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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2004年霧島の旅大浪池

2009-09-16 20:31:23 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

大浪池

先週の土曜、日曜と旅をしていたので書き込みが留守になってた。

ノワタリさんが 北海道から帰られてやっと体の調子が戻った10月の事、大浪池のお浪さん(大浪池伝説)が市松人形のようなかわいらしいお姿で現れたという。それで、12月31日にそこに行かねばならないという連絡をもらった。

今回、ハヤシさんという方がご一緒すると言う事で、私の元にがあった。

彼女は大変信長が好きで、本能寺で亡くなったのではなく、島津家を頼って薩摩に落延びて晩年を過したという説があると言った。それで鹿児島には小谷とか、小牧という地名があるとも言ったが、確かめてはいないので真偽の程は分らない。それで、今回手掛かりを求め行きたいらしかった。

そうするうちに 直ぐ年末になり、30日の夜中から出かけた。おばかな私はキャリーだから大丈夫と思い、お清めの粗塩、お神酒、水を4組ぐらい入れたものだから駅の階段では往生した。それに80㎝位の榊、お花を持ってたものだからやっとの事で動いた。ディズニーランドに家族で出かけている妹の留守宅により、身繕いをしてで空港まで行き、ノワタリサン達と合流して食事を取り、出発した。

その日はまた、低気圧の通過で、寒く風も強く、雪が降っていた。お浪さんにお供えの卵をコンビニで買い求め、霧島に向けて走った。途中、3人が「すごい熱い!エネルギーだ。」と言ったが、単なる温泉の湯煙だった。賑わっている温泉街を通り抜け、霧島道路を通って、大浪池の麓まで行き、そこからは徒歩になった。大浪池は常時水のある火口湖では1番高い所にあり、1412mの高さがあると言う。

それぞれリュックに手分けして、の中を登った。所々凍っており、ズックで行った私達は転ばない様に気を付けてゆっくり登った。悪天候で、他に登山者にも会わなかった。

上記の写真は昨年のもので、その日は、写真を撮る余裕も無く、池の近くまで登ったものの、全く視界はなく、池も韓国岳も見えず、池に降りる道も分らなかった。それらしき道を見付け、進んだものの、雪に覆われ、膝までズボッ!と入り、それ以上歩けなく、進んでも相当な時間が掛かりそうだった。他の道を探して、今度は池を1周する道に行ったが、どうも降りる道はなさそう。右往左往しているうちに時間だけがたっていくので、妹の主人が行った事があると聞いていたので、連絡を取ると、向こうも雪で、東京で震えていて、池に降りたことは無いとの返事しか返ってこなかった。

そうするうちにノワタリさんが沢を見つけた。危ないけれどもうここしかなく、意を決して降りることにした。飛び出している木の枝、根っこに伝わりながら、慎重におそるおそる降りた。お二人は軍手を持っていたが1番寒がりの私は無かったので片方づつ頂いて降りた。やっとの思いで池の縁に立ち、御幣をつけた榊を立て、紙コップや皿にお供えを供え、ノワタリさんの歌が始まった。私達は池に向かって花を投げ入れ、お清めのお神酒や水、塩をまき、祝詞を唱えた。気が付けば、雪は止み、全く向こう岸どころか何も見えなかったのが、明るくなり、視界が開け池全体の景色が現れた。ザワザワと池の水がざわめいて岸辺に押し寄せてきて、濡れない様に後ろに下がった。後で教えて頂いたが、その時お浪さんである龍神様が池の真ん中に上半身を出されたそうである。解らないのが残念!最後に龍神の祝詞を三人で唱え、ご挨拶をして終えた。

又、沢を登り上に上がると、先程とは雰囲気も変わってきて、今度は地元の人と外国人の親子がやって来た。私たちはお仕事だけど、こんな天気によく来る気がするなと正直思った。何度か足を滑らせたり、転んだりしながら、まで戻り、宿に向かった。

霧島温泉郷の宿に着いた時はすでに夕方になっていた。靴はグジョグジョで髪の毛は霧氷状態でパリパリになって寒さで震えている私たちを迎えた宿の人は訝しげに「何処に行ってきたのですか?」と尋ね、答えると「何でそんな所に」と言って笑らわれた。

一目散にに入り、体を温めた。夕飯を取る広間は温泉で新年を迎える客でいっぱいであったが、昼間の疲れが出ていたのとおなかが空きすぎていたのか食事は余り進まず、早々に引き上げた。

寝床で紅白を見るつもりで横になったが、三人とも、その年見飽きるほど見たもマツケンサンバしか見ていない。ジャン!と言うイントロで目覚め、終わると直ぐに爆睡してしまった。松平健の笑えばヒビ割れしそうな厚化粧と腰の動きと度派手なセットしか覚えていない。

 

コメント
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