Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

偶然の出会い1

2013-08-14 01:12:41 | 日々のつぶやき

最近、偶然の出会いを立て続けに二度経験した。

すべては偶然でなく必然とは言うが、粋な計らいだと思っている。

このところ、四国はかって味わった事の無いような酷暑が続いている。

余りの暑さで毎日、父は冷房の中で一日中横になっているが、自分の病が精神的なものと気づいた事と、頼りになる医者に出あったことから、少し以前よりは楽になったようであるが、日替わりで良くなったりそうでなくなったりしているが、確実に歩く姿は以前よりシャキッとしてきた。

お隣のおばさんが、

「車から降りるには時間が少し掛かるけど、どしたん、シャキシャキと歩いてるやない?」と、私に言う。

「そうよ、病気や無いて、精神的なものよ。」と答えたが、それまでは前かがみで杖を突きヨチヨチ歩きで指先でちょっと突いたら、転びそうだったのが、しっかり歩き出した。

しかし、母ともめた数日前から、この暑さもあり、母屋は家の向きで浜風が入りにくいこともあり、私の部屋の隣で夜は休むようになった。

もう、母の体力も気力も限界に来ていたみたいである。ペースメーカーの入れ替えもあるが、それよりも38歳で気管支拡張を患い、喀血したがその傷が大きく残っており、再発した場合大変だと今年、視ていただいた医者に指摘され、それまで完治していたものと思っていたので、気にしていた。

それは一応治ったと思っていたが、20年前まで毎日咳き込み痰を吐いていたが、当時の主治医が待合室で咳き込んでいるのを気づき、薬を投与された事で、それ以降激しく咳き込む事はなくなった。しかし、その医者は不自然な交通事故で亡くなられてしまい、母はひどく落胆した。

しかし、その咳が治まっていなければ、まず現在母は生きてはいないだろうと思うほど、ひどい咳き込み方で心臓に負担が大きいからだ。その時の主治医も心臓でかかっていたのでそう思ったのだろう。

話が大分それてしまったが、本題に。まず、軽い方から…。

先週の金曜日、商用で出るついでに、従姉妹のタカコちゃんとランチを取る事にしていた。父の病気のことで家族がぶつかりあったり、取り扱いメーカーが幾つか大幅な値上げで、見積もりを作ることに追われていた。精神的にこちらもまいっていたので、母も出かけに

「ゆっくりするといいわよ。」と言った。

しかし、疲れていたのか?インターの入り口で危うくETCでなく一般の方へ入りそうになり、慌ててハンドルを切った。後続車がいなかったので良かったものの、その後もまた、同じ事を続けその挙句、高速に乗ると方向が違う。上り方向へ行かないといけないのに下り方向へ行ってしまい、慌てて、遅れることを連絡し、次のインターで入り替えて走った。

午後1時を過ぎて和食店に入ると、人も疎らだった。その後コーヒーショップへ入った。2階席は階段近くの窓際ともう一つは真ん中の席が一つ空いていた。日が射すので窓際をやめて、中央席に座わったが、学生が多くみんな勉強をしているみたいだった。

タカコちゃんも数年お姑さんのお世話をされた。病院へ入院してからもご主人と交代で食事のお世話に通い、他の兄弟があっても、彼女がひとり引き受け毎日通い、すべてしていた。

「タカコちゃんはえらいね、もう私いっぱいいっぱいだわ。」とこぼすと、

「あら、これからよ。ノワタリさんにどれだけ、電話で聞いてもらったか、彼女がいたので助けられたのよ。」と言っていた。その後、あれこれ話して後また、今治まで行かないといけないので席を立とうとしたら、

「ネコちゃん、ネコちゃんやないか?」と、つい立越しに隣の男性が私の名を呼んできた。平日のこの時間にコーヒーを一人でのんびり飲んでいるなんて、リタイヤいた人かなと思っていたら、なんと2級上の学生時代のA先輩だった。

ほぼ40年ぶりで、じっと見つめると目元に面影があるが、すれ違ったくらいだと気づかないであろう。昔話に盛り上がり、特に一緒にドライブしてスピンした事を話された。この出会いも間違えて下りへ走ったロスがなければ、出会わなかっただろうと思う。その事を話すと、

「なんとのんきやね。」と、言われた。

互いの近況を話し、私が一人でいることを知ると、

「あんたは一人でも大丈夫。」と、あり難くない事を言うのでこちらも「いらんわ。」と強がってしまった。タカコちゃん一人が「いや~、これからだから、誰か…。」と、気を使っていた。

