8月に入ると同時に、この半月間10羽余りのツバメが群れになって朝早くから賑やかにさえずって飛んでいたのに姿を消した。何時もに比べ、1ヶ月は速い。
夜になると、3つある巣、通気口の管の上で休んでいたので、まだフンの掃除が出来ないでいたが、寂しくかんじる。
商店街近くのスーパーの前の電線に毎年数百羽のツバメがお盆頃とまっていたように記憶があるが、今晩見ると、ここにもいなかった。
よほど気になっていたのだろう、昨晩ツバメが3番子を温めている夢を見た。夢の中で「こんなの初めてだよな~。南に帰るのに間に合うのだろうか?」と、気にしていた。
その事を友人と話すと、今年は異例で自然界は花も何もかも速いと言う。何か起きなければ…と、思う。
以前、大阪の景色を見るのが「見納め」と書いたが、私が予期した時期は過ぎてしまったが、ただ、単に遅れているだけだろうと思う。あの時、水掛不動様が現れ、ご挨拶に行くようにノワタリさんからアドバイスを頂いた事と、旅は入ってこない。
そして、私は友人の死をきっかけに体調が最悪になり、少し落ち着き始めたら、父の癌が分かったこともあり、仕事半分、両親の介護?に振り回される事となった。私だけでなく、チエさんも義父の死、ご主人の手術とバタバタと身辺が忙しかった。昨年の春、一人辞めた時、後の補充をしなかった。補充しても、仕事になるのは最低2年は掛かるが、お得意は高齢化で廃業する店も増えてくるだけなので、その時少額なお得意は通信に一部切り替えた。
そのせいではなかろうが、自分達の意思に係わらず、余計な物がそぎ落とされていくような感じである。年齢のせいか?横柄かもしれないが、気に向かない事はしたくないという強い。
父は風邪を引いた事から、我慢が出来ず ますます我がままが増し、熱は低くても、高齢者は肺炎を起こす事があるので、市立病院から往診をしてくれると教えてもらった病院へつれて行ったが、生憎と今日は休診日で出直す事となった。
「何時死んでもいいから、旨い物を食べる。」と言うので、よほどすし屋の前で置いて帰ろうかと思ったが、帰宅して上ニギリの折をもらいに行った。しかし、昨晩もふぐのから揚げを作ったのに、それはまずい物なのかといいたい。
チエさんは「旨い物でなく、食べたい物よ。食べたいって言うんだから、まだ死にたくないのよ。アンパンとジャムパンを用意してたら」と、言う、アルコールを飲まなくなったので、甘い物に食指が動いているので言い当てているが、食事時の度、
「食べたくないが、押し込もうか。」と耳にする度、ムッとくる。
母は母で、「曾祖母が90歳半ばで亡くなったとき、泣いたのは娘である祖父の二人の姉妹だけだった。」と言い、思い出したら90歳で祖父が亡くなったときも、誰も泣かず、
「お祝いだよ、大往生だ。」と言う言葉を聞いた覚えがある。しかし、物静かで温厚だった父の幼児帰りに異常な暑さもありはほとほと疲れる。
そんな日々であるが、2週間前 町外れで信号待ちをしていると後ろでド~ングシャという大きな鈍い音がしてバックミラーを覗くと、すぐ後ろの車から、30歳代の男性が首筋に手を当てて走り出て後ろの車へ向かっていた。私の前はバス、車間距離もそう無かったのによく玉突きにならなかった事と安堵したが、守られている事を実感した。(過去に二度追突されているが、今回は免れた)
ポコポコと間の抜けた天井の音はラップ音でなく、これも1週間前の夜 「ゲフォ」と言うネコが毛玉を履くような音が頭上でした。今度は猫かい?と思ったら、その30秒足らずでまた同じ音がして真っ暗になり、頭上のシーリングライトが壊れた。
そのまま、ダウンライトで暮らしているが、完全にラップ音もしなくなったようである。