hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

中秋の名月

2013-09-20 00:03:20 | 日記

台風18号通過が転機となるように気候は変わり、火曜日から毎日秋日和が続いている。会社帰りに夜空を眺めると晴れた空に丸い月が高いところで輝いている。

今夜は中秋の名月、家でもススキを生けたり、飾っている手縫いも『月うさぎ』にかえたり、雰囲気はすっかりお月見モード。今日の酒は雪の茅舎にごり《秋あがり》を用意、まさに月見で一杯である。

『中秋の名月』というが、これは旧暦の8月15日を中秋といい、その日の月を指す。月をこうして愛でるようになった歴史は古く、中国の風習が伝わった平安時代から貴族が観月の宴や舟遊びをし、歌を詠み、宴を催した。ただ、当時は月を直接見ることはなく、池や盃に映る月を楽しんだようである、何と風流なことか。

また、来年からしばらくは満月と中秋の名月が暦の関係で一日ずれるため、重なるのは2020年代最後という報道もあり、益々貴重な夜となりそうだ。最後に一句。

名月に 見守られての 帰り道

お粗末でした。

寳田恵比寿神社

2013-09-19 06:41:59 | 日記

日比谷線小伝馬町駅を上がるとすぐ前に『在町宝永時鐘』『伝馬町牢屋敷跡』『吉田松陰先生終焉の地』という3つの事象を彫った石碑が目の前に現れる。(因みに伝馬町牢屋敷跡は江戸通りを渡って少し行った十思小学校跡近く。)


地下鉄出口から5分ほど反対方向に歩くと日本橋七福神7社目の寳田恵比寿神社に到着する。境内はなく、右隣も左隣もコインパーキングという都心らしい立地。今まで七福神をお詣りした中で最もコンパクトな造りで、知らなければ見過ごししまいそう。

しかし、由緒は正しい。元々は皇居前にあった宝田村の鎮守様で運慶或いは左甚五郎作と伝えられる木彫の恵比寿様は立派、さらにこの像を1606年徳川家康から 拝領したというのだから大したもの。因みに拝領した馬込勘解由という人物、娘が嫁いだ先は三浦安針とのこと。

この小さな神社も年に一回秋の風物詩として注目されるのは10月19.20日、べったら市が恵比寿講に際し行われる。是非、行って見たいもの。ただ、今日は静かで小生以外お詣りするものはなかった。

晴海トリトンスクエア~勝鬨橋

2013-09-18 06:39:31 | 日記

晴海トリトンスクエアに仕事で往訪。会議室から外をみると目の前に見える埋め立てられた土地が、2020年の東京オリンピックの選手村となる予定地。上から見ると本当にこれだけでたりるのか、また、道路はこれだけで足りるのか、など色々気になる。

晴海トリトンスクエア自体は完成してから10年以上経過しているが、今も綺麗。但し、X.Y.Z.Wのゾーンに別れ林立しているオフィスビルも、都心部の新たなビル完成から、空室も増加し、賃料も下がり気味だとか。東京湾花火大会はよく見えるらしいが。

トリトンスクエアを後に、動く歩道を行くと勝どき駅までは5分ほど。せっかく来たのだからと晴海通りを右折して勝鬨橋にむかう。勝鬨橋の勝鬨は日露戦争の旅順陥落を記念して、1905年に勝鬨の渡しを設置したのが、その起源。完成は1940年で、日本では珍しい可動橋だが、最後に開閉したのは1970年11月。かつては都電もこの橋を通過していた。一度も開いているところを見たことがないのが、残念。

今も勝鬨橋の半ばには、昔の名残りで橋の途中に信号が残る。川風に吹かれつつ、橋を渡り切るともう築地、左に築地市場、右にニチレイ、住友生命、そして聖路加病院が隅田川に沿って立っている。市場の移転や先ほどの選手村など、あと7年経てば随分この辺りも変わるだろう。そんなことを思いつつ右手を見ると、さすがは市場の町、ビルの壁面では鯛が泳いでいた。


台風の一日

2013-09-17 05:59:40 | 日記

三連休最終日も台風18号襲来による荒天で朝から雨、風ともかなり激しい。朝からTVを付けると京都・福井・滋賀に特別警報、画像では渡月橋が今にも桂川に飲まれそうな状況。少し躊躇したが、プリウスの18ヶ月点検の予約がしてあり、営業所も近くにあるため、予定通り外出。
この荒れた天候で外に出るものは少なく、道はガラガラ。とこが、ディーラーの営業所はさすがに一般客は来ないが、小生以外にも、車検や点検などで来店客はそこそこ。ひまに任せて展示してあるクラウンを見学。『いつかはクラウン』というCMがあったようにさすがはトヨタの最高峰。今日はピンクのクラウンに変わって、白いクラウンが展示されていたが、外装・内装ともに感心、思わず写真撮影。

点検終了後、いつものオオゼキ高井戸店に行くが、駐車場から店の入口までわずかな距離を歩く間にも傘をさしてもずぶ濡れ。店内は殆ど人もいない。これが、台風か?それでもさすがオオゼキ、品揃えは十分、夕食のおかずを調達。

しかし、午後になるとびっくりする程天気は好転。セミは鳴き始め、神田川の水位も下がっており、サギがのんびり魚を狙っていた。

近くの久我山稲荷に行くと、風の影響か、境内の階段は小枝やどんぐりの山、静かな神社に人はいない。わずか数時間でもう普段通りの休日の午後に戻っていた。東京はこの程度で済んだことに感謝するとともに、被害を受けられた方の復興をこころより祈りたい。ところで、京都の墓は大丈夫かな?


