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国難打破から、いざ、未来創造へ

アエラに野田秀樹氏が抗議 アエラ誌面上で

2011年03月29日 | ニュース・報道
<ひつまぶし>野田秀樹
──突然ですが、最終回です。──


(AERA 2011.4.4号)

突然ですが、最終回です。
先週号のアエラの表紙を見て私は愕然とした。
「放射能がくる」という大きな赤い文字が、防毒マスクのようなものを被った男
性の大写しの顔の上で躍っている。

たった一言でも重いコトバがある、と私は信じる。
15万部という発行部数の雑誌が、そのコトバの重みを知らないはずはない。

アエラの編集部に伺いたい。
「放射能がくる」には、どんな願いが込められていたのですか?
これから大量の放射能が来て欲しいのですか?
来た時に「ほらね、俺の言った通りだろう」と言いたいのでしょうか?
もしもそうではない、というのであれば、ただでさえ放射能のことでドキドキし
ている何も知らない人々が、ただただ煽られるコトバのように聞こえます。
これは、私との語感の違いなのでしょうか?
この表紙を見た人が一体どういうメッセージを受け取ればいいのですか?

まず、どこに放射能が来るのか、表紙をめくった目次にはっきりと「東京に放射
能がくる」と書かれている。そして「最悪なら『チェルノブイリ』」という脅し
文句が続く。

つまり、「東京から逃げ出せ!」というメッセージなのか?
ガソリンを買いだめして脱出する準備をせよ、という風に受け取ったとしても仕
方ない。アエラは、それほどの事態だと大きな赤文字で私たちに呼びかけたわけ
だから。

 エラがフィクション雑誌なのならばいい。こんな時に「放射能がくる」という
恐怖を煽る小説を掲載しても。だが、アエラは小説雑誌ではない。事実を元にし
て記事が書かれているものだと信じる。信じていた。

だから、その誌面に、私はだらしないエッセイを書いてきた。
事実を読むというのは疲労するものだから、その箸休めになればと「ひつまぶし」
で暇をつぶしてもらおうと思っていた。

だが先週号の記事は立場が逆転している。私のほうが事実を述べようとしている。
私は「東京はまだ放射能がきたというレベルではない。冷静になって、罹災地で
ある東北を、福島を支援すべきだ」という趣旨のことを書いた。だがアエラ本体
が、「東京に放射能がくる」という。しかも最悪の事態はチェルノブイリなのだ
と断言までして。

だが、本文をどこからどう読んでも、その根拠がよくわからない、数字でも示さ
れていない、一体どんな根拠で、あの表紙が物語っているほどのレベルの放射能
が、現時点で東京にくるのか、そそいて、最悪の事態がチェルノブイリ──なの
か、教えて欲しい。

おそらく私は、この原発事故をアエラほどに軽く考えていない。
今、起こっていることは、ふだんマスメディアが、面白半分で人々を煽るような
次元のこととは違うと思っている。

これからの日本の経済、文化、社会すべての将来に関わる大事だと思っている。
だからこそ、まずは福島の現地が問題なのである。放射能がこのまま少しでもお
さまり、福島や茨城への被害が最小限におさまっていくことを祈るべきだし、そ
の方向にむかって、東京も最大限の支援をするべきだ。

東京に危険がないとは思っていない。でも、今は東京がじたばたする時ではない。
危機にある時、その危機を煽っても、その危険はなくならない。危険を出来るだ
け正確な情報でそのまま伝えること。これがまっとうなマスメディアのやることだ。
その意味で、まっとうなマスメディアが近頃減ってきたことは、重々承知してい
たはずだった。だが自分が毎週連載をさせてもらっているアエラが、まさか、よ
り刺激的なコピーを表紙に使い、人々を煽る雑誌だったとは気がつかないでいた。

誰に謝ればいいのかわからないが、申し訳ない。
故に、この回をもって、この「ひつまぶし」を終了させていただくことにした。
長らく、この「ひつまぶし」を御愛読してくださった読者には、心から感謝をし
ています。身勝手なモノカキのわがままではありますが、先週号の表紙を見て、
直感的に覚えた、このアエラの「現実」に対する姿勢への不安が消えません。

アエラという雑誌は何を目指しているのですか?
フィクションですか?
それともノンフィクションですか?

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