城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

平安時代の城郭 秋田大鳥井柵

2023-05-29 04:55:56 | 東北の城 ビイスタ工法

◆対談者

長谷川先生?ブログの読者

数は増えましたどうなの?

 

◆長谷川

どんどん読者数が減って

フオロアー続々減少中!

 

◆反発者

ふんそりや当然の事だ!

長谷川は無名研究家だ!

 

◆長谷川

全くその通りでございます

ブログ読者様も順調に減少

 

◆対談者

秋田県大鳥井柵にビイスタ

工法つまり放射状設計腺が

とれますか?

 

◆長谷川

私の様な四流の無名学者

が秋田県大鳥柵分析など

無理です益々ブログ人気

が下落して行き悲観です!

◆有識者

一般様から見れば長谷川先生

は無名と解釈されますが私は

は大学院で教鞭も取った経験

のある者にとり長谷川先生の

解説は破格の分析解説力です。

 

◆長谷川

秋田大鳥井柵は律然たる

放射状ビイスタ測量痕跡

を私には、読み取れます。

 

◆みんな

すごいよ!長谷川先生の城郭

ビイスタ論が秋田大鳥井柵に

も読み取れるなんて日本城郭

研究史の晴天の霹靂状態だ!

◆みんな

すごい!こんな解説者初めて!

日本の城の見方が変わります。

 

 

ウイッキペデイア稲用

大鳥井山遺跡(おおとりいやまいせき)または

大鳥井柵跡(おおとりいさくあと)[1]は、出羽国

北部(現、秋田県域に相当)の横手盆地中部、

現在の秋田県横手市新坂町大鳥町にある平安時代

遺跡(居館跡)。2010年平成22年)2月、国の

史跡に指定された[2][3]。平安時代の当地方の豪族

出羽清原氏清原光頼大鳥山太郎頼遠)の居城跡

と伝えられている[3][4]

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京江戸城VS北海道志苔舘  | トップ | 近江 野洲 兵主大社 境内... »
最新の画像もっと見る

東北の城 ビイスタ工法」カテゴリの最新記事