切手シリーズ その28。このシリーズも2ヶ月以上ストップしていたが、久々に再開。
切手や貨幣の図案はどの国でもその世相を反映するもの。日本切手の中でそれを強く感じさせられるのが昭和の普通切手であろう。戦前~戦後までの変化を何回かに分けて触れていきたい。
大正時代の通常切手は田沢切手、富士鹿切手、そして関東大震災後に慌てて作った震災切手、風景切手と変遷したが、風景切手、高額切手を除き、具体的な図案はあまりなかった。(風景切手は震災後、富士山、日光陽明門、名古屋城の3種類、高額切手は神功皇后の肖像が2種類発行)
昭和切手といっても発行は昭和12年だが、それまでは大正時代の図案の切手が発行され続けた。新切手は大幅に図案が変更され、高い印刷技術を駆使して、より具体的なものが描かれるようになった。
第1次昭和切手は昭和12年から15年までに発行された。その図案はバラエティに富んでおり、2銭乃木希典、4銭東郷平八郎、12銭航研機あたりには軍事的色彩がある一方で、産業的な図案の1銭稲刈り、3銭水力発電所もある。さらに10銭日光陽明門、14銭春日大社、25銭法隆寺、30銭厳島神社、50銭金閣寺、1円鎌倉大仏など歴史的な建築物が図案にしたものが多くを占める。そして、これらの一部は戦後も追放切手にならなかったもの(追放切手は後記)すらある。
しかし、そのなかで小生が注目するのは6銭オーロワンピ灯台と7銭クムガンサンである。実はこのシリーズには5銭上高地を含めて3カ所の景勝地が入っているが、うち2カ所が当時外地といった日本が支配をしていた台湾・朝鮮なのである。6銭切手の図案の『オーロワンピ灯台』はガランピとも言う台湾島最南端の灯台である。当時日本が帝国最南端と呼び、また、台湾八景にも数えられていたものである。
さらに7銭切手の図案の『クムガンサン(金剛山)』は当時日本領の旧朝鮮(現在、北朝鮮)にある景勝地。20世紀初頭までは不便であったため、訪れる人も少なかったが、朝鮮総督府が鉄道を整備してからは観光地化し、大いに栄えていた。最近では韓国人に北朝鮮が許可する金剛山観光が有名になった。
この2つの図案を採用した理由は朝鮮や台湾が日本領であることを知らしめるためであることは間違いないであろう。昭和12年は盧溝橋事件が勃発し、日中戦争が始まった年でまだ戦争が見え始めた頃である。しかし、切手の図案も細密で目打ちも裏のりもあり、戦争の足音はするが、まだ物資の余裕もあり、平和が残っていた最後の時代なのであろう。
しかし、第2次昭和切手では戦時色が一気に濃くなるが、その話は次回としたい。