井の頭線渋谷駅

2013-09-16 00:04:42 | 日記

京王電鉄100周年メモリアルスタンプラリーも7駅目。今回は渋谷駅、京王電鉄が渋谷に乗り入れたのが、昭和8年のことだから、今年で80年になる。井の頭線のみの乗り入れで京王本線ではないが、乗降客は34万人(平成12年度)と京王では新宿駅に次いで第2位を誇るターミナル駅。乗り換えも地下鉄銀座線、半蔵門線、JR山手線、東急田園都市線、東横線と多岐に渡る。
駅の名物はコンコースに掛けられている岡本太郎の『明日への挿話』という縦5.5m、横30mという巨大な絵、2008年11月から飾られている。

ところで、今回のスタンプは1962年から2011年11月まで走っていた3000系が描かれている。

(なお、この写真は吉祥寺駅にてラストラン直前に撮影したもの。)それまでのミドリでグリーンカーと呼ばれた車両(1000系)に変わり、配備された。7色のラインやヘッドにしたことからレインボーカーの愛称で呼ばれており、この特徴は3000系の後継車両にも受け継がれている。

また、廃車後の3000系車両は岳南鉄道(静岡県)、上毛電鉄(群馬県)、北陸鉄道(石川県)、伊予鉄道(愛媛県)など全国で47両が第二の人生を謳歌しており、改めて親近感を抱いてしまう。

秋祭り

2013-09-15 07:56:12 | 日記

この三連休と次の三連休は秋祭りのピークで、吉祥寺は14.15日、久我山は来週に開催される。吉祥寺に夕方出かけると法被の若い衆が沢山町を席巻している。去年も一昨年も出会ったが、なかなかいいものである。

吉祥寺の秋祭りは武蔵野八幡宮の例大祭に合わせて行われるもので、1973年から数えて41回目。八幡宮の神輿と各町内会(商店会)の10基の計11の神輿が道や商店街を練り歩く。今日もまず、ダイヤ街の神輿に遭遇、なかなか重々しく神輿を揺らしながら狭いダイヤ街を何とか通っていった。

次に遭遇したのが、大正通りの神輿。東急デパートとみずほ銀行吉祥寺支店の間を右折して狭い通りに向かっていった。東急の前には、御旅所も設えられて、中では商店会の重鎮が楽しく酒を酌み交わしていた。

夕食を終えて、街中を歩くと道に丸く座り込んで休憩というか酒盛り中。明日は台風のおかげで荒天になりそうだが、平和通りに全ての神輿の集結する午後3時、そして宮入りの夕方まで完了できることを祈りたい。

しんばし光寿 新橋グルメ2

2013-09-14 00:12:54 | グルメ

新橋でも今日行く『しんばし光寿』はかれこれ10年は通っている。新橋駅から第一京浜を渡り、田町方向に5分ほど歩いたビルの地下に店はある。開店以来日本酒とビールだけしか飲み物はない。

入店は約1年ぶり。今日のお相手は後輩のI君、もう福岡時代から20年来のお付き合い。ビールでまず乾杯、お通しが充実しており、第一弾として『自家製しめ鯖』『もずく入り吸い物』。いずれもあっさりしており、スタートに食べるにはもってこい。酒はまず小生が今夏、蔵まで行った『川中島幻舞光寿オリジナルラベル 純米吟醸』(長野県)、香りよく、すっと飲み終わる。次いで『風の森 純米吟醸』(奈良県)この蔵は間違いない。

ココで第二弾、メインのお通し、ムール貝の甘味噌掛け、手羽先の煮物、山芋の醤油漬け、キノコの煮物、おひたし、鮭の白子の和え物。どれも凝っていて、酒に合う。

ここで、酒は『綿屋』(宮城県)『宗玄』(石川県)とやや個性派に移る。つまみは変わり奴とネギ入り出し巻卵を注文。ただ、週末の疲れもでてきたのか、そろそろいい気分。
最後に『墨廼江』(宮城県石巻市)、これにはクリームチーズの酒盗掛けを合わせて、じっくり愉しむ。
秋になり、ますます日本酒が旨くなった気がする。あとは台風さえこなければいいのだが。この店は日本酒を味わうならば、最高の舞台だと思いつつ、後ろ髪を引かれて帰途につく。本当に酒が弱くなったと実感。

