Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2009年4月大阪

2011-06-16 23:42:07 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

この旅から2009年に移る。その前に私は参加しなかったが、9月に5月の青森行きのの雑誌の中にあったその年サミットのある洞爺湖周辺とその中にある観音島と札幌の神社へ行かれた。この分を含めてノワタリさんは北海道の沿岸と離島、大雪山と行かれたが、一度も私は参加する事が無く、北海道とは縁がないらしい。

4月の初旬大阪の叔母からがあり、今となっては何を相談されたかも覚えていない。しかし、ノワタリさんに連絡している時にその町周辺は古墳が多い事を伝えた。「他にありませんか?行きたいと思いますから、調べてください。」と言われた。

驚いた事にその町に源義家の墓が在る事が分かった。源氏と言えば東国のイメージがあり以外だった。元々は河内源氏だと言う。京都に朝廷があったので考えてみれば、不思議ではない。

大阪の古墳の資料を送り、その中で行く所を幾つか決めた。しかし、ノワタリさんは「茶臼山」と言う地名が引っかかる。しかし、茶臼山古墳と出ていたのは「茨城市の大田茶臼山古墳で方向違いで行けれない」と伝えた。

数日して、真田幸村が鎧姿で現れたと言うので、調べてみると、無くなったのは天王寺公園内の茶臼山だった。それで其処へも行かなければならないと言われた。

4月25日関東から出てきたノワタリさんと横浜の叔母、宮崎からやってきた妹と新大阪で合流し、叔父が迎えに来た。みんなが一緒に乗れるを借りるように頼んでいたのに、聞かず大阪の叔母はちゃっかりしているので友人のとマイカーにしてしまい2台で分散する事になった。

まず最初に橿原神宮へご挨拶から始まった。私の運転するには二人の叔母が乗り込み、にぎやかっだった。昭和12年生まれの横浜の叔母は幼稚園で習ったと言う「神武天皇は悪者共を退治しに~。」との中で歌ったが、それから先が無い。「それから先は?」と尋ねると覚えていないと言う。そして「小学校へ上がったら教壇の上に飾られている昭和天皇と香淳皇后のお写真に毎朝お辞儀をしてね。」と言った。

応神天皇陵

そして誉田山古墳応神天皇陵へ行った。堀の前でお清めしてノワタリさんは歌われた。其処は綺麗に手入れされ、気持ちが良かった。面積では2位だが、体積では1位だと言う。御陵の大きさはその天皇の権力の強さだろうか。

 

その後、応神天皇の后である仲津姫陵へ行ったが入り口脇にはすぐ民家がある。たぶん其処も元々は陵内ではなかろうかと思った。しかし、周辺を見回せばアップダウンがありノワタリさんはその辺も御付の人の身分の高い人の古墳だと言われた。古墳内に家を建てている人に影響はないのだろうかと気になった。その後、応神天皇の親である仲哀天皇陵へ御陵へ行ったが、それまでの気持ちよさは感じられなかった。此処も近くまで民家が迫っていた。

その後ヤマトタケル命の白鳥陵へお参りした。ノワタリさんは結構長く歌われた。歌声の明るさでで其処の埋葬者の様子が分かる。

どこも叔母の家から近く叔父は「散歩コース」だと言っていた。この町は古墳の中に暮らしていると思った。たぶん、天皇家の古墳は保存されていても、豪族などの小さな古墳は造成され宅地化したのだろう。

 

それからしばらく走り源義家の墓へ向かった。叔父は下見しており、手際良く案内してくれ、麓の畑の入り口に停車して細い山道を上がった。其処はとても寂しいところだった。義家の墓は一際大きかったがその近くに一族の物だろうか墓がいくつもあった。義家の墓の周りをお清召して周り、私達は祝詞や般若心経をあげノワタリは歌われた。そのまま奥の方へ進んで行くとブドウ畑の前に悪法で有名な生類哀れみの令を進言した隆光僧正の墓があった。とても暗く薄気味悪い。

ノワタリさんは「もう300年以上経っているのに人の恨みがすごくて暗いところで苦しんでるからあまり、近づかない方がいいわよ。」と言われ、私達は走ってその場を離れた。それから、河内源氏の菩提寺へ行き、お参りしたが、もう4時を過ぎており、お墓へ行くには適した時間ではない。案の定私一人、ぽつんと系図版を見ていると、「危ない!」と言われ、ノワタリさんに背中を叩かれた。

私に憑こうとしていたらしい。ここでその日は終わり、叔母の案内で夕食でかけると、25年前まで前の家に住んでいた遠縁のセイコちゃんや子供の頃しか会った事が無い従姉妹夫婦と一緒になった。わいわいと盛り上がったが、セイコちゃんの顔は激変して面影は無く、無くなったおばあさんの顔になっていた。おまけに乳がんの後遺症で腕はリンパがたまり太もものような大きさだった。妹と1歳違いだったので仲良くしていたのに妹を避け、様子がおかしい。

おばの家に帰宅した後、ノワタリさんがセイコちゃんの家を霊視したり、心配しておかあさんが持たせた沢山のお守りを効く物とそうでない物をより分け、エネルギーを流してから帰らせた。しかし、婚家の墓も仏壇もほったらかしなので根本的には改善されない。

そう言うことで私達は遅くまでおしゃべりをして過ごした。