Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2009年6月お伊勢さんと松尾大社のイワクラ

2011-06-20 22:00:32 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

ノワタリさんの所に以前お参りした松尾大社でお接待をして頂いた女性から、御神体である裏山に入山出来るとのお手紙が届き、其処とお伊勢さんに行く事になった。4月に引き続き、横浜と大阪の叔母が参加、そして妹と姪、チエさんと知り合いのルミエさんの7人で行く事になった。

いつももごとく新大阪で合流し、7人乗れるエステマを借りた。前回で懲りた叔母達は私の運転を嫌い妹に任せたので楽だった。大阪の叔母の案内で名阪国道と伊勢自動車道を進み、伊雑宮からお参りした。

叔母達が参加するととても賑やかだ。家の家系は男はおとなしいが女は例外もあるが姦しい。そこでノワタリさんに気を入れていただく様にお頼みしていたヒスイのブレスを受け取り、其処でもお社の足元に置き気を頂いた。そこでご挨拶して倭姫神社へ向かう。

此処では黒服の一団とであった。何かの教団だろう。中心に女性がいた。その昔、ノワタリさんは倭姫様の側近だったので思いいれも強い。前回も姫様とお話をされていた。

昼近くなっていたがおかげ横町へ行くまで昼食はお預けで外宮へ向かった。

前回2006年1月にお参りした時http://blog.goo.ne.jp/husigi1019/e/33275bd0c8da2c8dfdbcb1eeb7e61fcbの写真はすべてノワタリさんの物だったのと、観光気分の叔母達との雰囲気の性だろうか今回の私の撮った写真はすべて神秘性の欠けらも無く明るい。

外宮をお参りした後もう、内宮近くのおはらい町で買い食いしながら、おかげ横丁の豚捨で遅い昼食を取る。もう3時であった。牛丼やコロッケを頂いた後で、内宮へお参りした。

残念ながら、宇治橋は掛け替えで私達は横の臨時の架橋を渡った。入り口付近にはちょうどこの時期だったので様々な色の花菖蒲が展示されて目を楽しませた。前回と同じようにお参りしていると、ふわぁと白い幕が上がり中が見え、一瞬だが御神酒の良い香りがした。ここでも先程の黒服の一団と出会った。

その後二見興玉神社をお参りし、夫婦岩周辺を歩いた後、その晩の宿の鳥羽の温泉ホテルでくつろいだ。ノワタリさんと初対面だったチエさんやルミエさんはエネルギーを流していただいたり、アドバイスを頂いたりしたが、隣の叔母達の部屋は賑やかだった。

2日目は買い物をした後、又妹の運転で京都へ向かった。

 

上記の写真は前回の2004年の物

高速を使い走るとお昼前に着いた。しかし叔母達の話が面白く、ずっと笑いっぱなしであった。しかし、家の親族の変人達の話であった。

境内ではフリーマッケットが開かれていて人が多かった。

お社をみんなでお参りした後、近くのおそばやさんで昼食を取り、叔母二人と姪は嵯峨野へ観光に行き、私達は裏山のイワクラへ向かった。

受付で登拝受付料を払い、お払いをうけ、小忌衣と案内書と登拝記録簿を貰い入山口の鳥居をくぐった。みんな手分けしてお清の御神酒や塩、水を持ち、滝の横を登り、だんだんきつく細い道なった。撮影禁止なので私は写真は撮っていない。途中平らな道になった所で京都の町が一望できる所があり見晴らし台でになっていた。そこで休憩し、かわらけ投げができるようになっていた。

その後いっそう険しくなり登っていると鳥居があったのでもう近いとみんな元気になった。片道20~30分だというが結構ある。この道は神職の方達が作られたと言う。

頂上近くの大きな壁のような岩がイワクラだった。その前は木が無く台座のような石が置いてあった。そこで私達はお清めして祈った。ノワタリさんは歌われていた。最後に私達の方へ向き、お言葉を頂いたと言われた。それは私達に楼をねぎらうお言葉だった。

下山した後、渡月橋の近くで叔母達を拾いお茶を飲む間も無く京都駅へ向かったが、道を一筋間違うと細い道になってしまい心細い思いをした。姪はちゃっかりと叔母に人力車に乗せてもらい、嵐山と嵯峨野一帯を観光して甘味処に寄り、土産を買っていた。叔母は私達皆にも土産を用意していてくれた。一切土産を買っていない私は大いに助かった。

京都駅で関東へ帰るノワタリさん達と別れ私達は伊丹空港へ走った。前回バスで足の臭いに苦しんだ妹も今回はだったのでずっと運転してもらった。そこで夕飯を取り、別れた。

 すっかり、忘れていたが広隆寺の阿弥陀如来像を見に行った。その時、如来様はこの時勢を嘆かれてそういうお言葉をノワタリさんに言われた。

コメント
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