父が、私の隣の部屋に移ってから、1週間余り経つ。
1日に何度も汗が出たと言って着替えるので洗濯物も多かったが、父に洗濯物を脱衣籠に入れる事と、アイスノンを使用したら、冷凍庫にしまう事とか、こちらでのルールを決め、高齢の母の負担を減らすようにしたら、案外ちゃんとしている。母に一つ一つ命令していたのがウソようだ。
母が、
「向こうの家のほうが、風通しがよくて階段も無いし、危なくないから移ったら?」との勧めからだったが、
「うん、いやあの土地は因縁があるから、やっぱ止めた。」
じゃあ~、自分は悪くても娘の私はいいのかい?と言いそうだったが、こらえて
「そんな事もう無いよ。妹なんかグッスリよく眠れるっていうもの。長い間か掛かったけどノワタリさんのお陰でもう大丈夫よ。」
「あの事件の犯人達は○○坂で捕まって、死刑になった…。」と、家族で唯一それを知っている父は事件の事を独り言のように呟いた。
そんな事でやって来たものの、夜8時には就寝するので、私達にはずれがあり、1時半か2時には目が覚める。
1日目の事だった。
「おい、今何時や?」
「1時半よ。」と言って、時計を渡したが、その後トイレの前で
「誰かおるのか?」とわめいている。
「二人しか居らんのに誰が居る。居ったら幽霊だわ。」
「いや、灯りが点いている。」
センサーにしているので、ドアがきっちり閉まってないと反応して点いていたので、翌日普通の電球に取り替えた。
2日目は最悪で、
「おい、冷房が効いてない。」と言って起こし、
「まともに風が来るから、寒い。薄い布団を出してくれ。」と言われ、布団を出した。
そして、朝5時にやって来て、今度は今通っている病院の事をあれこれ言うので、
「夕べは寝てないから、後にして…。」と言ったが、用が無い父は時間を持て余した。
「まだ、日は射してないから、散歩に行ったら?」と言って勧めた。
私は寝たい時に寝るので、深夜まで起きていても、毎朝、5時に起きる事が多いが、寝付いたと思ったら、二度起こされてその日は寝たようになかった。
そんなであったが、大分慣れてきて、3日目からはスムーズに互いに邪魔をしなく手て済むようになったが、12時過ぎて起きていると、
「お前、いったい何時寝るんや?」の一言で、口うるさくないので母より助かる。
13日の夜中、ドスンという大きな転ぶような音がしたので、
「大丈夫?」声を掛けると、
「大丈夫だ、なんでもない。」との返答が帰ってきた。
朝になり、父は散歩から帰り、シャワーを浴びて斜め向かいの母屋へ向かったと思い、私はのんびりと風呂に入り、その後ベランダのゴーヤに水をやっていると、下が騒がしく、お隣のおばさんが私を呼んでいた。
慌てて外へ出ると、近所の人たち3人が
「ネコちゃん、包帯無い?」と言われ、包帯を持って又、外に出た。
「お父さん転んで、手を突いてね。ちょうど其処を○○先生が通られたから、看て貰ったの。右手のこの指2本を包帯で固定してって、脱臼したけど、直してもらったから。」言われ、父に何処で転んだか聞いたが、父は夜中とは言わずに誤魔化した。
今度は、母も出て来て、ご近所さんに御礼を言っていると、先程の整体の先生が、
「レントゲンも撮りたいし、ちゃんとしたいから、もう一回来て。」と、呼びに来たので母は父を連れ、5,6件先の診療所へ行った。幸い、まっすぐだったので固定するだけで済み、レントゲン写真にも異常は無く、半日使わなければすぐによくなるとの事だった。
朝7時頃の出来事で、幸いご近所の方々は家周りの掃除や植木の水遣りをされている所で、整体の先生はその前夜おばあさんを亡くされてその日休診にする所だった。
出会わなければ、治療所に行っても、看て貰えず、何処か整形外科へ行かねばならず、父も半日痛みを堪えないといけない羽目になるところだった。
指の脱臼は昨晩のドスンといった時、布団の上で転んで手を突いたと言うことだたが、真夜中なので、私に遠慮して言えなかったらしかった。
しかし、偶然が重なり父は助けて頂いた。どうしても必要な時、上は優しく手を伸べて下さって入る事を実感する出来事だった。
その後、父は私が患部に手を当てても、大して役に立たないと思っていたのが、それを信じるようになる出来事が起きた。
患部に手を当てても、父は全く、暖かさ以外何も感じない。
朝食を取っていると、
「胃の奥のほうから突き上げるようで食べれない。」と言うので、手を15分くらい当てていると、
「張りが無くなって少し楽になった。」と言ったので、母と、
「それは私がしてるんじゃないのよ。お不動さんのお力よ。私を通してるだけ。お不動さんに御礼を言って感謝してね。今までの10年のお供して歩いたから、こうやって出来るのよ。私だけでなく、妹も多分、姪達も出来るやろうね。」と言うと、父は言われた通り、お不動さんに感謝を述べた。
「今まで信じてなかったでしょ。なかなか反応がなかったもの。反応しだしたら、マイナスが出て行くから効果があるのよ。」
それから、休みの事もあり、朝晩手当てをさせてくれる様になり、1週間お通じが無かったのが、今朝あり、楽になった。
「普通、こんな事ってしてもらえないのよ。この年まで元気に生きてきたんだから感謝よ。ノワタリさんと繋がりたくても、出来ない人もあるんだから。感謝して」と、母は言い、グズグズ愚痴をこぼしていた父にだんだん笑顔が戻りだした。