しんばし 光寿
港区東新橋1ー2ー17
0335750939

イタリア街

2013-09-13 00:01:32 | 日記

汐留にイタリア街があるらしく、仕事でそばを通ったので、立ち寄った。正式には『汐留シオサイト5区イタリア街』、三井不動産が中心になり、2007年にオープンした再開発の街。イタリア北部、エミリア=ロマーニャ州の小都市をモデルにしたらしい。

新橋から国道15号線を南に歩き、 完成真近のマッカーサー道路を超えて左折するとすぐにメインともいうべき建物が見えてくる。この建物はJRA汐留、簡単にいうと場外馬券売場。開催日はかなり混雑する。他にもイタリアンレストランやホテル、広場があり、イタリア国旗も掲げられ、雰囲気は十分イタリアだが、思いのほか人が少ない。昼飯時に訪ねたが、特に人が集まるでもない。これだけオフィスがあるのにとかえって心配になる。

広場を歩いていたら、丸い金属のプレートが埋め込まれており、それには旧新橋駅の転車台の遺構と書かれていた。明治4年に作られ、大正はじめまで使われていたとのこと。約100年前は駅の一部であったところが、今はイタリアの広場とは、不思議な気がした。

大塚駅前

2013-09-12 06:40:00 | 日記

久しぶりに仕事で大塚駅に行く。以前にこの駅で降りたのは5年ぶり、しかも南口に行ったのは思い出せないほどである。駅の改札口も大きく変わり、駅ビルが昔、小さな駅舎と荷扱場の跡にそびえていた。


駅前には相変わらず都バスの錦糸町駅行バス停があり、昔の都電16系統の跡を引き続き、走っている。都電の代替バスでは数少ない生き残り路線である。そして、当時は32系統だった都電は堂々と専用路線を走っている。かぼちゃ色一色だった車体もカラフルなラッピング広告やレトロ車両など見ているだけで楽しい。

駅前の道を向い側にわたると昔と変わらぬ商店街、千成もなかも相変わらず営業中。周囲に秋祭りの幟を見つけて天祖神社にお詣りをする。この天祖神社は鎌倉時代に開かれたもので、天照大御神を祭神とする神社。夫婦イチョウの樹は大きく繁り、子育て狛犬には子孫繁栄を祈る人も多い。

山手線が開通した頃は、この辺りは巣鴨村だったが、鉄道の開通で大塚という地名になった。その後戦前は池袋より賑やかで、色街や白木屋デパートがあったとか、大塚といえば昭和の古いCMの『大塚!角萬‼』で有名な金閣寺が屋上にあった結婚式場はどうなっているのかとか、駅前のひょうたん島というパチンコは出たことがないくせに潰れていないとか、色んなことを思い出してしまう。とはいうものの山手線沿線では数少ない地下鉄の乗り入れのない大塚駅も駅前開発で少しずつ変わりつつあるが、まだまだ昭和の匂いのする街である。

宇木央 新橋グルメ

2013-09-11 06:40:44 | グルメ

久しぶりに新橋の『宇木央(うこう)』を訪問。店の名前に使われている漢字が全て左右対称だなぁと何とかなく思っていたが、全ての真ん中を意味するらしい。
約25分遅れでようやく店に到着。お相手のO氏は待っていてくれて感謝。最初は地ビールで乾杯、新潟の新潟麦酒という銘柄でコクがあり、何より薄張りのグラスが嬉しい。お通しは埼玉の菜っ葉(小松菜風)のおひたしと小さいサワラの煮物、どちらもあっさり味で美味。

酒は風の森(奈良県)を注文、いつもいうが、御所市の酒は間違いない旨さ。料理の注文は『真子鰈のつくりと鯵のなめろう』『茄子の煮浸し』『燻製鴨ロースのソテー』。始めに出た茄子は沢山かかった花カツオとやや濃いめの茄子の出汁が調和して酒のあてにもってこい。刺身もねっとりした真子鰈と粗く叩かれた鯵の風味が引き立つ。鴨も含めそれなりに量もあり、満足。


次の酒は酔右衛門(岩手県)はしっかりとした酒。更に『澪標(みおつくし)』(和歌山県)『克正』(岡山県)『不老泉』(滋賀県)などあまり飲んだことのない酒を注文、みんな美味いが、レポートするにはだんだん訳がわからなくなる。そこで注文したあては、ジャガイモとチーズと酒粕の和え物、これが日本酒にピッタリのディップ。更に鶏のせせりの炒めもの、野菜たっぷりで美味い。

久しぶりに会った旧友との話にも花が咲き、大変楽しい飲み会、料理のセンスとお客様へのおもてなしを大切にする大人の居酒屋に十分満足した夜。
宇木央
新橋3ー10ー6鈴木ビル2F
0354010552