言わずもがな「俳句」というのは、五七五の音からなり、季語を取り入れて詠まれるものです。
俳句を考えるときには、五七五の音の制約のなかで、心情や事象を詠うことになる。
3、4年前くらいからでしょうか。私もときどき俳句を詠むようになりました。
ここ数日のような夏の暑い時期を除いて、私は徒歩で出勤しています。
そうすると、色々なものが目に入ったり、聞こえたりする。
広い野を雉がゆっくり歩く。
アオサギが大きな羽を広げて空を舞う。
田んぼに水が入って、その下を無数のおたまじゃくしが泳ぐ。
ころころとかわいらしい田螺もある。
木工工場の前を通ると、ぷうんと濃厚な木の香りがする。
…こうしたものは、ただそれだけで終わってしまうのだけれど、何か俳句をでも作ってやろうと思ってみると、ふだん気がつかなかったようなことに気づいて、普段とは違うカメラで物事を見ようと意識が働く。
それがとても面白いのです。
何も立派な句を詠んでやろうという気はさらさらなく、ただ興味のおもむくままに。
ちょっと恥ずかしいのですが、6月に栃木県の黒羽へ紫陽花を観に行った時の句。
空堀を 青に染めたり 手鞠花
紫陽花に 孫よりはしゃぐ 祖母の声
薫風に ぬめりも乾く 五峰の湯
自分でも俳句を詠み出すと、芭蕉の凄さが身に染みてわかる気がする(笑)
俳句を考えるときには、五七五の音の制約のなかで、心情や事象を詠うことになる。
3、4年前くらいからでしょうか。私もときどき俳句を詠むようになりました。
ここ数日のような夏の暑い時期を除いて、私は徒歩で出勤しています。
そうすると、色々なものが目に入ったり、聞こえたりする。
広い野を雉がゆっくり歩く。
アオサギが大きな羽を広げて空を舞う。
田んぼに水が入って、その下を無数のおたまじゃくしが泳ぐ。
ころころとかわいらしい田螺もある。
木工工場の前を通ると、ぷうんと濃厚な木の香りがする。
…こうしたものは、ただそれだけで終わってしまうのだけれど、何か俳句をでも作ってやろうと思ってみると、ふだん気がつかなかったようなことに気づいて、普段とは違うカメラで物事を見ようと意識が働く。
それがとても面白いのです。
何も立派な句を詠んでやろうという気はさらさらなく、ただ興味のおもむくままに。
ちょっと恥ずかしいのですが、6月に栃木県の黒羽へ紫陽花を観に行った時の句。
空堀を 青に染めたり 手鞠花
紫陽花に 孫よりはしゃぐ 祖母の声
薫風に ぬめりも乾く 五峰の湯
自分でも俳句を詠み出すと、芭蕉の凄さが身に染みてわかる気がする(笑)
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