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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

北海道一人旅 2008年

2009-09-05 07:58:00 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

ノワタリさんに頼まれ北海道の神社をネットで検索した。出てきたのは、北海道神社庁のホームページで大変な数があるのに驚いた。15の支部があり、なんと570前後の神社が登録されていた。ウイキペディアもあるのにこのホームページを選択してしまった。有名神社ばかりでなく、それぞれの郷社も行かねばならぬ意味があったのだろうが、どうせ絞り込むからとのんきに構えていた。

「北海道の神社」と言うホームページによるとは4種類あり、1明治以前の和人の進出により立てられたもの、2明治以降の官幣社、国弊社、3開拓神社、4鉱山神社があると書いてあり、その数の多さに納得した。

資料を送り、直感で決めて頂いたが、海岸の神社だと言うのでぐるり1週する事になる。おまけに礼文島、利尻島は外せない。期間は1週間しかない。車がないとおおよそ無理だと思ったが、1週間も同行してくれる人もいない。私が同行すればよいのだが、仕事を休むわけにもいかなかった。軽く考えていたのが全く進まず、何度も絞り込んでいったが、どの空港を使い、どういう順路でいくか?考えがつかず途方にくれたが、投げ出すわけにもいかない。早くしないと飛行機が取れなくなってしまう。

数日間は地図やネットを見ながら、思案したが何も浮かばない。JRも1周せず、内陸部を走っている。路線バスを探すしかなかった。脳が沸いてきてパニックになり、私はノワタリさんに何度も泣き言を言っていた。ゴメンナサイ。

そうするうちに、離島のことが1番難しいと思っていたら、利尻島から札幌にで飛ぶ事で大幅に時間短縮が出来、この計画の糸口が見つかり、その前後の日程を組み立てていく事で目鼻がついた。ただし、宗谷から紋別までの海岸線と日高と檜山の海岸は了解を得て 省く事になった。ぐるり1週はまず無理だと諦め、網走から旭川に出て留萌にでる北海道の真ん中を横断する形でどうにか日程以内に納まりそうだった。

四苦八苦した末8月23日の夜中、私は見ることはできなかったがアテネオリンピックで野口みずきさんがマラソンで1位で入場してきた頃、プランが出来あがった。周辺の家々も起きていて外からもの音と歓声が聞こえたいた事もあり、孤独感をその夜は感じなっかた。(夜な夜な作業をしていた)

1日目、釧路空港に降り、釧路~厚岸~霧多~根室~羅臼温泉泊

2日目、羅臼~斜里~佐呂間~網走周辺を周り泊

3日目、網走~女満別~留辺蕊~遠軽~旭川泊(ここは宿泊のみ)

4日目、留萌~羽幌~稚内市内を周り泊

5日目、礼文島~利尻島~札幌市内を周り泊

6日目、小樽~積丹半島~札幌~函館泊

7日目、函館~虻田伊達~室蘭~空港

上記の町の選んだ神社を周ることになったが、留萌、羽幌の線は極端にバスの便がなく、乗り遅れたら、半日無い。時間と場所を細かく調べ、神社位置をネット地図で確認し、参拝時間も考慮てお渡ししたが、JRの駅の付近やバス停の近くに神社がある訳ではなく、そこからタクシーで行かねばならず、計画は立てたものの、実際行動されるノワタリさんはご苦労である。土台、行ったことも無く土地勘の無い人間が立てた計画であるから良い訳は無い。しかし、計画を練っているうちにしっかりと地名と地図の配置を覚え、妙な親近感を持った。失敗だらけの計画で 今ならばだいぶん慣れたのでもっとましなものが作成できたと思うのだが...

毎日朝早くから、夜遅くまで周り続け、夕飯の時間にも間に合わず温泉旅館のご馳走も口に出来なかったり、利便性を優先して、中には部屋にバスとトイレが無かったことがあったと言う。1日目はハードでを遣わなければ厳しいと言う事も解っていたが、そうしないと行けない。留萌では時刻表のバス停の記載が違っており、結局、タクシーになってしまったと言う。たぶん空港バス以外の上記のはほとんどタクシーになったのではなかろうかと思う。互いに心配で毎日連絡を取り合った。

積丹半島で知り合い親切にして頂いたご夫婦の事や反対に神社に違うものが入ってたりして恐ろしい思いもされたと言うが、空港に着いたときには体力も気力も無く疲れ果て、タクシー料金に使い果たし、財布も空っぽになったと言われた。

