◎イスラーム 3
★ムハンマド
○マッカ期
・ムハンマドが布教をはじめるのは、613年ごろからで、亡くなったのは632年6月8日(63歳)である
・マッカでの布教は13年に及ぶ。マッカ期と呼ばれる
・マディーナ(メディナはマディーナのなまり)に移住してからの10年間の布教はマディーナ期と呼ばれる
・クルアーンの啓示も2期にわけてマッカ啓示、マディーナ啓示と呼ばれる
・クルアーンはほぼ長い章から順に配列されている
・クルアーンはほぼ年代順と逆に配列されている
したがって、クルアーンのはじめのほうにはマディーナ啓示、終わりのほうにはマッカ啓示が多く配列されている
・啓示は23年にわたって、徐々になされて、当時は最後まで全体像は見えなかった
ムハンマドは啓示のたびに、章句の順番の位置を指定したという
章の順番について、1つの説では、ムハンマドがすべて指定したとする
もう1つの説では、おおむねの指示はあったが、最終的な形はムハンマドの死後確定されたとする
・マッカ期のころは、まだ日に5回の礼拝は定められていない
・はじめはムハンマドの近親者、友人などを対象に布教が行われた
最初に入信したのは妻のハディージャである
次に入信したのは、富裕な商人であったアブー・バクルであるという
アブー・バクルはムハンマドの死後、最初の後継者(ハリーファ、なまってカリフ)となった
・マッカのカーバ神殿にはそれぞれの部族が信奉する偶像を祀っていた
ムハンマドの興した新宗教は、先祖伝来の多神崇拝を否定し、唯一神の信仰を提唱するものだった
弱い人、貧しい人を助け、慈善をすすめるものであったから、初期の信者の大半は女性や奴隷や貧乏人であった
貧しい者が守られない現状に批判的であったから、クライシュ族の富裕な有力者たちから迫害や妨害が行われるようになった
やがてクライシュ族によるハーシム家一族のボイコットにいたる
619年に妻ハディージャとムハンマドを庇護してきた伯父のアブー・ターリブが亡くなった
ムハンマドのマッカでの布教は危機におちいった
★ムハンマド
○マッカ期
・ムハンマドが布教をはじめるのは、613年ごろからで、亡くなったのは632年6月8日(63歳)である
・マッカでの布教は13年に及ぶ。マッカ期と呼ばれる
・マディーナ(メディナはマディーナのなまり)に移住してからの10年間の布教はマディーナ期と呼ばれる
・クルアーンの啓示も2期にわけてマッカ啓示、マディーナ啓示と呼ばれる
・クルアーンはほぼ長い章から順に配列されている
・クルアーンはほぼ年代順と逆に配列されている
したがって、クルアーンのはじめのほうにはマディーナ啓示、終わりのほうにはマッカ啓示が多く配列されている
・啓示は23年にわたって、徐々になされて、当時は最後まで全体像は見えなかった
ムハンマドは啓示のたびに、章句の順番の位置を指定したという
章の順番について、1つの説では、ムハンマドがすべて指定したとする
もう1つの説では、おおむねの指示はあったが、最終的な形はムハンマドの死後確定されたとする
・マッカ期のころは、まだ日に5回の礼拝は定められていない
・はじめはムハンマドの近親者、友人などを対象に布教が行われた
最初に入信したのは妻のハディージャである
次に入信したのは、富裕な商人であったアブー・バクルであるという
アブー・バクルはムハンマドの死後、最初の後継者(ハリーファ、なまってカリフ)となった
・マッカのカーバ神殿にはそれぞれの部族が信奉する偶像を祀っていた
ムハンマドの興した新宗教は、先祖伝来の多神崇拝を否定し、唯一神の信仰を提唱するものだった
弱い人、貧しい人を助け、慈善をすすめるものであったから、初期の信者の大半は女性や奴隷や貧乏人であった
貧しい者が守られない現状に批判的であったから、クライシュ族の富裕な有力者たちから迫害や妨害が行われるようになった
やがてクライシュ族によるハーシム家一族のボイコットにいたる
619年に妻ハディージャとムハンマドを庇護してきた伯父のアブー・ターリブが亡くなった
ムハンマドのマッカでの布教は危機におちいった