WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

アゲイン

2014年12月01日 | 今日の一枚(E-F)

☆今日の一枚 385☆

Eddie Higgins

Again

 テレビはお笑い芸人でいっぱいである。いつからそんな風になってしまったのかよくわからないが、私も見ることはある。けれども、そんなに笑えない。多くは、ややウケか、どっチラケである。笑いの前提になるようなコード、あるいは時代精神のようなものを共有できていないのかもしれない。それにしても、そういったお笑いを見ていつも思うのは、「やすきよ」は面白かったなあということである。面白くて、腹筋がけいれんをおこし、筋肉痛になりそうなほどだった。そんなことを考えたのは、BSで横山やすしの伝記的ドラマをほんのすこしだけ見たからだ。

 腹が痛くなるほど面白いお笑いはかつては「やすきよ」のほかにもあった。現代のお笑いには、爆発的なばかウケはほとんどないようにみえる。ばかウケを拒否しているようにすら思われる。表層的なややウケを永続的に繰り返し、起伏のない笑いが鎖のように延々とつながっていく。シーツ・オブ・サウンド・・・??。観客の表情を見てもそう思う。まるで、笑いのない沈黙の時間を忌避するかのように、のっぺりとした笑い顔が絶え間なく映し出され、鎖のようにつなげられていく。もはやかつてのような爆発的な笑いは不可能な時代だということなのだろうか。あるいは、シリアスな現実から逃避しようとする聴衆の要請なのだろうか。

 1998年録音のエディ・ヒギンズ『アゲイン』である。ベースはRay Drummond、ドラムスはBen Rileyだ。コーヒーでも飲みながら穏やかな時間を過ごすのにはうってつけの演奏だ。この作品で小曽根真の名曲 ⑥Walk Aloneを知ったのだった。小曽根のようなシリアス感は薄いが、ゆったりした中にもスウィングのビートが聴こえてきて、これはこれでやはり素晴らしいと思う。今でも聴けば心がウキウキと踊り、胸がジーンとくる演奏も多い。

 10数年前、私の住む街の海辺のホテルでエディ・ヒギンズのディナーショーを見た。大津波の前だ。デビューしたての小林桂が前座を務めた、料理と寿司食べ放題、アルコールドリンク飲み放題の、考えられないようなお得なディナーショーだった。料金もそんなに高くはなかったと思う。範疇としてはカクテルピアニストだと認識していたエディー・ヒギンズが、アドリブ全開のレベルの高いピアノの腕前を披露してくれてちょっと驚いた。やはり、実力のある人だったのだろう。

 どんなしっとりした曲でも彼の演奏の背後にはのびやかなスウィングの感覚が息づいており、それがシリアスさやデリケートさを求める聴衆から軽くみられることも多いようだが、恐らくは彼自身がそういった高尚な音楽を目指してはいないことを考慮すれば、フェアな評価ではないだろう。いずれにしても、日常的な生活の中で、そのクオリティーを上げるための音楽としては、最上級の部類に位置づけられるべきピアニストなのではないか。しばらくぶりに、エディ・ヒギンズを聴いてそう思った。