『東京の坂、日本の坂』その220。東急東横線自由が丘駅〜都立大学前駅の坂道を訪ねることにした。自由が丘駅は東横線のほぼ真ん中で大井町線との乗り換え駅、1927年に九品仏駅として開業。
(ハチ公前にあった旧5000系)
1929年に大井町線開業に伴い、九品仏の前に新たな駅(九品仏駅)を置いたため、自由ケ丘駅と改称した。(今は『自由が丘』の表記だが、当時は『自由ケ丘』)その後1966年に自由が丘駅に改称されて今に至る。
それにしても昭和初期に命名された駅名としてはかなり思い切った名前のように感じる。名前の由来は地元にできた自由が丘学園に因んだもので、当時の文化人が先頭になり付けた名前なのである。(それ以前は碑衾町)第二次大戦時には憲兵隊から自由を冠した地名を改めるように求められたが、地元住民はこれに応じなかった歴史がある。
(女神像)
駅を降りると駅前にロータリーがあるが、これを右に曲がる。(車は逆の一方通行)しかし、かなり細い道で向かいからは東急の路線バスが次々とやってくる。次の交差点を左に曲がるとオシャレなお店が並ぶ通りとなる。
(おしゃれなラーメン屋さん)
オシャレなラーメン屋を右に曲がると現れた坂道が『谷畑坂(やばたさか)』である。名前の由来は案内板に『旧碑衾町の字であった谷畑にあった坂道があること』と書いてあった。
少し古くからあるお屋敷町だが、この坂道を上り切り、右に曲がる。途中には自由が丘の名前の由来となった自由が丘学園高校、今は男女共学となっている。
その先はかなりわかりにくいが、駅から来る道の自由通りを左に曲がると『睦坂(むつみさか)』となる。睦坂は昭和初期に耕地整理により新たにできた道で住んでいる人々の親睦を願って付けられた名前である。(以下次回)