hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

足利市逍遥②〜足利学校

2021-08-21 05:00:00 | 旅行
織姫神社の後は足利学校に足を伸ばす。足利学校は社会の授業で日本最古の学校という知識を持っているのみ。

入口から入るとまずは『入徳』と書かれた門をくぐる。中に入り、入場料を支払ってまずは詳細のわかるビデオを見る。それによると創建は奈良時代の國學の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼(尊氏の父)説など諸説あるが、分かっていない。

歴史の表舞台に出たのは室町時代に上杉憲実が国宝に指定された書籍を寄進し、庠主制度を設け、学校を再興した頃である。フランシスコザビエルが世界に紹介するなど名は知れ渡り、江戸時代にも僧や文人などを受け入れるなど権威を守ってきた。

いよいよ学校の敷地内に入るが、入口の門の額には『学校』と書かれている。これも1668年のもの。



中に入り正面には孔子廟、四代将軍徳川家綱の際に造営されたもので、納められている孔子像は日本で最も古いと言われている。



左手は図書館、これは明治となり廃校になったのち、1903年に蔵書を承継するために作られたもの。

左手には茅葺の方丈、庫裏、書院など本部機能が置かれた建物となっていてこの中で講義や学習が行われた学校の中心。前には南庭園、方丈の裏には北庭園が広がる。他にも衆寮、木小屋、土蔵などがある。



学校の周りには堀が張り巡らされ、城のような雰囲気もある。



これをぐるりと見学したが、2年ほど前に行った松下村塾などに比べて規模の大きさ、国により作られたものの大きさなどを感じた。

おあしすばー×虎武〜人形町ランチグルメ

2021-08-20 05:00:00 | グルメ
最近は昼間はレストランやラーメン屋、夜はダイニングバーと言った『二毛作』店が増えてきたが、これが緊急事態宣言下では返って昼間の営業により穴埋めできると重宝がられていることも多い。

人形町通りから少し入ったところに『貝出汁ラーメン』という提灯を見つけたが、ラーメン屋風の店はない。階段を上がるとラーメンの文字はあるが、どう見てもダイニングバー。

しかし、思い切って店に入ると券売機が置いてあり、貝出汁ラーメンとある。塩味と醤油味がある(いずれも850円)が、貝出汁なら塩味と食券を購入。



カウンターに座ると店の人に麺の太さを聞かれて細麺とした。店の名前は『おあしすばー』だが、虎ノ門にある『虎武』というラーメン店とコラボして営業している。

店内には6人先客がいて繁盛している。少し待つとラーメン登場。透明感のあるスープにほうれん草、2種類のチャーシュー、白髪ネギ、レンゲには赤タマネギの刻んだものが乗っていて柚子胡椒が付いてくる。

まずはスープ、貝の出汁がよく出ているが塩辛さはない優しい味。麺は細麺の縮れ麺、スープがよく絡む。単調になりがちだが、貝の旨味なのか、飽きがくることはない。

チャーシューは豚バラと肩ロースが一枚ずつ、ホロっとほぐれる肩ロース、しっかりと脂の旨味がある豚バラ肉、いずれも美味かった。ただ、個人的には貝出汁ならば鶏チャーシューの方がバランスが良い気もするが。

それはともかく全体的にはバランスもよく、美味しかった。ご馳走さまでした。

おあしすばー
中央区日本橋人形町2ー2ー4 2階
0356408140

足利市逍遥①

2021-08-19 05:00:00 | 旅行
『渡良瀬橋』に登場する『電話ボックス』を訪問した帰り道、近くを通ってきた『織姫神社』に参拝することにした。

中央通りに並行する道を歩くと道の向こうに不思議な屋根の形をした建物を発見。近くまで行くと函館のハリストス協会と似たフォルムだが、やはり足利ハリストス正教会の主の昇天聖堂だった。