それでも気の毒に美味しいメロンを2個送って頂いたき、ありがたく家族全員で頂きました。

その後、1ヶ月間からだの調子は戻らなかったと言われた。本当にお疲れ様でした。

 


九州の旅2004年8月国東

2009-09-04 12:07:00 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

宇佐神宮

妹と別れ、宮崎を朝8時前にJRで出発したが別府に着いたのは12時前だった。駅で昼食を済ませ、レンタカーで宇佐神宮まで走った。

昨日の霧島や鵜戸神宮と違って、駐車場も閑散としていて広い境内にも参拝客は少なかった。境内はとても広く、丁度はすの花がたくさん咲いて綺麗だった。

上宮に行った時に修復中で中は囲いがしてあり、上の写真のような門も見る事が出来なかったが、下宮、若宮、春宮、亀山神社、八坂神社まだ他にも境内の中に社があったが、参拝した後、今日は時間に余裕があると思い、私達は境内の庭園ををゆっくり散策し、池の周りを歩いて御神水の所まで行ったが、これだけ豊富に水があるからさぞかしきれいな湧き水があるのではないかと覗いたが、ひしゃくは置いてあったが飲めるような水ではなく、期待が大きかった分がっかりした。

その後、使い慣れないナビの(私はナビを着けていない)音声案内に慌てて曲がってしまい国東半島への道を間違えてしまいもたついてしまった。ノワタリさんは「走らせる必要があったのよ」と言っては下さるが情けない。

周防灘に面した香々地町の別宮八幡社を目指して走った。海沿いのひなびた町にひっそりとその神社はあった。ナビに出ているわけでもなく、その付近でおばあちゃんに尋ねると、参拝者とわかると、「有難う、ぜひ、お参りしてや」と喜ばれた。神社の門前には数台の車が駐車していたが、それは参拝でなく、お年寄り達がゲートボールをしていた。海辺なので松の木が数本境内にあった。昔はこの神社も朱塗りであっただろうがもう全くその色はないがどっしりとした楼門があり、静かで掃除が行届いてありとても気持ちが良かった。集落の氏子の方々が大切に守られているのが伝わった。拝殿には扉も無かったので上がらせていただき、お参りし、まるでここが別宮でなく本体であるかのような暖かく澄んだエネルギーを感じたのでしばらく正座して楽しんだ。

で若宮か別宮が付く八幡様とノワタリさんは言われたが、たまたま調べた95年のるるぶの地図に豊後高田の若宮神宮は載っていなかった為、本来なら行くべき若宮八幡宮を落としてしまったような気がするが、この神社に ご縁があったのだろう。(それでその近くを迷ったのだろうか?杵築の若宮神宮には2007年に参拝したが)

そのまま空港に出ればよかったものの、余裕があると思い又、スパランド真玉というう温泉に行き(今思うとなぜ遠いその温泉に行ったのか解らない目に付いたまま走ってしまい、合併前の豊後高田市に近い...)そのせいで、空港まで 国東半島の山の中を横断する形で走り、途中両子寺の案内板を2度ほど見たが、ナビの誘導で走ったので何処をどう走ったか解らないが、時々出てくる案内を確認したが、対向車にも会わず、だんだん薄暗くなかけ不安に思った。「これが空港に行く道かしら」と思うほど、狭くくねくねした道で私は半分パニクッていた。突然、モデルハウスのような家の立ち並ぶ新興住宅地を通り過ぎると下のほうに空港が見えてきて安堵した。

気の毒にノワタリさんは空港に着いても土産を買う事も城下カレイを食べる事も出来ずにやっと乗ることができた。ゴメンナサイ

 その車中で8月末に北海道に行くメッセージを取られたことを言われ、又段取りを頼まれた。私は北海道には明治以降だから神社が少ないだろうと思い安請け合いしてしまった。後で思案にくれ苦しむ事になるのだが...その時は簡単に出来ると思っていた。


九州の旅2004年8月

2009-09-02 21:21:19 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

2004年いつもの事ながらこの年のノワタリさんは特に忙しかった。弥山から帰ると今度は、九州の神社を周ることになった。この旅はノワタリさんからの要望の神社だったと思う。

長崎と五島列島と阿蘇、高千穂は周っていたので海岸線の神社が多かった。私は仕事を持っている為週末しかご一緒する事はできず、お一人で始めの3日間、お参りされた。8月4日から8日にかけてのことであった。心配なので毎晩連絡を取り合った。このようにブログを書くとも思っていなかったので記憶も薄れ頼りない。

