◎宝塚歌劇 6 歴史 4
★「清く正しく美しく」
◎最初の使用例は、「歌劇」9月号(昭和8年)で「清く 正しく 美しく」の前に「朗らかに」がついていた(「小林一三」北康利、PHP研究所)
・東京宝塚劇場落成記念に刊行された「宝塚少女歌劇二十年史」(昭和8年、非売品)の冒頭に、「初夢有楽町(ハツユメアミユズメントセンター)」と題して小林一三が寄せた詩句には「朗らかに/清く/正しく/美しく」とある(「宝塚というユートピア」)
・原形は「朗らかに、清く、正しく、美しく」という4つの言葉だが、いつの間にか「朗らかに」がとれて、「清く、正しく、美しく」という3つの言葉になった
なぜ、「朗らかに」という言葉がとれたのかという事情は、私にはわかりません
私は、「朗らかに」がついている方が、明るいイメージがあっていいと思うのですが
★星組の誕生
◎東京宝塚劇場の公演に備えて、昭和8年7月「星組」が誕生し、4組体制となった
○「星組」は春日野八千代(17歳)のために作られたと伝えられている(「宝塚百年の夢」)
春日野八千代はのちに、「宝塚の至宝」、「白バラのプリンス」と呼ばれた伝説の2枚目スターである
花柳祿八千代の名を持つ日本舞踊の名取でもあった
・「星組」は昭和13年10月、宝塚中劇場の公演を最後に消えたが、戦後昭和23年8月に復活した
★東京進出 東京宝塚劇場(旧・東京宝塚劇場)を開場
・昭和3年、東京松竹楽劇部が発足し、人気があった
東京松竹楽劇部は昭和7年、「松竹少女歌劇団」と改称された
松竹の牙城は浅草であったが、小林一三は日比谷に拠点を作ろうとした
・昭和7年(1932年)8月、小林一三は株式会社東京宝塚劇場を設立して、取締役社長に就任
・昭和9年1月1日、東京進出の拠点として東京宝塚劇場(旧・東京宝塚劇場)を日比谷に開場した(3000席)
こけら落とし公演は白井鐵造作の「花詩集」
・昭和9年、日比谷映画劇場を開場
・昭和10年、有楽座を開場
・昭和11年、帝国劇場、東京会館、日本劇場を買収
・松竹は自分たちの牙城である浅草まで東宝が進出してくるのではと脅威を感じたが、浅草は松竹にゆずったということである
★東宝
・小林一三は宝塚を日本のハリウッドにしようという試みがあって、昭和5年4月に宝塚映画製作所が設立されたが、経営不振となり失敗した
昭和12年9月には東宝映画株式会社を設立
昭和18年、東京宝塚劇場は東宝映画を統合して、「東宝」(東宝株式会社)と改称した(「小林一三」)
・「東宝」は東京宝塚の略である
★関西テレビ放送
・小林一三は昭和9年、日本初のテレビ放送会社「日本映像放送株式会社」の設立を申請したが、審査は進まず、出願は却下されてしまう
・イギリスの電気技術者ジョン・ロジー・ベアードがテレビジョンを発明し、1926年、動く画像の伝送実験に成功した
・昭和28年(1953年)2月1日午後2時にNHK東京放送局がテレビ放送を開始した
日本初のテレビ番組は歌舞伎の「道行初音旅」(菊五郎劇団による)の舞台中継だった
・大卒男子の初任給が1万円余りの時代、国産第1号の14インチの白黒テレビ受像機(シャープ製)は17万5000円という高価なものだったので、人々は街頭テレビに群がった
一三亡き後、3男の米三が小林一三の志を継いで、昭和33年1月、大関西テレビ放送の設立総会が行われ、米三が初代社長に就任した
昭和33年7月、関西テレビ放送に社名変更(「小林一三」)
○一旦、少し時間を先にすすめて、
★新組「宙組」誕生 平成10年(1998年)
○旧東京宝塚劇場は老朽化が進み、立て直して新しい東京宝塚劇場を建設することになった
新しい東京宝塚劇場で東京での通年公演をすることが決定された
○現在の4組ではこなせないということで、組を増やそうという理由と、組を増やして公演の場が増えれば、生徒の活躍の場が増える(「宝塚歌劇 華麗なる100年」、朝日新聞出版)
◎新組名を公募
・平成13年(2001年)1月1日から新しい東京宝塚劇場で公演する
それまでは平成10年5月30日から有楽町駅前に仮設の「TAKARAZUKA1000days劇場」で公演する
新組名は「歌劇」「宝塚グラフ」の読者を対象に公募
総数2万8091通の応募があった
候補の総数は527種類あったが、現在の4組とのバランスから、平仮名、カタカナ、ローマ字のもの、漢字2文字以上のもの、動物や植物の名前、宝塚のイメージからかけ離れたもの(芋とか鬼とか)などを除外した
残った約90種類の名称を「新組名称選定委員会」で審査
全委員によって投票の結果、愛、虹、青・蒼、昴、菫、宙、光、瑞、翠、夢の10種類が選ばれた
「あとは植田理事長が決定して下さい」ということで、「21世紀は宇宙の時代だと思った。最後に光と宙のどちらかだと絞り込んだ。
結局、光の強さより、無限に広がる宇宙に飛翔するような、限りなき可能性を秘めた組の誕生を祈念して「宙」(そら)を選ぶことにした」(「宝塚百年の夢」)
○宙組は平成9年(1997年)12月12日に披露され、翌平成10年1月1日に発足した
・初代宙組トップスターは姿月あさと、娘役は花總まり
