Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2009年4月大阪Ⅱ

2011-06-17 21:40:10 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌日の朝、叔母の家の御祓いと清めとなった。私達が休んだ真向かいの部屋は入ると息苦しく、ノワタリさんは「生きたまま埋められた男がいる」と言われた。其処は2階であるが家の向かい側は突然土地の高さが4,5階の高さになっている。たぶん此処も古墳だっただろうと思う。亡くなった主人に殉じて埋められた家来だったのだろうか。

ノワタリさんが歌っている間光ずっと明真言を上げた。なぜか声が男性のように低い声になっていた。其処が治まった後、その部屋の階下にある風呂場やトイレも祓った後盛り塩を置いた。家の周囲も清めた後、仁徳天皇陵へ出かけた。

 陵の前の公園で何か催し物があるらしく人は多かったが、御陵の方はぼつぼつと観光客がいるだけであった。此処はとても気持ちよい。

ノワタリさんが歌われてご挨拶した後、私達に振り返り「仁徳天皇がお姿を現され『この国の行く末を見守っている』と言われた」と言われた。仁徳天皇は色が白く面長なお顔の方であったという。

その後、御陵山古墳へ向かったが下調べしたはずの叔父が民家の立ち並ぶ細く曲がりくねった道に入って行った。あれ???大丈夫なのかしらんと思いながら付いて行った。しかも叔父は33ナンバーで細いにもかかわらずスピードは緩めない。

クランク続きの所で、車を擦り左側にあった車の飾りが外れて落ちた。その塀には沢山の傷跡があった。広い道へ出てから歩いてそれを取りに行ったが5分も経たないのに跡形も無く何も無かった。たぶん家人が再々あるのですぐに片付けたのだろうか。叔父の車は鋲の穴が横一列に開いたままになっていた。

そんな事もあったがどうにか御陵山古墳に着いた。お堀の前でノワタリさんは神事を始めたがなぜか中途半端な終わり方をされた。何があったかははっきり覚えていない。近くの駐車場に入りの方向転換をしようとしたら、運転ミスか?急に暴走し近くにあったに当てないようにハンドルを切ると後部座席で正座していた叔母達は前の背もたれに頭をぶつけ、わめいた。又、私の運転を嫌がる人間が増えた。

この古墳の主は不明であるが、どうも亡くなられ方が良くない。皇族には違いないらしいが殺されたみたいだと後で聞いた。

その後、羽曳野市内のアップダウンのある道を走り、お好み焼き屋さんへ行き、昼食を取った。叔母は食べきれないほど、具材の違うお好み焼きを注文した。確かに大阪のお好み焼きは美味しかったが食べ過ぎて苦しかった。

そして最後の天王寺公園へ電車で向かった。広い公園内を茶臼屋を探して歩いた。堀の向こうに小さな山があった。ここも古墳だった。

真田幸村の亡くなった所だという。其処を清め祝詞や般若心経と光明真言をあげ、ノワタリさんは歌われた。山を下ると六問銭の家紋と最後の経緯が書いてあった。私が子供の頃、まだ映画などで猿飛佐助や霧隠才蔵が大きながまの上に乗り、巻物を口にくわえ忍術を使う映画を見たことを思い出した。実際は多勢に無勢で奮闘し、疲れ休んでいた所を襲われ亡くなった書いてあったように思う。周囲にビルや堀の外に料亭などが見えるこの場所が激戦地だった形跡はそれを記した立看板しか見あたらなかった。

すべて終わると夕方になっていた。近くの近鉄デパートへ行き、みんなでお茶を飲み、私とノワタリさんと横浜の叔母は新大阪へ向かいそこでお別れした。妹は宮崎行きのバスに乗るというので出発まで梅田へ出た。後日、バスの話を聞いて吹きだしてしまった。

近くにとても足の臭い若い男のがいて、耐えれなかったと言う。

 

 

 

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