Takekida's log

千里の道も一歩から

六人いた写楽

2014-02-15 23:51:44 | Books
今週は金曜日に天気崩れ電車+走通勤に変更。
どうも太平洋側の大雪パターンは雪の質も悪く雪>雨パターンなので雪質もいまいちです。
去年はこのパターンでの積雪はあまりなかったように記憶していますが…
名古屋ではさほど積雪は無く目立った被害ありませんでした。むしろ南側の伊勢の付近では列車止まったりした様子です。

六人いた! 写楽 ~歌麿と蔦屋がプロデュースした浮世絵軍団 (宝島社新書)
クリエーター情報なし
宝島社


良く名前を知られた浮世絵画家でありながら謎に包まれた存在の東洲斎写楽。 今の通説は「浮世絵類考」の文献に記された能役者である斉藤十兵衛となっていますがその通説に対して異論を唱え六人が写楽という名前で絵を描いたのではないかという説を唱えた本です。浮世絵として有名なのが歌舞伎の役者絵と風景画。風景画は北斎の作品が有名ですが役者絵で写楽の作品を見たことがないという人はほとんどないといってもいいぐらいのものです。写楽の版元は蔦屋重三郎で喜多川歌麿、十返舎一九などの有名どころを輩出しているところで蔦屋が亡くなる3年前(1974年5月)一挙、28点の作品を発表し、その後 数か月単位で作品を公表しており最終的には1975年2月の発表で写楽の名前での発表は終了。この間作品百数十点に登ります。斉藤十兵衛が作者であるというのが怪しい理由としてアマチュアの画家でありながらこの短い区間での大量の作品を残したことが挙げられており、その作風から蔦屋の元に6人が名前だけを引き継いで作品を残したのではないかというのが筆者の説です。
第1代 歌麿の女弟子 千代女
第2代 蔦屋重三郎  版元
第3代 栄松斎長喜
第4代 斉藤十兵衛
第5代 山東京伝
第6代 十返舎一九
ということで本当化は誰もわかりませんが蔦屋の元にこれだけの人数がかかわって写楽の名を継承したのではないかというのがこの本での説です。確かにこの1年も満たない間にこれだけの作品というのは一人ではありえないことでしょう。
それにしても作品が語ってくれる過去というのは不思議なものです。こんな作品さえ残されていなければ悩むこともなかったわけで蔦屋氏も種明かしをどこかでしていれば推理もなかったことでしょうし… ただいくら作者こそ変われども歌麿作品の素晴らしさは変わらないというのは事実です。
やっぱ日本画は立体感なくヘタウマの領域なのですがこの感覚が魅力です。


 
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