「今度出てくる前に連絡頂戴、食事でもしよう。」と言って別れたが、私の学生時代の下宿の部屋に一畳の台所があったので金欠になるとこの先輩とM先輩は「食べさせて~。」とやって来たり、ダンスパーティの後、ラーメン一袋を持って「贅沢は言わん、ご飯だけでいいから…。」と言ってやってきて、「何番目が良かった。」とか言い、私も異性なのに遠慮なくあれこれ踊った女の子達のたな卸しをし、そのうち

「何かある?晩御飯何だった?」と聞き、結局冷蔵庫にあるものを食べ、料理用のブランデーのミニボトルまで飲んで帰っていたが、憎めない人たちだった。

しかし、そのお返し?に焼肉屋や炉辺焼きでご馳走になったり、スナックへ連れて行ってもらったり、お誕生会?をしたり、春休みに帰省しなかった為、仕送りをしてもらえなかった時は、バイトを世話してもらったり何かとこちらもお世話になった。一級上の先輩にはタメ口で話せなかったが、このお二人の先輩には言いたい事を言っていた。

冬は私の部屋で2人の先輩とパンダとIとYの5人で500円投資でビール付きで水炊き鍋をよくした。なぜか、友人のパンダが自炊もしないのに大きな土鍋を持っていて、小さなプロパンとコンロ台をIが持っていて、ご飯は私。

しかも、下ごしらえと後片付けも私とパンダで、最後は鍋に麺を入れるので食べつくして汁も残らなかった。楽しい思い出である。

梅雨の末期の蒸し暑い頃、この先輩がレンタカーを1日借りた。1日と言うので用が済んでももったいないと言う事で、深夜に5人でドライブに行った。私は覚えていなかったが、大雨だったと言われた。

私は端っこに座り途中でうとうとして寝ていたが、水溜りでタイヤがスピンしてしまい車のクルッと回っている時体が揺れそれで目が覚めた。

国道脇の空き地に突っ込んだ途端、サァーと対向車が走りすぎた。みんな顔面蒼白(見えなかったが)になり息を呑んだ。丁度その時、カーラジオからタイガースの「シーシーシー」が流れてきたのを覚えている。数分沈黙が続いた後、安堵した所で、みんなが、

「いいよな~、誰かさんは寝たままあの世行きだったよな~。」と呆れられた。後で聞くと、空き地のその横は崖だったという。

A先輩は今回、「先祖の守護だよ。」と、神妙に言い、「あの時事故っていたら?と思うと…。」と言われ、とても気にしていたらしく、その話ばかりされていた。

下宿の女友達を紹介したが、2,3度デートした所で、女のこの方から

「いい人なんだけどね~、お友達以上にはならないわね。」と言われた。ハンサムでも確かにセクシーさに欠ける。本人はアンソニーパーキンスに似ていると言ってたが、ウサギにしか見えない。しかも、最後のデートはレンタカーがガス欠になり、夜道を二人で車を押す羽目になったことを笑いながら話したが、それ以上話は進まなかった。他にもこの先輩では無いが、私の男友達を他の女友達に紹介した事があったが、それも友達以上にはならなかった。

スピンの件から2ヵ月後、前期試験の終わり頃学校近くの先輩の部屋で、午前中の試験を終えた後そこでパンダが、

「5月の連休中、誰が買いにいくかもめての~。始め じゃんけんで負けたIが近所の薬局へ買いに行ったら、同級生の女の子が出てきたので買えず、風邪薬買ってきたんや。それでMが他の店へ買いに行って開けたんを僕の机の上に置きっぱなしにして、帰ってしまい、汽車の中でそのままになってることに気づいたんやけど、夏休み帰ったら、埃一つ無い机の上にそのままあったんや。お袋は掃除してるんやけどそのままで…。どうしようかと思った。」と、同級生が数人集まり、コンドームを買った話を苦笑いしながら話した。

「あはは、バカヤロー…。」と私とYはパンダとIを笑い飛ばしたが、

その頃はタバコの自販機と並んでその自販機があり、公衆電話の横にある時など、嫌だった。

その話をしていると、先輩が「持ってるぞ。」と言いながら、机の引き出しから茶色っぽい小さな袋を大事そうに出しながら、「使ってないから、開けるなよ。」と、パンダに手渡し、みんなでまわしたが「ふ~ん」で終わった。

しかし、私は「ヒェ~!」こんなもんこの人に必要なのかしらと、結びつかず以外でおかしかった。

ちょっと、下ネタっぽくなってしまったが、私は彼らとは同性の友達よりもうまが合った。私も男の子であればなお良かったのにとも思うが、本当に良い人たちに恵まれた事を感謝している。

 

 

 

 

 

 

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