いかなる特定の事実にも付着させずにあらゆる話題に用いられるこうした抽象語は、思考を肥大化させ、思考に蔽いをかける。抽象語は表現の速度をますます増大させ、観念の明晰さを減じる。しかし、ことばに関していえば、民主的国民は労苦よりも曖昧さを好むものである。
 そもそもわたしは、民主的国民のもとで話し書く人々にとって、こうした曖昧さが密かな魅力となっているのではないかと疑っている。(中略)
 ・・・民主的な国々に住む人々は、足場がさだまらぬ思考をもつことが多い。彼らには、それを閉じ込めるための巨大な表現が必要なのである。今日言い表した観念が、明日に到来するであろう新しい状況に合致するかどうかがわからないのだから、自然と抽象語への嗜好を抱くようになる。

 訳文について感じたが、著者が問題のプラスチック・ワードとしてあげている「発展」という用語は、ドイツ語では「Entwicklung」なので、ここは著者が科学的用語からの転用を問題視している文脈に照らすと、日本語に訳すならば「進化」としたほうが適当ではなかったかと思われる。日本でもこの用語は生物学で使用される意味を全く無視して濫用されているのは周知のとおりである。