ときどき、どう捉えていいのかわからない絵に出くわすことがある。栃木県の宇都宮美術館で見たメスキータの絵が、まさにそういう性質のものであった。
メスキータは、19世紀末から20世紀初頭のオランダで活躍した作家で、1944年にアウシュビッツ強制収容所で亡くなった。展覧会は、彼の木版を中心に紹介している。日本で木版、といえば、まず浮世絵があるし、メスキータと同時代なら新版画や創作版画があった。そういうものを頭で思い浮かべながら、楽しませてもらおうと思ったのだが、これが見事に失敗した。なぜなら、日本の版画を見る際の私の基準が全く当てはまらなかったからである。例えば、主題の扱いはどうか、彫りの巧みさはどうか、摺りの技術はどうか、そういう見方があまり通用しなかった。そもそも、この多くの絵を木版で表現しなければならない理由がどこにあるのか、という根本的なところまで考えたが、結局わからずに会場を後にした。
こうして家に帰り、メスキータ展のチラシを逆さにしたり、横にしたりしてみたが、一向にわからない。ただ、絵の残像だけが妙に頭に残っている。人間というのは面白いもので、物事に合点しなかったときのほうが気になるのかもしれない。気が付けば、この数日間、寝ても覚めてもメスキータのことばかり考えている。私に相当なインパクトを与えたことは間違いない。
メスキータは、19世紀末から20世紀初頭のオランダで活躍した作家で、1944年にアウシュビッツ強制収容所で亡くなった。展覧会は、彼の木版を中心に紹介している。日本で木版、といえば、まず浮世絵があるし、メスキータと同時代なら新版画や創作版画があった。そういうものを頭で思い浮かべながら、楽しませてもらおうと思ったのだが、これが見事に失敗した。なぜなら、日本の版画を見る際の私の基準が全く当てはまらなかったからである。例えば、主題の扱いはどうか、彫りの巧みさはどうか、摺りの技術はどうか、そういう見方があまり通用しなかった。そもそも、この多くの絵を木版で表現しなければならない理由がどこにあるのか、という根本的なところまで考えたが、結局わからずに会場を後にした。
こうして家に帰り、メスキータ展のチラシを逆さにしたり、横にしたりしてみたが、一向にわからない。ただ、絵の残像だけが妙に頭に残っている。人間というのは面白いもので、物事に合点しなかったときのほうが気になるのかもしれない。気が付けば、この数日間、寝ても覚めてもメスキータのことばかり考えている。私に相当なインパクトを与えたことは間違いない。
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