ひょんなことから、久し振りに講座の講師を務めることになりました。講座の内容は、ある江戸時代の絵師について述べること。私の専門からはまったく外れているのですが、美術系ならとりあえずできるだろうと依頼された次第です。
まず、日本史及び美術史の年表をひっくり返して、その絵師の生きていた時代を追っていく。次に評伝(戦後すぐに書かれたもの一冊しかない)を紐解いて、参考文献を頼りに絵師の作品や資料にあたる。ところが、もちろんのこと、すでに60年前近くに書かれた内容なので、かつての所蔵者はすでに亡くなっていたり、変わっていたりして、個人所有の作品や資料自体は所在不明がほとんど。けれど、幸いなことに、私はその絵師の作品を所蔵する博物館や美術館で実物を何度か観たことが有るので、その印象を受講者には伝えることができそうです。
もっと深く調べたいのですが、難関がひとつ。それは漢文のこと。絵師の作品の多くには漢文による賛があり、詩画一体とする南画の作品を解釈する上で内容を理解することは必須。けれど、その漢文がなかなか読めない…。これはひとつの語学を学ぶようなものですから、なかなかどうして手強いのです。
詩も画もどちらも解釈しなければならない…想像以上に大きな山に取り組んでいる気がしています。
まず、日本史及び美術史の年表をひっくり返して、その絵師の生きていた時代を追っていく。次に評伝(戦後すぐに書かれたもの一冊しかない)を紐解いて、参考文献を頼りに絵師の作品や資料にあたる。ところが、もちろんのこと、すでに60年前近くに書かれた内容なので、かつての所蔵者はすでに亡くなっていたり、変わっていたりして、個人所有の作品や資料自体は所在不明がほとんど。けれど、幸いなことに、私はその絵師の作品を所蔵する博物館や美術館で実物を何度か観たことが有るので、その印象を受講者には伝えることができそうです。
もっと深く調べたいのですが、難関がひとつ。それは漢文のこと。絵師の作品の多くには漢文による賛があり、詩画一体とする南画の作品を解釈する上で内容を理解することは必須。けれど、その漢文がなかなか読めない…。これはひとつの語学を学ぶようなものですから、なかなかどうして手強いのです。
詩も画もどちらも解釈しなければならない…想像以上に大きな山に取り組んでいる気がしています。
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