隣にはさいこうふれあいセンター、これは以前は西小学校の跡を再開発したものだが、校庭の中心には一本大きな木があり、また、通り沿いには二宮金次郎の像も残されていた。



足利市は神社や寺が至る所にある。織姫神社に向かう途中にも弁天様をお祀りした長谷弁天厳島神社の脇を通過する。



足利織姫神社の下まで到着したが、社殿までは男坂を通ると229段の石段を登らなくてはならない。覚悟を決めて登り始めると雨もまた降り出す。半分登ったあたりには創造の広場があり、足利氏の石碑などがある。

気を取り直してあと120段を登ると視界が開けて赤で塗られた社殿が出て来る。今更、縁結びでもないが、お参りする。それにしても本殿からの足利市の眺めは最高で先程通ってきた渡良瀬橋もよく見える。




足利織姫神社の由緒は1705年に足利氏が守護神として伊勢神宮より二社の神を勧請したもので1879年に社殿を建造するものの、翌年の消失。1937年に現在の社殿が完成したもの。このため、階段の手すりがいざというときは消火管として使えるようになっている。

帰りは女坂、こちらは7色の鳥居が並んでいてカラフルで面白い。雨ではあるが、参詣の人とは何人もすれ違うことができた。






虎ノ門砂場(仮店舗)〜虎ノ門ランチグルメ

2021-08-18 05:00:00 | グルメ
虎ノ門砂場というと創業明治5年の蕎麦好きにはかなり名が知れた老舗である。しかも虎ノ門ヒルズの並びにあるにも関わらず未だに木造2階(1923年築)のクラシカルな建物で営業、道路拡張に伴い挽き家工法で少し後ろに動かすことも話題になっている。

現在は地下鉄虎ノ門駅近くの仮店舗(と言ってもビルの1、2階を使った立派なもの)で盛業中である。

12時45分に入店したため、ほぼ満員だったが次々に席を立っていくタイミングのため、すぐに席に案内された。



メニューは相変わらずたくさんあり、今回はセットメニューをチェック、最初に目に飛び込んだのは『烏賊と長ネギのかき揚げ丼+半もりそば』(1100円)だったが、これは売切れ。そこで『豆腐カツ丼+半もりそば』(1000円)にする。



お客さんはどんどん帰るため、大して待たされず注文したセットは到着。まずは半もりそばから頂く。

この店のもりそばは何回も食べてよく知っているが、蕎麦粉10:小麦粉2の配合で作られた蕎麦は天下一品、やや甘めの蕎麦つゆに入れたワサビが良く効く。




蕎麦を食べ終わり、蕎麦湯を一口。いよいよ、未体験の豆腐カツ丼に移る。見た目はカツ丼そのものだが、カツはもちろんあっさりとしている。やや薄味は丼には頼りないが、周りがカリッとして中が柔らかい豆腐カツはなかなか面白い食感である。

七味を掛けて頂くが、私にはご飯がやや多すぎる。しかし、老舗の1000円で頂くセットとしては充分。目の前で紳士が食べていた芝エビのかき揚げせいろも美味そうだったが。ご馳走さまでした。



大阪屋 砂場本店(虎ノ門砂場)
港区西新橋1ー10ー1
0335019661

名曲『渡良瀬橋』のふるさと足利市を歩く②

2021-08-17 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その107。渡良瀬橋の続き。歌詞には『八雲神社にお参りするとあなたのこと祈るの』というフレーズがある。ところがなぜか足利市にはいくつもの『八雲神社』があるのである。


渡良瀬橋から伸びる道を歩くとJR両毛線の踏切がある。この辺りには古くからの建物がいくつも残されていてついついそちらに目が行ってしまう。



中央通りを左折してすぐのところに古い神社を発見。入口に『八雲神社』とあるため、お参りする。社殿も古く、歴史を感じるが、後で調べると森高千里さんが歌にした神社はゴロの関係から『八雲神社』にしただけで特定はしていないらしい。歌の中で主人公が歩いたならばこの八雲神社が自然かなあと勝手に解釈した。

