群馬 箱崎城の測量幾何学を考察する。
◆長谷川
私は著書や社会的肩書が一切
存在しない営利を目的しない
民間研究家です。今回の投稿
に際して下記資料の箱崎城図
をお借りして素人学者ながら
城郭縄張研究の進捗を企図し
たいと存じ上げます。どうぞ
図版を御借りて勉強させて頂
来ます事を謹んで御報告致し
ます宜しく御理解下さい。
『山崎一 1978 『群馬県古城累址の研究』下巻 群馬県文化事業振興会』
◆対談者
とにかく長谷川先生のブログは
読まれていない事や私的に見学
会の講師に採用させて頂いても
1名も集合されないという人気
が全く皆無の先生と言う事です。
◆対談者
城郭ビイスタ論は昭和平成には
存在しなかつた画期的な城郭論
です。群馬の箱崎城にビイスタ
が存在致しますか?
◆長谷川
本郭と二郭に縄張が大別さ
ます。ビイスタ3で両郭の
縄張りを規定しています。
ビイスタ2も本郭と二郭
の縄張を規定しています。
ビイスタ1は2の遠隔測量
起点と思われます。また
本郭にはビイスタ4が
二郭にはビイスタ5が
読取れる非常に幾何学的
に優れた縄張と言えます
いずれにせよ天正年間に
築城された大名権力の影
のもとの築城と考えます。
天正8年(1580)5月6日森下又左衛門宛真田昌幸定書に
「猿ヶ京を攻略すれば須河の内から宛行うとし、壱貫文 布施」
の地名が記されている(※「森下文書/群馬県史資料編7」より)
その別名を鳩崎城あるいはその字名から箕輪城ともいう。
(※「群馬の古城」「日本城郭大系」「日本城郭全集」などより)
◆長谷川
本郭には食違い虎口
二郭には桝形虎口が
それぞれ横矢折れの
★1★2が存在する事
も大名権力の意向が
加わった武将が城将
として入城していた
可能性が考えられる。
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