業務日誌

許せないヤツがいる 許せないことがある
だから倒れても倒れても立ち上がる立ち上がる
あいつの名はケアマネージャー

インシデントアクシデント 途中経過

2008年09月04日 | 業務日誌
※ なんだこの祭り。


ひがし居介の『インシデントアクシデント報告マニュアル』まだ出来ていません。
主任のカニちゃんは、ケアマネ全員が提出したレポートについて1度全員で話し合い、それから決めるつもりなのだそうです。
1番難しいのは、個々のケアマネさんが
「これはまだインシデント」
「これはもうアクシデント」
と考えている事例についての『摺り合わせ』だと、カニちゃんは言ってます。
そこは全員で話し合わないと、のちのち
「こんなことがなぜアクシデントの扱いになるんだ!」
などと揉め事になりかねないから。

アイリン女史とは表面上なにごともなくやっております。
しかし、彼女が私に対して感情的になっているのがヒシヒシ伝わってくるし、私もそれを感じ取っていることを隠せずにいます。
一昨日、アイリン女史の担当する利用者さんが、併設のひがしデイケアで帰りの送迎時にふらつき、自宅前で転倒してしまうという事故があり、そのことについてのアクシデントレポートが出ました。
私は安全対策委員なので、レポートが出たことを知っていました。
で、翌日デイケアのナースからアイリン女史に口頭で報告がありまして、そんときナースが
「○○さん(転倒した利用者)は、普段から少しふらふらしていた」
という内容のハナシがあって、それを聞いたアイリンさんが私たちケアマネの前で

「普段からふらふらしていたことを知っていたのなら注意出来たはずでしょうに、結局事故になるわけね。いくらレポートを書くようにしていたとしても、まったく活かされていないことがわかるわよね。」

と(怒り気味に)言ってました。

女史の怒りはもっともですし、当然だと思います。
インシデント・アクシデントレポートは出すだけでは意味がない。
それについては私も女史も同じことを考えていると思います。
ただ、今この居介でやろうとしているのは、レポートを出すことを義務づけることではないんです。
そこのところがまだアイリン女史に伝わっていないのだろうなと思いました。

私は、ナニゲにアイリン女史に
「(この事故の)アクシデントレポートがもう出ていますよ」
と教えました。
アイリン女史が、その人がどんな状況で転倒したのか、きちんと知りたいだろうと思ったからです。
そしたらアイリン女史がなぜか私に腹を立てたらしく、お昼休みに
「だからなんだっていうの」
みたいなことを言われてしまいました。
いくら私が
「いえ、他意はありません。ただアイリン女史はそのレポートを読んだほうがいいだろうと思ったので教えただけですが。」
と説明しても、なんていうか、女史の前には女史自身が築いた、私に対する厚い壁みたいなものがあって、何を言っても挑戦的な言葉しか跳ね返ってこない。

そこで私は、もう彼女とこのトピックについて話し合うことをやめようと思いました。
こりゃもう、インシデントとかアクシデントとかの問題ではなく、私と彼女の問題にすり替わってしまってるなと思ったから。


利用者や家族と話しているとき、ときどき同じように感じることがあります。
相手と自分の間に、厚い高い堅い壁があるって。
何を話しても
「こいつ聞いてないな」
と思ったり、自分ではうまく説明出来たなと思っても
「結局これこれがこうこうってことね?」
と締めくくられて
「ぜんぜんちげー」
とガックリする。
あきらめたほうがいいと思うこともある。
どうせまともにハナシも出来ないから、ケアマネとして必要最小限の仕事(連絡調整給付管理)をすることに徹しようと思いなおしたりする。

でも-----------------------

「話にならん」
とコミュニケーションを放棄するのは、相手に対してものすごく失礼なことなんですよね。

家族やトモダチならそれでいいのかもしれない。いつかは分かり合えるだろうなんて期待を持ってもいい間柄だから。

話し方ややり方を変えればいいかも、とか、時間がたてばまた違った結果も出るだろう、とか、そゆーのを見つけ出していくのがコミュニケーションスキルかなと思ったりする。
と思ってやった結果うまくいかなくても、最低限これだけ伝わったからいいか、とか、こっちが頑張ってやってたことだけでもわかってくれたからいいか、とか、納得していくのも技術なのかなと。

自分の言いたいことをわかってくれないから、ってことで相手との関係が終わるのはトモダチやレンアイの範疇。
クライアントやチームの関係でそれをやってしまうといけないんだろうなあ。

ケアマネは神ではないし、利用者の身内でもない。
というより、そもそもそんなことを求められるべき仕事じゃないんですよね。
プロのケアマネというのはどんな人のことをいうんでしょうか。

利用者に接するのも、仕事仲間に対するのも同じような技術がいる。
「いい人」である必要性はまったく感じませんが、「プロ」でありたいと切実に思います。
で、ハリケンの理想は「葬儀屋さん」です。
必要に応じて悲しそうに、神妙になれて、その場の雰囲気を決して壊さない。
結局人というのは、本人にわかりさえしなければ心の中で何を思ってもいいんですよね(なんつーオチ)。