『幸福は、待てば家路の日和あり』
<幸福とイエローの色彩的な関係> 細越麟太郎(映画評論家)
ひとの帰りを待つということは、愛の重大な課題だが、むしろ多くの戦争で家族に課せられた愛情の
テーマだった。あの『哀愁』(40)では駅で恋する将校の帰りを待つ踊り子ヴィヴィアン・リーの人生の
夢は、非情な母親の誤報によって一変した。
しかし我々は彼女が<待っていた>ことを知っているので、その愛の無情に感動し涙した。
名作『かくも長き不在』(60)では、待ち続けた妻のところに戻った夫は戦傷で記憶を喪失していた。
『第三の男』(49)の墓場でのラストシーンで、男はじっと女性が長い道を歩いてくるのを待つ。これ
も愛情表現なのだが、彼女は平然と彼の前を歩き去る。彼女は死んだ第三の男を愛していたからだ。
その点では『HACHI/約束の犬』(08)の場合は、人間よりも忠実無垢な老犬が、主人の死も知らない
で、いやもしかしたら知っていたのに、あの雪の降る駅前で待ち続けるという無償の献身に涙が出たのだ。
「絶対に死なないでください。いつまでも帰りを待っています」と高倉健に言ったのは『昭和残侠伝/死ん
で貰います」(73)の藤純子だったが、任侠映画では定番のシーン。こうして昔の女性はいつまでも愛する
男の帰りを待つことで、相手への愛情の深さを伝えたが、しかし長い空白のあとに出獄した男には、むかしの
愛の確証に自信はない。とくにストイックな男たちの話である。
だから人は<待ち続ける>という忍耐には不安を持つ。愛情とは忍耐のこと。不変のもの。しかしそれは判
りきった美談。長過ぎる空白には不安も生まれて当然だ。現実には愛にも賞味期限はある。
絶対に愛は不変だと論じるのは、ロマンティックすぎる詩人だけだろう。
ピート・ハミルの原作は、この<待つこと>への不安をベースにしている。負い目の犯罪を犯した上に、長い
投獄の間にふたりの愛情は色あせて消滅したのではないか、というマイナーな責任感だ。
この失われた勇気を元気づけたのが、ふたりの若者の支えだった。
<勇気><知性>そして<ハート>は、人間の健全な人格の支えなのだが、その三つの原則をハミルの原作は
ロードムービーの形で感動的に書き分けてくれた。しかしこれはアメリカの伝説的な教訓でもある。
お気づきの事だろう。
このストーリーは、L・フランク・ポームの原作で、ジュディ・ガーランドが<オーバー・ザ・レインボー>
を唄ったあの名作『オズの魔法使い』(39)の現代への伝承なのだ。
妻の待つ家路への旅。その道連れのパートナーとなった若者は、彼らも未熟で心に隙間のあるふたりだった。
青年には思慮という基本的な<知性>が欠けていた。若い女性には家族への温かい<ハート>が欠けていた。
そして出獄した男には妻の待つ家に帰る<勇気>が欠けていた。
この三人が旅をする道は、あの名作で少女ドロシーがライオンやブリキ人形と歩いた<イエロー・ブリック・
ロード>であった。その黄色いレンガの道を辿れば、必ず幸福な<ホーム>に帰られる。
エルトン・ジョンも唄ったように、イエロー・ブリック・ロードは幸福なホームへの帰路なのだ。
アメリカでは、聖書の次に読まれている家庭の法典であって、この原作を知らない子供はいないという。それ
だけ有名な人間形成の教科書であって、マイケル・ジャクソンの『ウィズ』(78)でもニューヨークの道路を
イエローに塗り替え、ミュージカルにリメイクされた。
つまり<幸福のイエロー・ブリック・ロード>へ向かう心の支えとして、道路のセンターラインも、すべての
スクールバスも、イエロー・キャブ・タクシーもイエローに塗られているのである。
だから、家の近くに黄色い目印のハンカチを掲げるのは、当然の幸福へのサインなのであった。
現在、またこの『オズの魔法使い』は3D大作としてハリウッドではリメイクされるという。
デ ィ ー プ ス ロ ー トって凄すぎ・・・!!
マジでテ ィ ム コまで飲まれてるのかと思ったぞwwww
こんな経験したらもう普通のフ ェ ラじゃ満足できないって!!(*゜∀゜)=3
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