続いて『床屋のかどにポツンとある公衆電話覚えてますか』というフレーズの公衆電話のところに。最近は皆携帯電話を持っているため、廃止になる公衆電話が増えているようだが、この公衆電話は歌われているため、市の要請を受けて、ちゃんと残されているらしい。

中央通りをひたすら歩くと公民館の先、通り7丁目の交差点の角に電話ボックスを発見。床屋さんも盛業中でホッとする。
この歌が発売されたのが1993年8月、もう28年になる。当時はまだ携帯電話が普及しておらず、公衆電話が大活躍していた時代。携帯電話から恋人に電話するより、詩情がある様に感じてしまう。実際にさだまさしの『加速度』、徳永英明の『レイニーブルー』、かぐや姫の『あかちょうちん』など電話ボックスが歌詞に出てくるものは多い。



今回、足利市街を歩いて渡良瀬橋が作られた街は今も殆ど何も変わらず、十分にイメージできることだけは確信することができた。できれば次回は夕方の天気の良い時に来たいものだが。

名曲『渡良瀬橋』のふるさと足利市を歩く①

2021-08-16 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その106。森高千里の歌に『渡良瀬橋』というのがある。私が好きな橋の歌ではさだまさしの『木根川橋』と双璧。これを久しぶりに聴いたら急に渡良瀬橋を見たくなり、あまり深く考えもせずに東武線の特急『りょうもう』に乗ることにしてしまった。

調べてみると東武伊勢崎線足利市駅から歩くのが一番近そうなので取り敢えず東武スカイツリー前駅(旧、業平橋駅)まで行き、特急券を購入。



利用客も少なく、その上雨。確か歌詞では『渡良瀬橋で見る夕日をあなたはとても好きだったね』とあるのに急に決めたこともあり、さらに夕方ではなく、午前中、日も出ていないというコンディションになってしまった。



約1時間電車に揺られ、居眠りから急に起こされた状態で足利市駅構内を歩く。しかし、駅のメロディに使って居るだけあり、構内にはちゃんと『渡良瀬橋』を紹介するコーナーもあった。森高千里のサイン付きで。




駅を降りる際も人は殆どおらず、タクシー乗り場にもタクシーは1台のみ。しかし、雨も小ぶりになったため、駅前から渡良瀬川沿いを歩き、すぐのところにある中橋を通って対岸に渡る。




この川幅が広く、しかも道の端には水溜りができているため、気をつけないとタイヤで跳ねた水だらけになる。

橋の中央から上流を見ると渡良瀬橋がよく見える。橋長243m、幅員5.5mの6連ワーレントラス橋で1934年に作られたもの。ただ、橋が狭く、歩道がないため、歩いて渡ることはできない。

川沿いの道を歩くと右側に茶色い碑が出てくるが、これが『渡良瀬橋』の歌碑である。



平成7年に作られたものだが、なかなかの優れもので信号機に付いているような押しボタンを押すと歌が流れる。小雨に打たれながらもいい歌だなあと全曲を聴いてしまう。



渡良瀬川は雨のおかげで茶色くなってはいたが、奥には山、夕焼けはさぞ綺麗だろうと眺めていた。ただ、せっかく来たのだからと歌詞に出てくる場所を2カ所ほど歩くことにしたのである。(以下、次回)

中央区役所

2021-08-15 05:00:00 | 区役所
『区役所に行こう』その10。この企画も約1年ぶり。19年1月に文京区からスタート、品川、大田、足立、目黒、墨田、豊島、渋谷、中野と巡ってきてようやく今回は10回目。現在勤務している中央区役所にやってきた。