始発で福岡に行き、JRと西鉄を使い宗像大社、筥崎宮、大宰府天満宮、祐徳稲荷、久留米の水天宮を2日かけて周り、その日は久留米に泊まり、翌日は遠く連絡の良い便も少ないので早くから、開聞の枚聞神社に行き夕方鹿児島神宮に行かれた。2日ともとてもハードなスケジュールで電車に乗り遅れると予定が狂うので大変だったと思う。その日は国分の宿に泊まられた。今思うとなぜ、霧島温泉郷にしなかったのだろうと後悔した。

3日目の朝、私も夜行で出かけ、妹と3人霧島神宮駅で合流した。前日の鹿児島神宮にお参りした後、近くの神社にも行かれたそうだが そこで大変怖い思いをされ、「誰かわからないけれど男の人がじっと監視しているみたいだったの」と言われた。夕方であったからもう良くないものが動き出したのだろうか?

そこからは車で電車のように時間を気にしなくて良くなった。霧島神宮を午前中に参拝したが、夏休みなのか次々と観光バスが入っていた。朱塗りの建物が綺麗で、さすがに暖かなエネルギーを感じた。

高千穂の峰を見ながら下っていたら、天の逆矛の話が出て行きたいわねと言ってたら「荒武神社」と言う看板を見つけた。その表示を頼りに探していくと、小学校の横に小さなお社があった。偶然にもその神社は昔、噴火の時に飛んできた逆矛を祀ってある神社だった。その逆矛を拾った人の名前が神社の名前になっており、(妹がよく覚えていて教えてくれた。私は名前の事は忘れてしまっていた)その集落の人たちによって大事に守られていた。ガラス戸越しに御神体の逆矛を見せていただき、ご挨拶をした。その日は時間がなく、山に行く事が出来ないのでこういう姿で見せていただいたのだろう。

上記の写真は後日、妹と峰に上がった時に撮ったものであるが、天孫降臨スライダーという名のスライダーがあり笑ってしまった。

都城から三股町を通り鵜戸神宮に向かっていたら、途中道路沿いの神社でノワタリさんからストップがかかった。広い境内には社務所もなく、誰もいなかった。「お仕事だわ」と言われ、そこでお清めし、歌を歌われた。始めは低いどすの利いた声で歌われていたが、「えい!えい!」と言われた後、声が明るくなりご祭神様にご挨拶をして終わられた。その後、海に向って走っているのにだんだん山深くなり対向車にもめったに会わないような道を抜け、日南海岸に出た。景色は一変し、太平洋の雄大な景色が広がってきた。日差しが海に反射して眩しくになってきた。海では子供達が泳いでいた。神宮に着く前に、新鮮な伊勢海老を昼食に安く頂いた。

鵜戸神宮お乳水舎

鵜戸神宮は明るく綺麗で、観光客が多かった。岩屋の中に朱塗りの神殿があった。

楼門の手前のお稲荷さんをお参りしたが、その横に又また神社の立て札があり、山道を登っていった。大変な悪路で、石段は壊れ、がたがたになっている森の中を私達は 神社に行かずそのまま上に進んだ。「いのしし注意」の立て札があったので、あたりに気を付けながら上ったが、木々で覆われ、昼間なのにうっそうとして暗く侘しい御陵に着いた。(シダの原生林だということだった)

御陵と言うのにほったらかされやぶ蚊がブンブン飛び回り手が入った様子は無く、一人であれば行くのをためらうほどだ。下の神社とは雲泥の差で寂しいと思った。

誰の御陵だろうか?神武天皇の宮崎の夫人であったお姫さまだろうか?帰らぬ夫を思いながら海を見ながら毎日暮らしたのだろうかと言いながらお神酒、塩、お水を撒きお清めし、ノワタリさんは歌を歌われた。案の定とても歌声は暗く重く沈んでいた。その間私と妹は蚊に刺されまくっていたが、歌の調子が変わると不思議な事に蚊はいなくなった。厳かなメロディになった後、ご挨拶をして終わった頃には、ジメジメして暗かったのがすっきりした感じがした。

今日のここがメインの所だとみんなが思った。これを書くのに解ったことだが、ここは吾平山上陵と言ってウガヤフキアエズの尊様の御陵だと言うが、やっぱり、私達は阿比良媛ではないかと言う気がする。いつもの事ながら、後日になって分かる事が多い。

その後宮崎神宮に参拝し、その日は終了。夜、市内で花火大会があり、ドン ドンッ!と言う音を遠くに聞きながら夕食を取り、よく日早く別府まで出るため、駅前のホテルに泊まった。