『宿場町を歩く』その18。古河宿①。中田宿・野木宿と共に古河藩が管理した古河3宿の一つであり古河城を中心とした宿場町。
古河藩は徳川家康が重要視しており、松平信康(家康嫡男)の娘婿にあたる小笠原秀政を入部させた。その後、度々にわたり城主は変わったが、徳川家と姻戚または関係の深い者を当てている。将軍が東照宮に参る際には宿城として機能、日光街道における主要な宿場町である。
古河駅の構内に観光案内所があるのでまず立ち寄る。ややお年を召したおばさまが2人、丁寧にご対応いただき、ガイドマップと古河公方公園のパンフレットを貰う。
取り敢えず駅前の道をまっすぐ歩くが、その途上にも昔ながらの大衆食堂や靴屋などの懐かしい店が並んでいる。(残念ながら営業はしていなかったが)
日光街道の角には立派な道標が残されていて『左日光道、右江戸道』と刻まれている。これを左に曲がる。
他の宿場町で歩いてきた日光街道とは違い、対面2車線+歩道という立派な道。それでも道沿いには『茶』と書かれた立派な蔵が残っていたりする。
道のところどころには『古河宿』と書いた案内板というか灯篭がある。今は跡形もないが本陣跡や藩使者取次所跡などと書かれている。
肴町は城内を参勤交代の大名が通る際にその使者が城に挨拶に行き、その使者を藩の役人が接待する際に行なったご馳走番所があったためこの名前がついた。
肴町通りに入るとすぐに『米銀』という仕出し屋(お弁当)、『関善商店』というお茶を商う店、『坂長』という酒屋が並んでいる。現在の坂長はお休み処としてカフェやお土産、ミニギャラリー、物販などを行う公共施設でここで宿場印を求め、レンタサイクルを調達した。(レンタサイクルは無料)敷地には5つの蔵があり、国の登録有形文化財の指定も受けていて見学する価値もある。(以下、次回)