中央区は北側が旧日本橋区、南側が旧京橋区であり、佃、月島といった江戸時代からあるものから晴海、豊海といった明治以降の埋立地までが中央区に入る。

建物は11階建の広々としたものだが、1947年に合併により誕生した中央区役所は旧京橋区役所を利用、今の庁舎は1969年に作られ、築後50年以上になる。



中に入ると大きなホール状になり、住民サービスは1階で行なっている。地下1〜2階は図書館として利用されている。



食堂は2カ所、1階の奥には『グリル食堂』、さらに11階には『職員食堂』があるが、いずれもコロナによる緊急事態宣言中ということで営業をしておらず、中には入れなかった。



11階には職員の休憩室や組合事務所などがあるが、外が見えない。唯一、階段の踊り場からは階下の風景(高速道路)が見ることができた。



また、1階には沢山の肖像画が掛かっているため、他の区のように歴代区長かと思ったが、名誉区民の方々で芸事の盛んな土地柄もあり、伝統芸能関連の人や元資生堂社長の福原氏などが目についた。

あまり住民の多い区ではないからか、人の出入りが少なく、シーンとしていた。また、アクセスは地下鉄有楽町線新富町駅が至便だが、タウンバスの江戸バスの北回りと南回りの連絡停留所ともなっていて、これに乗ると東京駅八重洲口などはすぐに到着することができる。






釜たけうどん〜東京駅ランチグルメ

2021-08-14 05:00:00 | グルメ
コロナ禍とはいえ、東京駅はお盆ということもあり、混雑している。ランチで立ち寄ったが、地下一階の東京駅一番街も1階の黒塀小路も混んでいる店が多い。

ちょうど昼時になったがあっさりとしたものを求めて店を探すが、ピッタリとくる店がない。ラーメン屋、とんかつ屋、天ぷら屋、いずれも重すぎる。ようやく見つけたのが黒塀小路にある『釜たけうどん』。店はなにわうどんを標榜している。しかし、やはり3人が列を作っている。メニューを渡されて待つ事5分、ランチメニューから『きつねうどんランチ』(1030円)にすることを決める。



店内は意外に広く、当然満席と言っても椅子の数の半分ほど。旅行にこれから向かう人も多く、賑やかである。因みにきつねうどんセットとはきつねうどんとネギトロの小丼のセットである。

予想通り、周囲よりは早くうどんセットが到着。まずはうどんツユから、流石になにわうどんというだけあって鰹節と昆布の香りがする。

うどん自体もあまりコシが強くなく、ツルツルと喉を通る。肝心の京都錦市場『そや』の油揚げはまったりと柔らかい甘みで煮込まれていてホッとする味。気になると言えばツユがややぬるいことか。



ついてくるネギトロの小丼はご飯を少なめにしたが、魚屋で売っているネギトロを温かいご飯に載せたもの。まあ、味は普通、甘酢生姜が付いてきたのは嬉しい。

周りをみるとちくわ天ランチセット(ちくわ天の乗ったぶっかけうどんとネギトロ小丼)が一番人気であった。まずハズレのないうどん屋さん、しかし、こちらのきつねうどんは一味上かもしれない。ご馳走さまでした。



釜たけうどん八重洲北口店
東京駅黒塀小路
0332129056

スポーツの切手①〜柔道・空手編

2021-08-13 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その87。オリンピック熱も冷めないうちにスポーツに関する切手について触れてみたい。まず最初はオリンピック前半戦を盛り上げてくれた『柔道』『空手』を取り上げてみた。
まず、最初の柔道切手は第1回国際柔道大会を記念して1956年5月3日に発行されたものである。豪快な技が描かれているが、そのモデルは『柔道の神様』と呼ばれた三船久蔵十段で彼が主演した映画の一場面を用いたものである。この豪快な技は彼が編み出した『空気投げ(隅おとし)』なのである。この大会は国際柔道連盟が主催した最初の国際大会で無差別級のみが行われ、金メダルは夏井昇吉、銀メダルは吉松義彦、銅メダルらアントンヘーシンクであった。

