hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

新御茶ノ水駅

2019-04-29 05:00:06 | 日記

『メトロに乗って』その106。今回は東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅を降りて歩く。新御茶ノ水駅は『新』がついているが、開業は1969年12月ともう50年ほどの歴史がある。しかし、それ以前、1954年1月に丸ノ内線御茶ノ水駅が開業しているのである。

また、新御茶ノ水駅は都営地下鉄新宿線小川町駅、丸ノ内線淡路町駅と地下通路で繋がり、連絡駅となっている。しかし、現在では丸ノ内線御茶ノ水駅とは連絡しておらず、同じ御茶ノ水なのにという感じもする。まあ、新御茶ノ水駅と御茶ノ水駅の間には神田川が流れていて、連絡通路もないためでやむを得ないが。

新御茶ノ水駅を綾瀬方面に降りて上がると目の前には聖橋、これを渡ると文京区に入る。さだまさしの檸檬という歌の中でも『・・・食べかけの檸檬聖橋からほうる、快速電車の赤い色がそれとすれ違う』と歌われているように神田川と中央・総武線の線路が下を通っている。


全長79m、うち神田川の上を36mにわたり通るコンクリート製の美しいアーチ橋で1927年に架けられた。前日まで塗り直し等の改修工事が行われていたが、ようやくその優美な姿を拝むことができるようになった。

聖橋の反対側まで行き、右手の階段を降りると湯島聖堂の前に出る。湯島聖堂は1690年5代将軍綱吉により作られた孔子廟で後には幕府直轄の学問所となり、昌平坂学問所の系譜となった。


正面の戸から入ると真っ黒な大成殿と呼ばれる建物、この中に孔子廟がある。入口の天水桶にも徳川の家紋が入っていた。


反対側をみるとニコライ堂の特徴のある緑の屋根がよく見えるが湯島聖堂とニコライ堂の二つの聖を結ぶことから聖橋と名付けられたとのことである。この辺りから見るとその意図がよくわかる。
聖橋を戻り、ニコライ堂を目指す。

このニコライ堂はロシア正教の聖ニコライが作ったことから通称として使われているが、正式には東京復活大聖堂である。作られたのは1891年、その後関東大震災でドーム型の天井が落ちるなど被害を受けたが、再興された。

その後、1962年には国の重要文化財に指定されている。御茶ノ水駅の聖橋から坂を下りていくとこの風景だけは変わらないが、隣にあった大学も駅前も全て高層ビルに建て替えられた。かつて高さでも際立ったその面影はなく、どちらかといえばビルの谷間になりつつあることが、時代の変遷かもしれない。

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