◎ギリシャ神話 10 古代オリンピック 2
★オリュンピア競技祭
○オリュンピア競技祭はゼウスの神域であるオリュンピアの地で開催されたが、主催国はオリュンピアから約58キロ北にあるエリス国である
・開催期間ははじめは1日だけだったが、のちに5日間に拡大された
・開催時期は、現在のだいたい8月下旬にあたる、夏至のあとの2度目ないし3度目の満月の時期と決められていた
ギリシャの各国共通の暦がまだなかったし、月の名前も国ごとに異なっていたので、「何月何日から始まります」といった告知ができなかった
・この時期は農作業を終えた農閑期にあたっていて、参加するのに支障がない時期を選んだのである
★問題は、農閑期は戦争の時期でもあったので、平和のうちに無事に祭典を行えるように、休戦協定を結ぶことが必要であった
・休戦期間は1か月から2か月、3か月に延長された
・休戦期間中は、オリュンピアとエリスは不可侵の聖地とされ、武器を携えた個人はいっさい入国が禁止された
・休戦期間中は、死刑の執行もなかったという
・開催の通知は、エリス市民の中から3人の伝令使が選出されて、各地に派遣されて告知された
・オリュンピア競技祭の開催を告げる使節は、休戦を告げる使節でもあった
休戦を告げられると、各ポリスは順次休戦期間に入った
○主催国エリスでは、競技祭の10か月前には審判団が選出されて、審判としての訓練を受け始めた
・審判は競技祭ごとにエリス人の中からくじ引きで選出された
審判の人数は10人が基準となった
・審判は素人であったから、開催前の10か月間、競技のルールや法律など専門的知識を伝授され学んだ
○審判の権限は絶大で、紫色の衣装をまとい、違反者をムチで打ち据えた
・審判の判定は絶対で、覆すことはできなかった
○競技祭に向けて、参加希望者の準備は1年も前から始まっていた
○競技祭の参加希望者は、本国で最低10か月のトレーニングを積んでいることが要求された
○そして、1か月前までにはエリスに到着し、コーチとともにトレーニングを行い資格審査を受ける必要があった
・資格審査は審判が行なった
・エリスには体育練習場や格闘場、競技用走路、浴場などの施設が整備されていた
○エリスは自国で競技祭を開催することはなかったが、開催前の1か月にわたり、選手や監督、コーチ、など何千人もの人々をエリスに滞在させ宿泊させた
エリスは経済的にもうるおったことであろう
○競技祭開始の2日前、選手やコーチ、審判など一行は、エリスを出発し、「聖なる道」を通ってオリュンピアへ向けて1泊2日かけて行進した
○オリュンピアの競技場の観客収容人数は4万人から4万5000人と見積もられている
・押し寄せて来た大部分の人たちは、開催期間中、持参したテントで野宿した
・野営地には、土産物や飲料、食料などの物品を売る露天商も集まった
○開催期間中の何万人分もの大量のゴミや排泄物はどう処理したのだろうか
川にたれ流したのだろうか、焼いたり、土に埋めたりしたのだろうか
★オリュンピアの神域にあった各種の建築物
・エリスの迎賓館
迎賓室には女神ヘスティアの祭壇があり、聖火が絶えることなく燃え続けていた
・ヘラ神殿
女神ヘラはゼウスの正妻
・ゼウスの大祭壇
・宝物庫
諸都市からの奉納品を納めた
・競技場
・競馬場
・ゼウス神殿
・評議会場
競技会の運営にあたる審判団などの役員が詰める
優勝者の記録をはじめとする公文書が保管されていた
・フェイディアスの仕事場
・闘技場
格闘技用
・体育練習場(ギュムナシオン)
など
★ゼウス神殿
・オリュンピアの南側中央にゼウス神殿があった
・内部にはフェイディアスが制作した黄金象牙造りのゼウス像が安置されていた
・台座を含めた高さは12.4m
・ゼウス像は395年に掠奪されて東ローマ帝国のコンスタンティノープルへ運ばれたが、475年の大火で焼失してしまったという
★競技者は武装競争を除いて、裸で競技にのぞむことになっていたが、下半身をおおう下着だけはつけていたようである