★「清く正しく美しく」
◎最初の使用例は、「歌劇」9月号(昭和8年)で「清く 正しく 美しく」の前に「朗らかに」がついていた(「小林一三」北康利、PHP研究所)
・東京宝塚劇場落成記念に刊行された「宝塚少女歌劇二十年史」(昭和8年、非売品)の冒頭に、「初夢有楽町(ハツユメアミユズメントセンター)」と題して小林一三が寄せた詩句には「朗らかに/清く/正しく/美しく」とある(「宝塚というユートピア」)
・原形は「朗らかに、清く、正しく、美しく」という4つの言葉だが、いつの間にか「朗らかに」がとれて、「清く、正しく、美しく」という3つの言葉になった
なぜ、「朗らかに」という言葉がとれたのかという事情は、私にはわかりません
私は、「朗らかに」がついている方が、明るいイメージがあっていいと思うのですが
★星組の誕生
◎東京宝塚劇場の公演に備えて、昭和8年7月「星組」が誕生し、4組体制となった
○「星組」は春日野八千代(17歳)のために作られたと伝えられている(「宝塚百年の夢」)
春日野八千代はのちに、「宝塚の至宝」、「白バラのプリンス」と呼ばれた伝説の2枚目スターである
花柳祿八千代の名を持つ日本舞踊の名取でもあった
・「星組」は昭和13年10月、宝塚中劇場の公演を最後に消えたが、戦後昭和23年8月に復活した
★東京進出 東京宝塚劇場(旧・東京宝塚劇場)を開場
・昭和3年、東京松竹楽劇部が発足し、人気があった
東京松竹楽劇部は昭和7年、「松竹少女歌劇団」と改称された
松竹の牙城は浅草であったが、小林一三は日比谷に拠点を作ろうとした
・昭和7年(1932年)8月、小林一三は株式会社東京宝塚劇場を設立して、取締役社長に就任
・昭和9年1月1日、東京進出の拠点として東京宝塚劇場(旧・東京宝塚劇場)を日比谷に開場した(3000席)
こけら落とし公演は白井鐵造作の「花詩集」
・昭和9年、日比谷映画劇場を開場
・昭和10年、有楽座を開場
・昭和11年、帝国劇場、東京会館、日本劇場を買収
・松竹は自分たちの牙城である浅草まで東宝が進出してくるのではと脅威を感じたが、浅草は松竹にゆずったということである
★東宝
・小林一三は宝塚を日本のハリウッドにしようという試みがあって、昭和5年4月に宝塚映画製作所が設立されたが、経営不振となり失敗した
昭和12年9月には東宝映画株式会社を設立
昭和18年、東京宝塚劇場は東宝映画を統合して、「東宝」(東宝株式会社)と改称した(「小林一三」)
・「東宝」は東京宝塚の略である
★関西テレビ放送
・小林一三は昭和9年、日本初のテレビ放送会社「日本映像放送株式会社」の設立を申請したが、審査は進まず、出願は却下されてしまう
・イギリスの電気技術者ジョン・ロジー・ベアードがテレビジョンを発明し、1926年、動く画像の伝送実験に成功した
・昭和28年(1953年)2月1日午後2時にNHK東京放送局がテレビ放送を開始した
日本初のテレビ番組は歌舞伎の「道行初音旅」(菊五郎劇団による)の舞台中継だった
・大卒男子の初任給が1万円余りの時代、国産第1号の14インチの白黒テレビ受像機(シャープ製)は17万5000円という高価なものだったので、人々は街頭テレビに群がった
一三亡き後、3男の米三が小林一三の志を継いで、昭和33年1月、大関西テレビ放送の設立総会が行われ、米三が初代社長に就任した
昭和33年7月、関西テレビ放送に社名変更(「小林一三」)
○一旦、少し時間を先にすすめて、
★新組「宙組」誕生 平成10年(1998年)
○旧東京宝塚劇場は老朽化が進み、立て直して新しい東京宝塚劇場を建設することになった
新しい東京宝塚劇場で東京での通年公演をすることが決定された
○現在の4組ではこなせないということで、組を増やそうという理由と、組を増やして公演の場が増えれば、生徒の活躍の場が増える(「宝塚歌劇 華麗なる100年」、朝日新聞出版)
◎新組名を公募
・平成13年(2001年)1月1日から新しい東京宝塚劇場で公演する
それまでは平成10年5月30日から有楽町駅前に仮設の「TAKARAZUKA1000days劇場」で公演する
新組名は「歌劇」「宝塚グラフ」の読者を対象に公募
総数2万8091通の応募があった
候補の総数は527種類あったが、現在の4組とのバランスから、平仮名、カタカナ、ローマ字のもの、漢字2文字以上のもの、動物や植物の名前、宝塚のイメージからかけ離れたもの(芋とか鬼とか)などを除外した
残った約90種類の名称を「新組名称選定委員会」で審査
全委員によって投票の結果、愛、虹、青・蒼、昴、菫、宙、光、瑞、翠、夢の10種類が選ばれた
「あとは植田理事長が決定して下さい」ということで、「21世紀は宇宙の時代だと思った。最後に光と宙のどちらかだと絞り込んだ。
結局、光の強さより、無限に広がる宇宙に飛翔するような、限りなき可能性を秘めた組の誕生を祈念して「宙」(そら)を選ぶことにした」(「宝塚百年の夢」)
○宙組は平成9年(1997年)12月12日に披露され、翌平成10年1月1日に発足した
・初代宙組トップスターは姿月あさと、娘役は花總まり