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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

春節の北京 Ⅲ

2010-02-24 19:29:28 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

祈年殿

駅を間違えた為、崇文門から1時間位私達は歩いた。街が大きいからか通りも長く広かった。やっと祈年殿の屋根は見えてきたが、歩けども歩けども辿りつかなかった。おまけに北門の周辺は再開発地区らしく、道の両側の建物も古く住んでいる人がいるのかどうか分らないくらいで、築50年くらいの5、6階建てのアパートと塀の中の古い家屋(フートン?)は壊しかけの所が多く、住んでいる人も少なく、ショッピングセンター も閉鎖されていて、寂しく埃っぽかった。時折、花火や爆竹の音が中から聞こえていた。

また、閉まっていたらどうしようと危惧していたが、開いていた。北門から入ると、壁や木々にお正月の飾りがしてあった。ノワタリさんは「神社と同じようなエネルギーが流れているわ。」と呟き、左に行こうとした私に「右です。」と言った。

祈年殿は清の皇帝が五穀豊穣を祈った所だと言う。ここも地方からの人が多く、祈年殿の中を覗こうとしたら、ニンニクの匂いの息がきつく諦めた。公園内は大変広く故宮博物院の4倍だそうだが、先に歩きすぎて疲れていた。その後、公園内のお手洗いに行ったが、多くの人と鍵の閉らないトイレに面食らった。出ると、1週間前の残雪の上に靴底をこすり、汚れを落とした。

直接神に祈ったという圜丘の天心石は多くの人でいっぱいで上がる事は出来なかった。

南門から出てタクシーで昨日「没座」と断られた王府井のレストランに行った。ガイドブックに魚料理などが載っていたので肉を食べないハヤシさんには良いだろうと思ったが、メニューは1品でお正月料理の?羊のしゃぶしゃぶしかなく、みんな鍋をかこんでいた。朝、ホテルのレストランで目いっぱい食べていた私には重過ぎる。3人分頼んだ事を私達は後悔した。肉の串焼き、ゴマ餅、しゃぶしゃぶには肉が4皿、野菜、えび、春雨、豆腐、麺、真冬なのにスイカ、にんにくの丸煮...どうりでみんなの息が臭ったはずだ。

腹を決めて、肉は食べないハヤシさんも張り切って食べたが、真っ先に私がギブアップした。肉はやはり半皿残った。ここのお手洗いも、先に入った人たちはドアを半開きで用を足していた。鍵が壊れているのかと心配したが壊れていない。年配者は戸を閉める習慣が無いのだろうか。

北京の地下鉄は各車両に14インチくらいのモニター画面が出入り口近くにあり、日本でも顔なじみのジャッキー.チェンの映画やビビアン.スーの映画の宣伝を流しており、退屈しなかった。立っていると、前に座っている伯父さんは、席が空いたのを教えてくれた。お礼を言って座ろうとしたらもう他の人に座られてしまった。その伯父さんは「座れなかったからお礼はいいよ」とニコニコ笑って言ったが、また、空くと教えてくれた。駅に着くと、今風のパープルに染めた頭の男の子が二人やって来た。

ノワタリさんは始皇帝に縁のある処に行かねばならないという。ホテルに帰り、ガイドブックを調べる事にしたが、探してもそれは無い。万里の長城に次の日の午前中に行く事にした。北京に近い万里の長城は明の時代のものであるが、これを最初に造ったのは始皇帝であるからだろう。

早速、ガイドの陳さんに連絡を取った。電話の向こうの彼女はオフモードで沈んだ声で出てきたが、万里の長城の手配とマッサージの依頼をすると俄然声は活気付き、料金と時間を連絡してきた。車付き、昼食なしで日本円で一人¥8,000だという。ガイドブックで調べるとまあ妥当なところか。彼女のその後の段取りの良かった事、コンセルジュにモーニングコールまで頼んでいた。

夕方の1時間半、私達は全身と足のマッサージをしてもらった。国柄の違いかマッサージ嬢達は足に移る頃には解らないと思って勝手におしゃべりをし、うとうとしていたのが目覚めてしまった。その夜は早く休むつもりが、またまた、爆竹こそ無かったものの、花火の音が夜半まで続き、眠れなかった。

 

 

 

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