hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

矢口渡駅

2018-01-06 05:00:08 | 日記

『鉄道シリーズ』その195。『私鉄の始発の次の駅』シリーズ第9弾。今回は東急多摩川線を蒲田駅から乗車。蒲田駅は池上線と多摩川線のホームが並んでいるが、多摩川線は向かって左側から発車する。


蒲田駅の次は矢口渡駅、ここまで1.6kmあるが、やはりかつてちょうど中間地点あたりに道塚駅があった。しかし、不要不急駅とされて1944年に休止され、その後廃止。実は1945年の空襲で蒲田周辺は灰燼と化し、路線も少し変わったため、痕跡はない。


矢口渡駅は最近では珍しい木造駅で白いペンキで塗装されている。すぐ横に環八通りがあるが、これを渡ると遍照院という寺と安方神社が隣り合うように立っている。


安方神社は地域の3社が統合する形でできた神社で境内も広い。また、隣には安方稲荷の祠も祀られている。前を環八通りが走るが、境内に入るとゆったり落ち着いた空気が流れていた。

元の駅まで戻り、今度は駅の名前にもなっている矢口渡し跡を訪ねて見る。栄えている矢口渡商店街をしばらく進み、右に曲がって第二京浜まで行く。


これを再び左に曲がると多摩川大橋が見えてくる。都県境にあるこの橋は1938年に着工、1945年3月末に完成を見るが、4月15日の空襲で焼け落ち、戦後再び建設を再開、1949年にようやく完成した。橋長が496m、幅員が23mある長大な橋で交通量も多い。


橋の渡口には派出所があり、巡査が眠そうに車を眺めている。川沿いに右に曲がるとかなり広い河原があり、しばらく行くと『矢口の渡し』跡を示す看板が立てられている。看板によると多摩川自体の流れが変わったこともあり、渡しの場所も変遷を遂げたが、江戸時代にはこの辺りになったとのことである。川幅は広く、渡しの存在は重要な位置を占めたであろう。

多摩川大橋が完成した1949年までは大田区最後の渡し場として使われていた。見上げると多摩川大橋、そこには多くの車が行き交っていた。ちなみに矢口渡駅から渡し跡まで約900mほどである。


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