今朝 日曜日なので寝床でのんびりしていると、突然電話の内線のブザーの音がした。時計を見ると7時38分だった。
受話器の向こうで母が「速く来て、お父さんが大変!救急車を呼ばないといけないかも。」と言う。
先日取引先のメーカーの社長さんが亡くなられて葬儀に父と出かけた時にも、母に「あんたも覚悟せんといけんよ。」と言われていたが、こんなに急にと驚き、パジャマの上に上着を引っ掛けてはす向かいの母屋へ行走った。
私は父が脳梗塞か、脳出血でも起こしたのではないかと思ったが、父は頭から血を流しベッドの上で仰向きに寝ていた。パジャマも床も血まみれになっていた。
「時事放談」を見るつもりで テレビのコンセントを入れようとして足元の小さな温風器に躓き転倒してテレビ台に額をぶつけ切れたらしい。しかし、父は小さな脳血栓がある事を気にして血液をさらさらに薬を飲んでいる為、出血は止まらない。
となりの部屋で寝ている母は、ガタンと倒れる音がしたので覗くと父が額から血を流していたのに気づいた。一向に血が止まらないので慌てたらしかった。
救急車を呼び、しかし私も慌てていたので110番にかけてしまった。その間に母は父にズボンをはかせて私も着替え、と保険書とお薬手帳を用意していると思ったよりも速くやって来て、ストレチャーで父は運ばれた。
3人の救急師達は手際よく車の中で血圧を計ったり、父が正気であるかじゃ確認したり、血を拭いてもらったりした後、8時15分頃行き先が決まり 額をずっと押さえてもらい、大通りへ出てからサイレンを鳴らし病院へ運ばれた。
額を5針縫ってもらい9時前に病院を出ることが出来た。
横一文字だけでなく縦にも少し裂傷がありT字形の傷だと言われた。当番の若い医者は私に血圧も200近くになっていたので色々と注意事項を伝えた後、「一時、迫力のある顔になりますよ~。」と軽く言った。
帰りのタクシーの中で骨折でなくて本当に良かったと思った。友人や知り合いの家の老人達は70才代であっても大腿骨骨折などで入院した後、痴呆になりその後寝たきりになって行った人が多かった。
昨日の事、スイミングで一緒だった友人に偶然出会い、話していると実家の母親とお姑の二人が目が見えなくなったり、痴呆になったりしてスイミングどこではなく、二人のお世話に追い回され、ディサービスに行っている間に用を済ますのがやっととぼやいていた。
まだ、父は手も足も効くので身動きは自分でできるが、足元が弱っている。
先月もプールのある施設の階段で登っていて足を滑らせ鼻の急所のわずか5ミリ下を階段にぶちつけたので、両手が使えるようにその後リュックを買ったばかりだった。
今月に入って自分でも体力の低下(脚力)に気づき、ゴルフを止めると言い出した。それまでは90歳までは行きたいと言って、今年の夏 軽い婦人用のクラブを2本買い替えて続けていたのだが、相当自信がなくなったのだろうと察せられる。
その会は高齢者が多く、今までも米寿の祝いのコンペが何度かあったが、それをすると間無しにあの世へ行かれた。その後米寿になられた方はそれを用心してしなかったが、やはり同じであった。
父は昨年米寿を迎えたがやはりしなかった。
また、2~3日前に戦時中お世話になった大尉の忌中を知らせるはがきが届き、さらに気落ちしていた様子であった。
家の前にいた母が父の歩く姿を見て安堵したらしく、「良かったね。これで済んで、骨折だったら大変だったよね。」と言い、神棚と仏壇とお不動様にお礼をいった。本当に感謝である。それでもお昼には父の食欲は変らなかった。
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