いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

2017 おわら絵日記 25

2017年09月20日 | 風の盆
12時 西町のたこやきやさんに行く。

いつも通りたこやき2皿と氷イチゴをいただく。
ここで北日本新聞のウェブ記事を見つける。

「八尾に先人のおわら歌碑 小谷契月・林秋路・長谷川剣星の長男3人建立」

場所は西新町とのこと。
じっとしていられず、13時10分、お店を出て車に戻り自転車で西新町方面に向かう。
なるべく坂道を上らないで済むような道を走ったが、結局は西新町の石段を自転車を持って上る羽目になり、そして西新町地内をくまなく走ってはみたがそれらしいものは見つからない。
ここは人に聞くしかない。
ここから一番近い知り合い、といえば、上新町の文房具屋さん。
実はこの文房具屋さんが長谷川剣星の従兄であり、高浜虚子門下の四天王といわれた前田普羅が主宰した俳句誌『辛夷』の編集にも携わった甚六会のメンバー、長谷川洪越のお身内であるということは、ものの本で読み知っている。
なので歌碑の所在を知らないはずがない、と確信を持って尋ねた。
スマホの画像を示しながら、

「この歌碑がどこにあるかご存じですか?」

「あぁ、今日の新聞に載ってたね」

予想通りである。

歌碑の場所は蔵並通りを進んで西新町で突き当たる、その少し手前の駐車場の奥である。
ここは、誰かの家の敷地じゃね?と思うが、よもや立ち入り禁止のような場所に歌碑を建てることもないだろう、と自分自身を納得させて入っていく。

 




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