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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

弥山天河神社奥宮 2004年7月

2009-08-23 12:45:56 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

天河神社奥宮

香港から帰った1ヵ月後、今回はノワタリさんと二人で7月18日に天河神社の奥宮である弥山に登った。

ノワタリさんは前年、白山と富士山に登っておられたが、私は15年以上山登りはしていない。不安もあり、天川村の観光課に問い合わせたり、山と渓谷社の「吉野大峯の古道を歩く」という本を買って下調べした。

前日からノワタリさんは橿原に出て宿を取り、私は夜行バスで出て合流した。下市口では中高年の登山者のいくつかのグループが電車から降りた。そこからは昨晩の疲れもあり、タクシーで行者還トンネルの西口まで行った。勾配の結構きつい道を上り、川沿いに集落の点在する里山の風景になった。トンネルを2つ抜けるて、天川村に入った。は川沿いの細い道をずんずん進んで入き、綺麗な渓谷や、砂防ダムとダム湖、キャンプ場を過ぎ、険しい山道を又深く登っていった。下の景色が目に入りだした。レンタカーを借りて、離合するのも厄介な知らない道を走るのも自信がなかったので今回はこれも良かったのかなと思ったった。

着いた時はもうたくさんの車でトンネルの手前の駐車場はいっぱいになっていた。後で調べるとこの時点で1000メートルを超えていた。どうりで遠いはずである。今日は天気もよく、山登りには最適な日だった。

丁度上り口の溝に数本杖になりそうな木の枝が置いてあるのが、目に入った。これは本当に重宝した。要らなくなった人が置いていったのだろう。リュックにいつものごとく、粗塩、水、お神酒は1合の紙パックを10個ほど入れてしばらく平坦な道を行き、川を橋を渡った所から険しい急な上りになった。

山は役場の人の言うとおり、始めはとても急勾配で足元も悪く、木の根が階段のようになっており、木に覆われて景色も全く見えない道を這うようにして上がった。登山靴でなかった私は、数回転んだ。大峯奥駈道に合流した所で休憩し、其処からは山の尾根伝いに平坦な道の森の中を歩いたので楽で、緑が綺麗だった。

大きな岩が点在し、何か獣がでてきそうだったが、連休だったので登山者は多く寂しくはなかった。

そのうち急勾配の道になり、結構キツイので時々休んだが、下山する人に「もう少しで山小屋ですよ。」と教えてもらい、3時間半くらいで弥山の山小屋に着いた。

他の人達は大峰山最高峰の八経ヶ岳に行ったが、私達は一休みして、奥宮に行った。他にお参りをしている人がいなくなるのを待って、お清めをしてノワタリさんは歌を歌いお仕事をしていたら、じっと石の上に腰掛けて待っている1組の中年のご夫婦がいた。その方たちも何かあるらしく、「どうぞお参りしてください。」と声を掛けてもそのまま動かず、お尋ねすると玉置神社のところで書いた浜本末造蔵さんの教えに従い般若心経を境内に埋める為に待っておられた。私達がその教えを知っているのに安心され、目的を果された。その後、ご祭神様にご挨拶をして、私達も見習って今度来るときは、般若心経を写経して持参しましょうと言って下山した。

リュックも空になり、帰りは楽だったが、がない事に気付いた。タクシーを呼ぶにもは圏外で使えず、ちょっと厚かましいけれど、同じように下山している人に声を掛けて、乗せてもらう事にした。

 小学生の女の子を連れた30代の親子の方に乗せて頂た。ご親切に自分の行く方向と違うのに足を伸ばして、川合から神社のある道まで連れて行ってもらった。本当にありがとうございます。

もう夕方近かったので、途中で降り天の川沿いを歩いていると、川原でキャンプしている人や水遊びをしている人たちを見かけた。

天河神社近くの民宿にその晩は泊めて頂いた。何か行事があるらしく、ネットで予約した民宿は満室という事で、その親戚の民宿に案内された。

宿のおばあちゃんに言われ、天の川温泉に夕飯前に出かけたら、また、山でであったご夫婦と一緒になった。車で山口県から来られたそうである。お風呂は混んでおりしばらく、ロビーで休んでから温泉に入った。露天もあり、人が多く洗い場が空くのを待っていたら、背中や腿や二の腕に刺青のある30代くらいの人たち5,6人が入ったとたん、風呂場はごっそり人がいなくなって、静になった。あんなに背中一面観音様を彫るなんて、綺麗と言うより、痛そう...

坂口さんという民宿で、おじいちゃんとおばあちゃんにおいしい家庭料理と珍しい柿の葉すしを夕食に頂いた。2階の立派な床の間のある2間続きの和室を使わせていただき、かえってこちらのほうが静で良かった。カナカナ蝉がなき、窓を開けると谷内六郎の絵の世界のような郷愁を誘う風景だった。