国体切手では1953年10月の第8回大会でラグビーとともに柔道のデザインが採用されている。国体切手は1947年の第2回大会から発行されているが、当初は4種類、第6回大会(1951年)からは2種類、第22回大会(1967年)からは1種類、第45回大会(1990年)からはふるさと切手として1種類と発行規模が縮小されてきている。(但し、1993年からは再び2枚として全国規模で発行に戻されている)


これは東京オリンピック(1964年大会)に先駆けて1961年から6回に分けて寄付金付き(5円+5円、すなわち10円で販売するが切手としては5円分)切手で3年間で20種類、小型シートが6種類発行された。うち柔道は1962年6月に発行された3枚のうちの1枚(のこりは平均台、水球)である。このシリーズは正方形の切手を45度の角度をつけ、単色ながらダイナミックな図案で私の好きな切手の一枚である。

1995年9月には第19回国際柔道大会が幕張メッセを会場に開催された。この大会は男女とも8階級(含む無差別級)あり、日本男子は古賀稔彦、秀島大介、女子は田村亮子が金メダルを獲得。メダル数では金3銀2銅5で計10個と何とか面目は保ったが、金メダルは韓国、フランスと並んでしまったのである。この時のデザインは女子選手が使われている。

一方、今回オリンピック種目にも加わった『空手』であるが、国体切手としては1995年9月の第48回大会で競泳とともに図案に採用されている。


今回のオリンピック、空手の『形』で沖縄県出身の喜友名諒選手が金メダルを獲得したことが話題となったが、返還前の琉球政府が発行していた切手の中に1964年〜1965年空手シリーズとして3枚の切手がある。『ナイハンチ』『巻藁』『組手』であるが、空手が盛んな沖縄県らしいシリーズである。ちなみに一枚の販売金額は3¢であった。

みはし〜東京駅で甘味処に

2021-08-12 05:00:00 | グルメ
今年の夏はまとまって暑い。梅雨明けまでは毎日雨模様、しかし梅雨明け以降は毎日の夏空、オリンピックが始まってからはさらに拍車がかかる。コロナ禍の中、社内で涼んでいる訳にもいかず、外訪に励んでいる。

しかし、台風のおかげなのか、余計に暑く感じる。さらによせばいいのに熱いコッテリラーメンなどを食べたから汗が吹き出して止まらない。こんな状態で東京駅の地下街を歩いていると氷と書いた旗を見つける。普段は自主的に甘味処など足を踏み入れることはないが、今日はとにかくクールダウンが必要と入店。



他のメニューには目をくれず『宇治金時』(780円)を選択した。実は『ほうじ茶味』もあったのだが、オーソドクスに抹茶を選ぶ。

注文してからそれなりに時間をかけて宇治金時が運ばれてきた。すると店の人が『抹茶は甘い味はついていないので氷にかけてよく混ぜて食べてください』と言われる。なるほど、抹茶は今立てたばかりなのだ。



抹茶は濃厚な緑色をしており、これを氷の中心部に半量掛ける。一口目は抹茶のみの味、店員さんの言う通りしっかりとしたお茶の味。甘くはないが、これはこれで美味い。上から混ぜていくと下には甘く煮た粒あんがたっぷり。白玉も2つ、これはお楽しみ。

混ぜながら食べるが、冷たくて甘くて堪らない。なぜかふと昔のてんぷくトリオの漫才のネタ、『暗くて冷たくて甘くて怖いものはなあに?馬鹿だなあ、お化けがアイスクリームを食べているの』と言う件を思い出す。

さらに食べ進めると身体の熱が徐々に下がっていくのを感じる。当初思った通り氷を食べるのが身体を冷やす早道というのは間違いない。ただ、周りを見渡すと女性の姿が目立つ。



少し気にしながらもクーラーのかかった店内で涼むこともできた。アイスコーヒーもいいが、たまには宇治金時もいいものである。ご馳走さまでした。
みはし
東京駅一番街B1
0352280384