★オリュンピア競技祭
○オリュンピア競技祭はゼウスの神域であるオリュンピアの地で開催されたが、主催国はオリュンピアから約58キロ北にあるエリス国である
・開催期間ははじめは1日だけだったが、のちに5日間に拡大された
・開催時期は、現在のだいたい8月下旬にあたる、夏至のあとの2度目ないし3度目の満月の時期と決められていた
ギリシャの各国共通の暦がまだなかったし、月の名前も国ごとに異なっていたので、「何月何日から始まります」といった告知ができなかった
・この時期は農作業を終えた農閑期にあたっていて、参加するのに支障がない時期を選んだのである
★問題は、農閑期は戦争の時期でもあったので、平和のうちに無事に祭典を行えるように、休戦協定を結ぶことが必要であった
・休戦期間は1か月から2か月、3か月に延長された
・休戦期間中は、オリュンピアとエリスは不可侵の聖地とされ、武器を携えた個人はいっさい入国が禁止された
・休戦期間中は、死刑の執行もなかったという
・開催の通知は、エリス市民の中から3人の伝令使が選出されて、各地に派遣されて告知された
・オリュンピア競技祭の開催を告げる使節は、休戦を告げる使節でもあった
休戦を告げられると、各ポリスは順次休戦期間に入った
○主催国エリスでは、競技祭の10か月前には審判団が選出されて、審判としての訓練を受け始めた
・審判は競技祭ごとにエリス人の中からくじ引きで選出された
審判の人数は10人が基準となった
・審判は素人であったから、開催前の10か月間、競技のルールや法律など専門的知識を伝授され学んだ
○審判の権限は絶大で、紫色の衣装をまとい、違反者をムチで打ち据えた
・審判の判定は絶対で、覆すことはできなかった
○競技祭に向けて、参加希望者の準備は1年も前から始まっていた
○競技祭の参加希望者は、本国で最低10か月のトレーニングを積んでいることが要求された
○そして、1か月前までにはエリスに到着し、コーチとともにトレーニングを行い資格審査を受ける必要があった
・資格審査は審判が行なった
・エリスには体育練習場や格闘場、競技用走路、浴場などの施設が整備されていた
○エリスは自国で競技祭を開催することはなかったが、開催前の1か月にわたり、選手や監督、コーチ、など何千人もの人々をエリスに滞在させ宿泊させた
エリスは経済的にもうるおったことであろう
○競技祭開始の2日前、選手やコーチ、審判など一行は、エリスを出発し、「聖なる道」を通ってオリュンピアへ向けて1泊2日かけて行進した
○オリュンピアの競技場の観客収容人数は4万人から4万5000人と見積もられている
・押し寄せて来た大部分の人たちは、開催期間中、持参したテントで野宿した
・野営地には、土産物や飲料、食料などの物品を売る露天商も集まった
○開催期間中の何万人分もの大量のゴミや排泄物はどう処理したのだろうか
川にたれ流したのだろうか、焼いたり、土に埋めたりしたのだろうか
★オリュンピアの神域にあった各種の建築物
・エリスの迎賓館
迎賓室には女神ヘスティアの祭壇があり、聖火が絶えることなく燃え続けていた
・ヘラ神殿
女神ヘラはゼウスの正妻
・ゼウスの大祭壇
・宝物庫
諸都市からの奉納品を納めた
・競技場
・競馬場
・ゼウス神殿
・評議会場
競技会の運営にあたる審判団などの役員が詰める
優勝者の記録をはじめとする公文書が保管されていた
・フェイディアスの仕事場
・闘技場
格闘技用
・体育練習場(ギュムナシオン)
など
★ゼウス神殿
・オリュンピアの南側中央にゼウス神殿があった
・内部にはフェイディアスが制作した黄金象牙造りのゼウス像が安置されていた
・台座を含めた高さは12.4m
・ゼウス像は395年に掠奪されて東ローマ帝国のコンスタンティノープルへ運ばれたが、475年の大火で焼失してしまったという
★競技者は武装競争を除いて、裸で競技にのぞむことになっていたが、下半身をおおう下着だけはつけていたようである