hokutoの気まぐれ散歩(ブログ)も今回でめでたく2000回を迎えることができ、2013年5月以来ほぼ毎日更新できたこと、読者の皆様には拙文を読んでいただいたことに深く感謝申し上げたい。その一区切りとして何かそれらしい企画と足りない知恵をひねり出し、『2000』に注目して『2000円札を極める』というテーマでブログを書いてみることにした。
皆様も2000円札にはとんとお目にかかることもないと思うが、実は発行枚数は8億8000万枚、現在でも1億枚が流通している。しかし、私も東京でお釣りにもらったことももう数年ない。ではどこで流通してのであろうか。これはお札が発行された経緯やデザインと関係がある。
もう忘れてしまったのかもしれないが、2000年はそごう破綻やみずほFG設立など身近に色々と事件もあったが、ミレニアムブームがあった。さらに7月に沖縄サミットが開催されたことがきっかけで森内閣の時に2000円札が発行された。通常の紙幣であり、記念紙幣ではないのだが。紙幣の表の柄には守礼の門、裏には源氏物語絵巻が描かれている。守礼門=沖縄県ということもあり、沖縄では600万枚が流通しており、さらに現在でも流通量も増加しているのだ。
2000円札は①深凹版印刷、②潜像模様、③パールインク、④ユーリオン、⑤光学的変化インクといった当時の技術の粋を集めた紙幣である。特に⑤は額面表示の『2000』を券の見る角度により緑や紫など色が変化する高度な技術であり、2000円札のみに使われている。持っている方は是非試してもらいたい。
なぜ2000円札は全国的に普及しなかったのだろうか?明治以来日銀券として発行された紙幣のうち『2』がつくといえば200円紙幣と20円紙幣のみ。うち20円紙幣は大正6年(菅原道真の肖像)と昭和6年(藤原鎌足の肖像)と2回発行されているが、昭和初期でも現在の20〜30万円の価値があったというからかなりの高額紙幣。
また、200円紙幣は昭和2年の昭和恐慌の際に紙幣不足に陥り、時間がないので表のみを印刷した特殊なもので『うらしろ』と呼ばれた。こちらは騒ぎが収まると回収されてしまったのである。 (その後、昭和20年に藤原鎌足の肖像の200円札も発行されているが、こちらも新円切替で1年余りで廃止)20円札は高額のためにあまり流通しなかったし、200円札はいずれも短命かつ臨時的な要素が多かったなどの理由から日本では『2』という単位が紙幣には浸透しないのかもしれない。
まあ、2000円札のプロフィールはともかく、実際に手にして、さらに使ってみることとしたい。(以下、次回)