hokutoのきまぐれ散歩

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『法然と極楽浄土』展を上野に見に行く

2024-06-10 05:00:00 | 日記
久しぶりに上野にある国立博物館に行く。6月9日までの会期で『法然と極楽浄土展』が開催されていて何とか間に合わせることができたのである。

上野駅公園口を降りるとすごい人の数、外国人も多いが、やはりパンダ目当ての親子連れが目立つ。国立西洋美術館のカレーの市民や考える人を右にながら歩くと。さらに右に曲がると大音量、フィリピンExpoが開催中のようだ。

そのまま噴水の横を歩くと目の前に国立博物館の立派な姿が見えてくる。大枚をはたき、入場券を買うと大きなユリノキ、神代植物公園の木より大きい。池横を通り、構内左奥にある平成館を目指す。



歴史を学んでいた際に仏教は鎌倉時代に入り、貴族や天皇といった支配階級ではなく、国民全体を救える宗教として浄土宗、浄土真宗、日蓮宗(法華宗)、時宗などが起こされたと習った。その中でも最も古く、また自身の菩提寺も京都黒谷にあり、金戒光明寺の前にあると言う縁もあり、どうしても行きたかった企画展である。

国立博物館平成館2階の展示室を使って4つのフェーズに分けて紹介されている。まず、『法然のその時代』と題して生い立ちなどが記されているが、最初に目にする展示品は法然自身が模写した往生要集(恵心僧都源信の著述)実物である。法然は1133年美作国に漆間時国の子として生まれるも、9歳の時に夜討に会い、父を失うが、その際に父の遺言で仇討ちをするな、恨みの連鎖となると言われ、叔父の僧侶に引き取られる。1145年に延暦寺に登り、修行を積むが父親の恨みことが忘れられず悟りが開けない。ここでさらに厳しい修行を行なう。43歳の時に中国の高僧善導の『観無量寿教疏』によって回心を体験、専念念仏を奉ずる立場から浄土宗を開く。開宗したのが1175年でここから850年になるのを記念した企画展である。

法然の坐像や立像、さらにはその言動や教えを伝える『法然上人絵伝』、自筆と伝わる法然上人像など多くの資料を見ることができる。

私の目を引いたのは法然が80歳で入滅する時に描かれた法然上人涅槃図。一つは釈迦の涅槃図同様に周りにたくさんの人や動物が嘆き悲しむ姿、もう一枚はたくさんの弟子たちが描かれているが、特に後者はお坊さんの集合写真のようで興味深かった。

(早来迎図)

第二章『阿弥陀仏の世界』第三章『法然の弟子たちと法脈』では法然入滅後の浄土宗の動き。たくさんの仏像が出ていたが、京都知恩院の『阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)』は残念ながら展示が終わっていた。

(當麻曼荼羅図)

(綴織當麻曼荼羅)

また。数年前に奈良・當麻寺を訪れた際に見た江戸時代に作られた『當麻曼荼羅図』をじっくりと見ることができた。(『綴織當麻曼荼羅』(国宝)は素晴らしいものだが、時代を經すぎてよく見えなかった。)

最後の第四章『江戸時代の浄土宗』では徳川家康の庇護のもと、芝増上寺、京都知恩院などにおいて浄土宗を厚く信仰、全国に広がったことがよく分かった。また、狩野一信が描いた『五百羅漢図』の迫力には圧倒された。



展示のラストは法然が75歳の時に流された讃岐国にある法然寺の『仏涅槃群像』、涅槃像だけでなく10大弟子や摩耶夫人、動物たちなどが嘆く姿を像にしたものが展示されていて、その表情、形が面白く、かなり楽しむことができた。



ここだけは撮影可となっていたが、猫やウサギなど可愛らしい姿は見飽きないものである。実際の高松市にある法然寺にも訪れてみたいものである。







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