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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

春節の北京 Ⅰ

2010-02-21 00:11:26 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

昨年の11月、ノワタリさんが「毛沢東がニコニコ笑って出てきたんですよう。行かないといけませんね~。」と連絡が来た。でも気が進まない。

「いつですか?」

「来年の2月、2月14日に天安門広場に行くみたいです。」と言う。

考えてみれば、旧正月である。中国は旧正月を賑やかにお祝いする風習がある。

北京の夕暮れ

12月中に2泊3日のフリーパックを探し、準備をした。前回のイタリーの失敗もあり、ホテルだけは5つ星にした。

両親に伝えると、父は「中国に神社があるか?」と言い、母は「共産国で恐ろしいから、何かあるといけない」と二人は口々に反対したが、「ノワタリさんが行かれるのだから」と2,3日後に了承を得た。

しかし、今年の1月の北京の最低気温は―20度くらいと耳にしたので、マイナスの気温をほとんど体感した事がないの私は着る物から迷った。母は「着る事も無いから着てちょうだい」と言って、ミンクのコートをたんすの奥から出して来た。

暖かそうだがそんな物を着ていたら物取りに襲われそうだからといって断った。昔見たハリウッド映画で毛皮のコートを着ていたおばさんのコートの先から、いっせいにミンクの頭が出てきて口を開けて威嚇したのを思い出し、毛皮は着る気がしない。

結局、ネットの地球の歩き方を参考にして、ダウンコートと毛糸の帽子、マフラー、ブーツが良いというので、寒気が伝わりにくいだろうと思い、数年履いていなかった厚底の靴を履いていくことにした。これが後問題を起こした。

先週の金曜の最終便で羽田に発ち、翌、羽田発の午前便で北京に行く予定だった。

地元の空港に着いた時、何故か左足だけが傾いている。歩き方が悪いのかとも思ったが、フニャフニャとした感覚である。永い間しまいぱなしにしていた靴の底はウレタン製で裂け目が走り、中が白く見えてきていた。ノワタリさんとハヤシさんに連絡を取り、買ってきてもらおうと思ったが連絡が付かなかった。仕方が無いので出来るだけ無駄な歩きは止め、やっとの事で羽田のホテルに着いたが、それが限界で部屋へ案内される途中、ポロポロと靴底は剥がれて足跡のように続いて落ちていった。(恥ずかしいので当然、目を盗んで拾った)空港内のホテルにして良かったと思ったが、旅の始まりがこれでは先が思いやられた。

ハヤシさんに靴を持ってきて頂き、出発した。は空いていた。考えてみれば、中国の企業は1週間休みだし、故郷で春節を迎える人は大方帰国しているだろう。

を一歩出た途端、まだ外に出ていないのに煤煙の匂いが強烈に襲ってきた。空港は閑散として人がいないのにとても広く大きい。世界一だそうだ。他の国よりも入国の審査は厳しく、中々順番は来なかった。ロビーを出ると送迎のは来ていたが、他のツアー客は無く私たち3人だけだった。案内人は30歳代の女性だった。郊外は高層ビルが建設中でガイドは坪120万円だとため息を付くように言った、それとドイツ車が目に付いた。

の中で、水晶の印鑑を勧められたり、万里の長城のオプショナルツアーの勧誘があったが、私達は寒いからと断り、交通手段は地下鉄とタクシーを使うと言って全て断った。別れ際に何かあったら連絡するからと言って番号を貰った。

ホテルは5つ星だと言うことで安心していたが、ベッドだけ3つ入れてあったが、後のアメニティグッズも備品もよほど水質が悪いらしく歯磨き用のミネラルウオーターも全て2つしか用意されておらず、それをフロントに連絡しようとしたが番号が見つからず、直ぐ外出する予定がもたついた。ちょうど隣の部屋の前に係員がいたので連絡をしてもらい、彼女の指示ですべて用意してもらった。片言の中国語で少し話したら、今年の干支の寅のぬいぐるみを貰った。後で落ち着いてみたら、にコンセルジュの直通番号が小さく表示されていた。

天壇公園に行こうとしたら、休みだとドアボーイに言われたので、天安門に行く事にした。近くの地下鉄駅を教えてもらって出かけた。夕暮れの天安門と、王府井に出かけた。

王府井付近

大晦日で休んでいるレストランが多く、ガイドブックにあった所も満席で断られ、東方新天地というショッピングモールの地下のレストラン街の中の入り口に3.4人の若く綺麗な案内嬢が並んでいる上海料理の店で夕飯を頂いた。そこも満席で10分余り待ったが、お茶のサービスもあり店も広くきれいで多くの従業員がいた。中国野菜の料理、野菜の餡の餃子や肉餃子など5皿ほどとお茶を1ポットを注文した。薄味で美味しく一人日本円で1300位で安かったが、チャーハンだけは香料の匂いで私は食べれなかった。

帰りは花火や爆竹が通りのあちこちで打ち上げられ、火薬の匂いの中を避けながホテルの窓から

(驚いた事に、この白いのはレースのカーテンでなく、窓の外の汚れ)

ら歩いた。路上には花火の空筒があちこちに転がっており、爆竹のカスも散乱していた。人事ながら、誰が片付けるのだろうと思った。

その晩は、花火大会のように空高く大輪の花火が上がると言うのではなく、13階窓から見下ろすような感じで、誰が上げるのかあちこちに移動しながら一度に6,7箇所から花火が上がっていた。ものめずらしいのも綺麗なのも始の20分ぐらいで、うるささは半端でなく、花火と爆竹の音はすざましく、カーテンを閉めていると、まるでパレスチナの紛争地域か、戦地の最前線にいるみたいでひっきりなしにドーンドーン、ヒュルヒュル、ヒューンヒューン、パチパチパチと乾いた音がした。

夜が更けるにしたがって爆音は大きくなり、真夜中過ぎまで続いた。カーテンを開けるとよほど近くであげてるらしく、火薬の匂いが部屋中に漂ってきて なかなか寝付けなかった。