城郭 長谷川博美 基本記録

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群馬 箱崎城の測量幾何学を考察する。

2024-10-01 20:05:11 | 関東の城 ビイスタ工法

群馬 箱崎城の測量幾何学を考察する。

◆長谷川

私は著書や社会的肩書が一切

存在しない営利を目的しない

民間研究家です。今回の投稿

に際して下記資料の箱崎城図

をお借りして素人学者ながら

城郭縄張研究の進捗を企図し

たいと存じ上げます。どうぞ

図版を御借りて勉強させて頂

来ます事を謹んで御報告致し

ます宜しく御理解下さい。

『山崎一 1978 『群馬県古城累址の研究』下巻 群馬県文化事業振興会』

 

◆対談者

とにかく長谷川先生のブログは

読まれていない事や私的に見学

会の講師に採用させて頂いても

1名も集合されないという人気

が全く皆無の先生と言う事です。

◆対談者

城郭ビイスタ論は昭和平成には

存在しなかつた画期的な城郭論

です。群馬の箱崎城にビイスタ

が存在致しますか?

 

◆長谷川

本郭と二郭に縄張が大別さ

ます。ビイスタ3で両郭の

縄張りを規定しています。

ビイスタ2も本郭と二郭

の縄張を規定しています。

ビイスタ1は2の遠隔測量

起点と思われます。また

本郭にはビイスタ4が

二郭にはビイスタ5が

読取れる非常に幾何学的

優れた縄張と言えます

いずれにせよ天正年間に

築城された大名権力の影

のもとの築城と考えます。

天正8年(1580)5月6日森下又左衛門宛真田昌幸定書に

「猿ヶ京を攻略すれば須河の内から宛行うとし、壱貫文 布施」

の地名が記されている(※「森下文書/群馬県史資料編7」より)
その別名を鳩崎城あるいはその字名から箕輪城ともいう。

(※「群馬の古城」「日本城郭大系」「日本城郭全集」などより)

 

◆長谷川

本郭には食違い虎口

二郭には桝形虎口が

それぞれ横矢折れの

★1★2が存在する事

も大名権力の意向が

加わった武将が城将

として入城していた

可能性が考えられる。

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